第29話
※
おてんとうさま、と呼ばれる存在を信仰する新新興宗教団体がある。
名を
信者はおてんとうさまに帰依し、その御力に頼ることで、現世の暮らしの内にて塗れた苦しみを吸い上げていただくというものである。教団は、数多の人々を苦しみから救済することを目的として存在しており、その現実的な実現のため信者は進んで浄財寄進を行う。
信心の行い方は至って簡素である。おてんとうさまの絵姿に正座で向かい(これは信者の身体状況によっては柔軟に免除される)、両の手で自身の口元を左右から覆う。「ほうりきほう、りきりき」と一度唱えるごとに左右の何れかに転ぶ(あるいは転んだフリをする)。これをくり返すことで人身の内の苦しみは振り落とされ、落とされた苦しみはおてんとうさまの御力の源として捧げられる。つまり人の苦しみを集め、これを燃焼することでおてんとうさまの救済の御力は増し、浄化と寄進の両方が成立するのだという。
至極、効率のよい教義である。
ここから先は、未だ人口に
ことの起こりは明治末期。M県某山間部でおきた、村民大量惨殺事件であろうというところまで辿ることができた。
この村に、一人の娘がいた。名はエン、もしくはインであったという。仮にエンとしよう。エンはててなしごとして生まれ、その母もエンを産んで早々に亡くなった。この父が村の庄屋筋であったことは周知のことだったが、表だって口に出すものはなかった。エンは寺の預かりとなってよく働いたが、これに手を出したのが庄屋の息子であった。つまり、そういうことである。
エンもまた父の知れぬ子を産んだ。エンはこれを産んだのちに村から失踪した。
子は男児で、寺の住職がテンゴと名付けた。身体の人一倍大きい子供だったが、脳に障害があったか口が利けず、常時だらだらと涎を垂れてはその胸元を濡らしていた。あうあうあと、意味のなさぬ音ばかりを唸っては、何か気に入らぬと壁だの岩だのに頭を打ちつけて額から口から血を吹いていた。
体格だけは飛びぬけて大きかったため、十五も超えれば誰も太刀打ちができなくなった。寺男達が三人四人と束になっても止まらぬので、住職と三役が話し合い、村の堂脇に小屋を建ててそこに入れた。小屋と言えば聞こえは良いが、つまりは一つの牢である。
庄屋の血筋は周知であるが、庄屋屋敷の座敷牢に収めるのは外聞が悪いとでもなったものか、それを使えばという話は何故かどこからも浮上しなかった。とまれかくまれ、その格子に三面を囲われ、異様にも屋根だけは瓦のきちんと乗せられた牢小屋は、周囲にテンゴの唸りを響かせながら、彼が未だ生きているか死んでいるかを確認するためのものとなった。
そんなある日。
酔った庄屋の息子がテンゴの下へ来た。格子の外でしゃっくり上げながら、彼はテンゴにこう言った。
「まったく余計者が産まれおって。なんと忌々しいことか。お前はまるで猿のようだ。ケダモノだ。しかし憐れなものだ。生きていてなんの甲斐があろう。しかし腹も減れば酒の味も覚えてみたかろう。ほれ、これを転ばせ。転ばせばお前のものだ。お前が転ばしたものはお前のものにせよ」
そう言って、庄屋の息子はテンゴの前に、とっくり一つと、にぎりめしを乗せた皿を一つ置いた。無論、格子の外側に。
翌朝、格子の中のテンゴは、とっくりを抱え、皿をねぶっていた。
錠は掛かったまま、格子の狭い隙間からは通るはずもない、とっくりと皿を。
それから、奇妙なことが続いた。
京への使いから戻った村の若衆の一人が、信心深くも村はずれの地蔵さまに酒蒸し饅頭を備え、手合わせて目をつぶった。
かたんと音がした。
目を開けると、皿が倒れて、饅頭がない。
辺りを探したが、やはりない。
うっかり鴉にでもやられたかと思ったが、その後通りかかった牢をちらと見て血の気が引いた。
牢の中で、テンゴが饅頭を貪っていた。
口の中を饅頭で一杯にし、それを奪われまいとしてか左右から両手で覆い隠しながら、テンゴが唸った。
「ほうりきほう、りきりき」
意味は誰にもわからなかった。
こんなこともあった。
中秋の名月には月見泥棒が出る。子供が各家の庭先から芋団子を頂戴してゆく。子供は月からの使者ゆえに、芋を持ち去ってくれれば豊作となるとの言い伝えからきた風習だ。
その年も、子等は芋団子をもらいに家々を回っていた。天気もよく、赤とんぼが青空を舞い、歓声も朗らかだった。
ざしゅりと音がした。一人の少年が駆けるのを止めて振り返った。後ろからついてきていたはずの妹がいない。慌ててきた道を引きかえすも見当たらない。
日も暮れる
悲鳴が上がったころには、すでに兄は疲れ果て眠りに落ちていた。
牢の中でテンゴがつかんで離さなかった妹は、すっかり人間の気配を失っていた。村人達は半狂乱になってテンゴを格子の外から竹で突き、なんとか妹を引きはがした。妹はそこから助け出されたものの、気狂いしてそれ以降もう人前に姿を見せることはなかった。
兄は怒りくるい、テンゴの牢へ出向いた。
格子に向かって自分で研いだ竹槍を刺そうと駆けた。
転んだ。
兄が見つかったのは翌朝で、この時テンゴが掴んでいたのは、兄妹諸共だった。テンゴが唸った。
「ほうりきほう、りきりき」
ここで漸く――庄屋の息子が吐いた。
自分がテンゴに「転ばせばお前のものだ」と言ったことを。
村は騒然とした。転べば格子の中に吸い込まれる。テンゴに食われる。まことしやかにささやかれはじめた言葉は、実際にあったこととも相まって確信となり、これを長く野放しにした庄屋一族への怒りは謀反となって表出した。
〈怨恨〉というものがある。他者から受けた仕打ちに対し、憤り憎むことをいう。しかし人心は思いを忘れやすく、怨む心もまた儚い。ふいと風が吹き、飯を食って寝ればかき消えてしまう。だがそれも繰り返されれば心に根付く。この黒くざわざわとした塊はなんだと気付く。その黒い騒めきが共鳴する。原因はなんだと意識を研ぎ澄ます。しかしすぐに弱まってしまう。
だから、積み重なった〈怨恨〉という黒い感情は、いつしか名のついた根拠を求めはじめる。
そして、その時が訪れる。
恨みがましいことを起こしたものが、再び厭なことを行ってくるときが。
その手は不躾である。不調法で無神経で、平気で人の心の奥に根差した黒い物を逆なでし、命の首を絞めては蹂躙する。人に対して悪事を行っているという自覚がまるでない。
当然怨まれ憎まれる。
そうしてその〈怨恨〉は、根拠という説明によって包まれる。
怨みの感情はただ感情だが、そこに説明がつくことで因となり名と形を得る。
それが黒毛玉だ。
因となった黒毛玉は結となることを求めて外へと湧き出でる。
黒毛玉で胸の内を満たした者らは夜半に結集し、分散した。一部は庄屋の屋敷へ。一部はテンゴを捕らえた格子牢へ走った。
庄屋の屋敷へ向かった者らは、一族とその屋に勤めた多くを殺した。そもそもが積年に渡る狼藉で恨みを買っていた一族だった。テンゴのことは引き金に過ぎなかった。またそれだけ狭い村内に横たわる貧富の差が分断を生んでいたということでもあった。襖を開き土足で駆け込み、また襖を開いて奥へと踏みこみ、次の襖を開いた先に――格子があった。
駆けつけた者皆、息を吞んだ。
そこに座敷牢があった。
テンゴが血筋と知れても庄屋屋敷の座敷牢に押し込まれなかったのには訳があった。そこにはすでに人が入ってあったのだ。
出奔したと思われていたエンが、そこに捕らえられていたのである。
見るも悍ましい、庄屋の息子の玩具として嬲られつくした、エンが。
そうして息を吞んでいた者達は、次の瞬間一斉に、
転んだ。
この夜より、この宴に関わらず生き伸びた者は皆村を出た。
エンも、テンゴも、どうなったのかは知られておらぬ。
ただ、この母子二人が幼い頃に寄宿した寺の住職が本山にこの話を持ち帰り、後に廃寺となったという説話だけが、近隣の村々に流布していたという。
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