第33話
春絵が亡くなったあと、良也はすぐに動いた。父と姉が暮らしているマンションに行き、二人を適度に傷めつけた。過去の記憶も相まって二人はふるえるばかりだった。
色々あったけれど亡くなってしまったのだから、せめて春絵さんの通夜にぐらいは出てあげようよ、とっても愛していたんでしょう? と丁寧に父に進言したのだ。彼の視線が良也の手に握られていた割れたビール瓶に向いていたのは、視線のやり場に困ったからだろう。
車に乗り合わせ、父は運転席に、姉は後部座席に、良也は助手席に座った。手にはもちろんちゃんとビール瓶を持っていた。
高速道路を走っていた時に、途中でパーキングに立ち寄った。休憩をするというので、全員で降りた。良也がトイレから出たところで、父と姉が車に駆け込み急発進してゆくところが見えた。
おいてけぼりなんてひどいなぁと、良也は少し悲しくなった。だから、車にこっそり置いておいたプレイヤーを遠隔操作で再生させた。
祖母がおてんとうさまのことを拝む時にいう「ほうりきほう、りきりき」の連発と、信絵と祖母が春絵の死にざまに嘆き悲しんでいた叫び声をリミックスしたものを爆音で。
間もなく凄まじい衝突音がした。道路に出ていた父の運転する車が大幅にぶれて追い越し車線に飛びだした結果、前方を走っていたトラックに追突し、後方から走ってきたトラックに激突されて、ぺしゃんこに潰れたのだ。
「いや、あれですね。軽自動車があんなにもろいって思わなかったです、僕。あ、あと道路が凍ってたみたいで、原因はそれだろうってことにもなりました」
少しだけ困ったように笑うと良也はカフェオレをすすった。アスラ以外の周りの人間は皆唖然としている。この小峰良也という少年に一般的な善悪が備わっていないことは最早明らかだった。
「それで、二人とも即死――じゃなかったんだね?」
アスラの確認に良也は「はい」と答えた。
「姉は即死でしたよ。慌てていたのかシートベルトをちゃんとしていなかったので、フロント突き破って飛び出てしまって、父の車と前のトラックの間に挟まれていたので、腰から上だけ飛び出てましたね。生理中でした。父は下半身が挟まれていたんですが、しばらく息がありました。圧迫されて止血されてしまっていたんですね。僕、父と最期に少し話ができました。『痛い? どれくらい苦しいの?』って聞いたら、父ったら酷いんですよ。『お前さえ生まれていなければ』だなんて言うんですもの。でもそれが父の最期の言葉でした。仕込んだのは自分のクセして、ほんと最後まで人のせいにして死んでいったんですよ。保険金だけは残しててくれてよかったですけどね。でも調べたら、父ってば姉と僕と祖母にも結構な額の保険金をかけてたから、あの人こそ何かの折に僕達を殺すつもりだったのかも知れないなぁ。こういうとこ、僕達親子っぽいですね」
良也はくすりと笑うと、小首を傾げて突然くるりと振り向いた。
アスラとは種類の異なる、美しい少年の顔が大人達の顔を見回す。全員の中に怖気が走った。
「こちらの皆さんも、もう大体の事情はご存知なんですよね?」
「ああ。知っている」
答えたのは志賀だ。
「皆さんは、アスラさんとはどういった繋がりなんですか? 皆さんもアスラさんに相談に来られたとか?」
「ただのビジネスパートナーだ。それ以上俺から答える気はない」
「残念、そうですか」
ぎしりと音がした。アスラが「ふうむ」と天井を見ながら目をつむる。
「日向某は、完全におてんとうさまと同体化させられてたんだな。黒鶫の野郎も、小学校に納めたはずのご神体がいつの間にかいなくなっていて、さぞ慌てただろうよ。秋帆にとり憑いたのは、純然たるおてんとうさま本人――恐らくは日向某のほうの意思だった」
川端が伏し目勝ちに顎を撫でさすり「成る程」と唸る。
「更には小学校も焼失したわけですからね。黒鶫からすれば逃げられるわ場も失うわで八方塞がりだったことでしょう」
「ああ。だけど」とアスラが唇を尖らせる。
「時代が変わってインターネットが発達して、秋帆がおてんとうさまのことを書きこんでくれたおかげで現在の居場所にたどり着けた。いったん逃げられはしたけれど〈怨恨〉の収集方法としては成功していたわけだから、今度はそれを同じ場所で、宗教団体作って再現することにしたんだわな。それで秋帆のことを小峰っちのばあちゃんの時と同じようにたらしこんだ。あいつもやっぱり科学技術に頼らざるをえなかったんだな」
ぼくとおなじでさ、というアスラの内心の言葉がマスターには聞こえた気がした。
「その、黒鶫って人が僕の本当の祖父にあたるわけですよね? その人は、というか人じゃないのかな? は、どういう存在なんですか?」
「一言でいうと、アイツは〈怨恨〉を収集している存在だ。そうとしかぼくにも説明ができない」
全員が、えっという顔をした。良也も顔をアスラの方へ戻す。アスラは姿勢を戻して、じっと良也を見据えた。
「ぼくは〈死神〉だ。存在としては黒鶫と大差はない。ただヤツが〈怨恨〉を収集するのが目的なのとは違って、ぼくは人間の〈悔恨〉を収集している。そしてそれを実現するためには人間社会にもぐりこまないと難しい。だからこうして人間の身体、つまり仮体を用意して人間の中に混ざりこみ、良質な〈悔恨〉を発生させられそうな人間を相談に乗るという形で探している」
「おいアスラ、お前そんなことまで話して」
マスターの制止にアスラは「いいんだ」と返す。
「コイツは、もう特別だ。だから聞かせてかまわない」
ややわざとらし気に良也がぱちくりと瞬いて見せた。
「じゃあ、アスラさんは人間じゃないんだ」
「ああ」
「僕、特別なんですか」
「ああ。最高品質といっていいよ」
「最高品質って、なんのですか?」
アスラがにやりと口を左右に広げて笑った。
「交じりっ気のない〈悔恨〉を発芽させられる人間だってこと」
良也はきょとんと瞬きをした。
「発芽、ですか」
「ああ。お前は最高の苗床だよ」
良也はしばらく俯いて考えてから、顔を上げた。
「あの、アスラさん」
「なに」
「その発芽とか苗床っていうの、イマイチよくわからないんですが、僕はあなたにとって有用だってことなんですね?」
「そういうことになるな」
「僕にも、その黒毛玉っていうのがいっぱいついてるんですか?」
志賀がちらりとマスターを見た。彼も多少は見えるからだ。しかしマスターは首を横に振った。それからアスラへ目を向ける。
「この坊やには、毛玉のけの字もついてない。そうだよな? アスラ」
アスラはにやりと笑うと「うん」と頷いた。
「完璧だよ。一切ない」
滝沢と川端が顔を見合わせる。これまで二人がアスラに協力をしてきて、アスラがこう断言したことは一度もなかったのだ。
ぴ、とアスラの人差し指が、手のひらを上に向ける形で良也の胸元を指した。
「ねぇ、小峰っちはさ、人を怨んだり呪ったりしたことがないだろう」
「はい。ないです」
「だからだよ。だからお前には黒毛玉が一切ついていない。黒毛玉っていうのは〈怨恨〉に説明がついたもののことなんだ」
「ああ、なるほど」
いっそ無邪気な顔で納得するこの少年という存在は、同席した者達にとって最早理不尽に近い。こんなに無邪気な心持ちで語られるべきことではないことを彼は語り、しかもそれを隠す素振りがない。本当に彼にとっては、自身の父と姉を死に追いやったことも、彼女と認識している信絵の母親、つまり春絵を死に追いやったことも、まったく頓着することではないのだ。
アスラは楽し気に再びテーブルの上に肘をついて組んだ手指に顎を埋めた。
「大抵の人間には〈怨恨〉がついている。苦しみの根拠を外に見出し、怨む。こんな人生でなかったら、こんな苦しい運命じゃなかったら。そんなふうにもしもを考える。つまり他人や環境のせいにして納得して憎むんだな。そして『そうではなかったらどんなによかったか』と考える。そうして生まれるのが〈後悔〉だ」
「え、〈後悔〉と〈悔恨〉は違うんですか」
「ぼくにとってはね。この『もしもこうだったら』を考えるときに、自己責任として引き受ければそれは〈悔恨〉になるんだ。要は人のせいじゃなく、自分がこうしていたらと引きうけられた者からのみ、純粋で良質な〈悔恨〉が生まれるんだ。つまり〈後悔〉は〈悔恨〉に比べて品質が劣るんだよ」
ちりり、と何処かで音がした。タマエの鈴が鳴った音だった。
「小峰っち。お前には善悪がない。全てはただ、お前がおもしろいか不快か、ただそれだけだ。不快は排除するし、おもしろいは手元において遊びたい。悪意をもって物事を行わないし、また事象に対して評価をしないから魂が汚れない。魂の評価ってのはな、善や聖はまったく関係がないんだ。ただひたすら、その自律性と純粋性がものをいう。そんな魂を持つ者が『こうだったらよかったのにな』と『思考した』ものこそが〈悔恨〉であり、確定世界に対する反逆の意思として価値を持つ」
なあああお、とタマエが鳴いた。
「でも残念なことに、お前みたいな汚れのない魂をもつ人間は本当にレアなんだ。だから、ぼくもある程度妥協する。〈怨恨〉持ちの人間にも〈水遣り〉をして、少しばかり〈悔恨〉に洗い直した〈後悔〉で妥協してるんだ」
「〈水遣り〉、ですか」
「ああ。相談にのってな。というわけで、ぼくが本当にほしいのは、お前がする〈悔恨〉だ。それをくれるなら、料金なんかチャラにしてやってもいい」
「わかりました。どうしたらいいのかわからないけれど、料金を払わなくていいなら考えてみます。それはそれとして」
「うん?」
「〈怨恨〉もちのひとの〈後悔〉でも、それなりに悪くはないんですよね? つまり対価としての価値があると」
「――ああ、そりゃまあ量と質にもよるけど」
「じゃあ、僕にちょっと考えがあるので、後日連絡させていただいてもいいでしょうか?」
「あ、ああ」
良也はにっこり笑うと、カバンから財布を取り出してレジに向かった。
「今日はそろそろ帰ります。急がないと脚がなくなっちゃうんで。お会計お願いします」
マスターが慌てた調子でレジへ向かった。
「ありがとうございます」
「ごちそうさまでした。おいしかったです」
後日、BAR Neighborに電話がかかってきたのは深夜のことだった。
黒電話を持ちあげたアスラの耳元に、〈こんばんは、小峰です〉という声が飛び込んでくる。
「どうした」
〈父と姉の保険金が無事に振り込まれたので、祖母に話をしたんです。『あんた、愛する男の嫁取りの手伝いさせられて、ぽいっと捨てられたんだね、どんな気分? ねぇどんな気分だったの』って〉
「――それで」
〈今見たら、仏壇の前で首括ってました。すごいですよ。よっぽど小峰が厭だったのか戸籍離脱して旧姓に戻してました。予想したとおり、遺書には『葬儀は
アスラの背後でかたりと音がした。不安気な顔でアスラを見ているマスターに、さすがのアスラも苦笑う。
〈アスラさん、〈怨恨〉もちの〈後悔〉でも〈水遣り〉とかいうのをすれば使い物になるって言ってたでしょう? 天道会教に渡りをつけるチャンスじゃないですか。あそこ黒毛玉がついてる信者でてんこ盛りなんでしょう? ね、僕協力できますよ? これ多分収支だと結構なプラスになりますよね? これ僕の資産と見なしていいでしょう?〉
「あ、ああ」
〈やった。僕欲しいものあるんですよね。それアスラさんにおねだりしちゃおっと〉
受話器の向こうでつーつーと無機質な音がくり返されるのを、がちゃんと切ってから、さすがのアスラも口元を引き攣らせて笑った。誰しもこう思わずにはいられなかったろう。
これは本物の化物だ、と。
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