第34話
宵口。新月の中、一台のワゴン車が山中の路を上ってゆく。
車窓の向こう、道路の左右から覆いかぶさる樹影の先に、薄藍と朱のコントラストが見える。それはやがて濃い紺藍へと移り変わり、世界を闇に整えてゆく。
ワゴン車は間もなく開けたその場所にたどり着いた。かつては小学校の校庭として機能していたそれは、現在某宗教団体の施設駐車場として利用されている。
停車した車の助手席から降りてきたのは、
三人は、かがり火に照らし出された異様な建物を見つめた。闇の中に浮かぶ平屋のそれは想像以上に大きく不気味に見える。壁部分は全て格子。切妻屋根には瓦が乗せられている。
建物から伸びる敷石の参道は、それを踏まず左右に並ぶ信者達を従えている。どれもやはり揃いの作務衣を纏っていた。老若男女を問わない彼らは、左右から両手で口元を覆い隠している。
車を降りた瞬間から、周囲には低く唸るような音が響き渡っていた。
ほーりっきほー
りっきりっき
ほーりっきほー
りっきりっき
てんてんてんごんごんごん
いんねんごうじゅぴじゅぴ
ほーりっきほー
りっきりっき
ほーりっきほー
りっきりっき
てんてんてんごんごんごん
いんねんごうじゅぴじゅぴ
ひたすら繰り返される念仏のようなその言葉の意味はまるで解らない。だが良也は自らも両手で自身の口元を覆い、同じ文言を唱えた。
「ほうりきほう、りきりき」
じゅり、と音が響いた。
何時の間に現れたのか。参道の半ばに、まるで闇の中から湧いて出たかのような禿頭の男が一人立っていた。
浮き上がるように白い肌。すっきりと整った眉と目元のうち、左目の傍には泣きぼくろが一つ、てんと染みついている。左右から両手で覆われたその鼻と口は見えない。そしてその顔は、どこか良也に似ていた。
「
良也の祖母のことを、その死の直前に戻していたらしい旧姓で男は呼ぶと「ほうりきほう、りきりき」と結んだ。
「孫の小峰良也です。この度は祖母の
ほうりきほう、りきりき、と結ぶ。
「わたくし、天野紫さまと、おてんとうさまとの永劫縁を結ぶお手伝いをさせていただく、〈
禿頭の男、
彼らの纏う作務衣と同じ、くすんだ緑色のビニールシートを張り巡らせた
しかし動揺したままでいられるはずもなく、信者達に求められて喪服姿の男達――
数人がかりで担架に移動させた遺体からは、すでに異臭が漏れ出している。冷えの深い季節のこと、周囲は吐く息の白さで籠っていたが、それですら異臭そのものであるように思えて志賀は思わず息を止める。車内でも匂いはしたが、ここに着いてからのほうがより一層臭気を増している気がした。涼し気な顔をして口元を覆っている良也の気が知れなかった。
担架に乗せられた祖母の遺体が信者達よって運ばれてゆく。周囲には異臭と共に「ほうりきほう」の言葉が充満している。ばちばちとかがり火が音を立てる。担架の後に黒鶫が続いた。そのあとに良也が従う。志賀と川端もそれに同行する。
はじめて目にする黒鶫本人に、志賀も川端も緊張を禁じえない。これまで彼らは幾度となくこの黒鶫が介入したであろう事象に対してアスラに調査協力をしてきたが、実体を目にすればやはり異様。
担架は合宿場へ向かって進んだ。このどこに入り口があるものかも知れぬ建物には確かに彼等を飲みこむ地獄の口があるのだ。
「なぁ」
じゃりじゅりと音が立つのに隠れ、名を伏せて小声で呼び掛けた志賀に、川端は「なんですか」とやはり小声で返す。
「帰っていいか」
「ダメです」
「マスターいいな、あっちの係で」
「仕方ないでしょう、ジャンケンで負けたんですから」
「滝沢なんか免除……」
「設定上未成年の女の子にこんなことさせられないでしょうが」
人の目から外れる暗闇に入った直後、川端の肘が志賀の脇腹に入り「ごふっ」と異音が金髪の口から漏れた。
「大体、あなたはここで身体が潰れても自社のスペアの仮体に乗り換えられるでしょうけど、私は生身なんですからね。後がないのはこっちなんですよまったく」
状況の堪え難きは川端も同じであったらしい。
ぎいいと壁の一部が開いてゆく。二人生唾を飲みこみ、ようよう腹を括った。
そうして彼等二人は黒鶫らと共に、ついに合宿場の内へと足を踏みいれたのである。
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