第31話


 アスラがはっとした顔で腰を浮かしかける。

「なんて?」

 川端は伏し目で喫されたばかりの東宝美人を一口含むとゆっくり唇から吐息を漏らした。

「秋帆さんのイニシャルはAです。そして山路春絵さんは、秋帆さんが小学生のころから守護神のようなものに護られていると自称していたことから彼女を妄想癖と侮蔑していたでしょう?」

 志賀が眉間に皺を寄せつつ「確かに……アスラがそう言ってたの、なんか覚えあるぞ。お前言ってたよな? アスラ」

 志賀に話を振られたアスラが「うーん」と腕組みで唇を尖らせつつ首をかしげる。

「……あんま覚えてないけど」

「はぁ⁉」と滝沢が目をむく。

「ちょっと、噓でしょアスラ! あんたの脳味噌どうなってんのよ?」

「ぼく脳味噌ないもん! 知ってるでしょ⁉」

 アスラの開き直りに対して滝沢はそれこそ侮蔑の眼差しを向ける。そんな彼女に舌を出して返すアスラを前に、川端は淡々と続ける。

「山路秋帆さんは、比較的若いころからパソコンを与えられて自室に籠っていた。インターネット通信を利用してオカルト掲示板に自身の経験を書き込んでいたとしてもおかしくはない。この書き込みがなされたのも、時期的に合致します」

 滝沢がハッとした顔でパソコンに向かった。キーを叩く。

「川端、それビンゴだわ」

「ありましたか」

「M県T小学校。その跡地に建ってるのが天道会てんとうえ教の合宿場だわ」

「来たな」

 志賀が笑むのに滝沢は頷く。川端は顎を撫でさすりながら元のテーブルへ向かい、自身の持参した書類を手に取ると滝沢と志賀の前においた。

「私が集められた伝承も、ほぼ全てと言っていいくらいその採集場所がM県内に終始しています。はじまりがこのエン、テンゴ母子であったならば、これが山路秋帆さんの背中に憑いていたおてんとうさまとなるまでに何人か乗り継いでいるとみて間違いないでしょう」

「まあ、時代が大分開いてるからねぇ」

 アスラが唇を尖らせて言うのに「はい」と川端は首肯した。

「川端、あった」

 滝沢が画面を指し示す。

「なんですか?」

「T小学校、建設時に現場で日向ひゅうがという五十代男性が事故で亡くなってる」

「やはり。この線でほぼ決まりですね。恐らく、山路秋帆さんの直前に憑かれたのが、彼女が夢で見たという、おてんとうさま――現場作業員の日向ひゅうが某だったのでしょう。そして」

 川端の目が全員を見回す。

「これをそそのかした者がいます。つまり山路秋帆さんに書き込みを削除させた張本人。教団を設立し、怪異に通じ、〈怨恨〉の収集を行う者が」

 すっと息を吞む音がした。志賀の発した音だった。

黒鶫くろつぐみか」

 志賀の問いに川端は首肯した。

「恐らくそうでしょう。ここまでの手練を持ちうる者はそうそういない。アスラ君」

 川端に呼ばれて「んん?」とアスラが目を丸くした。

「桑名春絵さんのたまみをしたとき、あなた黒鶫の名を聞きませんでしたか?」

「えー? だからそんなん急に言われても本人が目の前にいなかったらわかんないよぼく」

「それは重々承知の上で。ちょっとがんばって記憶さらいしてみてください」

「えー、ムリムリムリって! ぼくは目の前にある人間の魂に書かれた情報を読むことはできるけど、書かれた中身を暗記しておくようなバカみたいな芸当はできないって!」

「それもわかっておりますが」

「ムリなモンはム」

 がっ、と川端の右手が袖から飛び出た。人並外れて大きな掌がアスラの前頭部をすっぽりと掴んで、ぎりりっと音を立てた。

 にこやかに眼鏡の奥の目を微笑ませながら、川端は「アスラくん?」と目の前の桃髪の少年の名を呼んだ。

「つべこべ言ってねぇで、さっさとそのカスみてぇなストレージの脳汁ふり絞れ? な?」

「あい……がんばりましゅ」

 しばし、マスターの調理音のみが店内に満ちる。

「あっ」

 アスラがその頓狂な声をあげたのは、それからたっぷり五分後だった。

「思いだしましたか?」

 そこでようやく川端がアスラの頭からアイアンクローを離した。

「アスラ?」

 志賀の問う目に、アスラが顔を真顔にした。

「思いだした……」

 アスラの瞳孔が縦に狭まるのを全員が見る。

「山路秋帆の結婚相手――黒鶫って名乗ってた」

「なんだって?」

「あと、そうだ……春絵と娘をダンナの部屋に案内した教団の信者、あれ同じやつだ。声一緒だわ」

 がたんと全員が色めき立つ。

「ちょっお前それ!」

「いやだって! 春絵の視界じゃわかんないって。あいつ教団に旦那の遺骨取りに行った時には毛玉見えてたんだもん! そんで、そん時の信者全身黒毛玉だったし、なんならあの教団全員黒毛玉の塊しかいなかったんだよ!」

「いやそもそも姉貴の旦那の名前が黒鶫だったって時点で色々察しろよ⁉」

 志賀が詰めよるのにアスラは対抗して張りあう。

「だってぇ! 春絵の主眼は秋帆のほうに向いてたんだもん! ぼくだってモブになんか意識フォーカスしないって! あとそういう名前なんだーって思って終わりじゃんフツウ!」

 志賀の両手がアスラのパーカーの猫耳を左右から掴んで頭を揺さぶった。

「思わねえよ⁉ 終わらねぇよ⁉ 黒鶫なんて珍姓そうそう転がってねぇよ⁉ 〈死神〉だからって近世の社会通念くらいアップデートしとけよ!」

「いてぇ! 志賀痛いってば!」

「――ねぇ。ていうことは、もしかして」

 滝沢の声に、志賀に頭を掴まれたままアスラは頷いた。

「黒鶫が黒幕なら、あの天道会てんとうえ教ってやつ、多分信者全員におてんとうさまを紐付けしたうえで〈怨恨〉育ててんだよ。そんで、その中からより良質な〈怨恨〉が育ったヤツが出てきたらそいつを転ばして――おてんとうさま、つまりテンゴの次の憑き先にするんだ。人間の肉体は傷むからな」

 カウンターの奥で「あっ」と声がした。全員がその声の主、マスターを見る。

「おてんとうさまって、もしかして」

 焼き上がったドリアを手にしたマスターが顔を白くしてつぶやいた。

「それ、太陽のことじゃなくて、転倒ってことか? てんとうえって、転倒てんとうってこと……?」

 全員が言葉を失くして沈黙していると、どこかから、ちりりん、と音がした。

 皆がソファへ目を向ける。それまでそこで丸くなっていたタマエが顔を上げている。真っ直ぐな目で、入り口を見据えている。

 なああああお、と、鳴いた。

 かららん、と鐘が鳴る。

 一つの影が薄暗い店内に足を踏みいれてきた。

「すいません、こんにちは」

 店内の全員が見守る中、学ランを纏った少年がアスラの顔を見た。アスラの顔に喜色が浮かぶ。

「――最高の苗床が自分で歩いてきた」

 アスラの瞳孔が、ぎゅっと縦に細くなった。

 小峰良也こみねりょうやが、そこに立っていた。


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