第28話
――お母さんが死んだの、あんたのせいよ。
そう言いながら、姉に殴られつづけた幼少期だった。
母が飛び降り自殺したというのは、姉からも父からも繰り返し聞かされていたので、そうか、と理解していた。
しかし、成長して周りをよくよく見てみた結果、どうやらそれは自分だけのせいではないらしいぞ、ということに思い至った。
小五だったか。
身長体重共に姉を追い越すことに成功したので、それまで彼女から受けた分の仕打ちを、倍返しにしてボコボコにした。
髪を掴んでドアの桟に叩きつけたら、奥歯が折れたらしい。しばらく顔を腫らしていた。とても気味が良かった。そうしたら、それから姉は良也の顔を見ると怯えて逃げるようになったので、それくらいで勘弁してやった。
ずいぶん優しいものだと、自分でも思う。
次いで、小六の時に、父親の身長体重も追い越した。
同じくボコボコにした。
飛び蹴りをしたら、ベランダの窓ガラスに突っ込んで行って、二枚が割れた。
血みどろになって、震えながら良也を見上げる父親を見降ろして、良也は言った。
「あんたが悪いんじゃん。なんで僕のせいにしたのさ」
父親の書斎と母の遺品から見つけた、父の母に対する裏切りの証拠は数限りない。良也はその一々を確認し、しっかりと記憶していた。良也は、とても記憶力に優れていたから、それも簡単だった。
良也のことを怯えた目で見上げる父は無様だった。
そんな父の目をじっと見つめながら、良也は割れた窓の外を指さす。びょおびょおと、風が室内に吹き込む。
なんとなく、そこから飛ぶ母の背中を見たような、そんな気がしている。もしかしたら、自分は実際にその様子を見ていたのかも知れない。ならば、これは良也に残る最後の母の記憶だということになる。ならば応えてやらなくてはいけない。
「父さんさ、母さんが飛んだの、そこでしょ? 行っちゃう?」
良也が、姉共々、父親の郷里へ送り込まれることになったのは、その三か月後のことだった。父親の、あの引きつった顔が見られたのはおもしろかったが、逃げ出したのがつまらなかった。あんなに手応えのない男に支配されていたのはおもしろくなかった。今のところ興味が削がれているから放置しているが、おもちゃが動かなくなったらまた壊れるまで遊んでやってもいいかなと思っている。
父の実家は、古かった。
電気を点けても暗い居間は、キッチンではなく台所に接していて寒い。今日も祖母は背中を丸めて、ちゃぶ台を背に正座している。向かっているのは仏壇だ。
仏壇といっても中に仏はいない。先祖もいない。つまり死んだ祖父の位牌もない。
苔色をした昭和くさい繊維壁を見あげても、長押に遺影は一つもない。
仏壇の中にあるのは、奇妙な化け物の絵だけだ。
死んだ。みんな死んだのだ。
祖父も、父の兄も、姉も、祖父の弟も、曾祖母も、父と祖母以外は、皆死んだ。
「ほうりきほう」
祖母は小声で絵に向かいそう呟く。
ほうりきほう、りきりき
言葉の意味はわからなかったが、それを一度口にするたびに祖母は右に左に転がる。だから。
手伝ってやった。
どかんと蹴って、転がしてやった。
祖母は口から血を吹いた。震えて言葉にならないようだったので、代わりに言ってやった。
「ほうりきほう、りきりき」
転がる元気もないようだから、右に左に蹴とばしてやった。
ほうりきほう、りきりき。ほうりきほう、りきりき。
だんだん楽しくなってきた。
姉は途中で祖母の家から逃げ出した。そのうち追いかけようと思う。
祖母はなかなか健康だから、まだまだ転がしがいがある。
中学三年の時、かわいらしい女の子が入学してきた。小学校の時には見かけなかったから、自分の卒業したのとは違う学区からきたのかと思ったが、その子を引率していた母親の顔に見覚えがあった。
やつれていたが、明らかに父の浮気相手だった。
それで女の子に近付いた。学年は違ったけれど同じ学級委員になったので、生徒会との合同で成る生徒総会で自然と知り合うことに成功した。女の子は桑名信絵といった。最初信絵は浮かない顔をしていたが、良也がやさしく話しかけると少しずつ心を開いていった。
話を聞くと、彼女の父親は良也の祖母と同じ宗教に入信して死んでしまったらしい。死んでしまうような宗教なのか、だったら祖母もそれで死ぬかもなと思ったが、それはそれでいいような気もした。そして今現在彼女の母親もその宗教に浸かっているらしい。
おもしろいと思った。
信絵自身はそういう物に対して忌避意識があるらしい。彼女は中学進学と同時にこの地区に越してきたらしく、友人自体はすぐにできたそうだが、クラスに一人宗教や妄想にどっぷりハマった中二病の罹患者がいてこれが気に障って苦しくて堪らないのだという。
だから、少し知恵を貸した。
――君は悪くない。君は、何も間違っていないんだよ。
だから周りに同じような友達がいないか探すんだ。そういう子達が君の味方になってくれるから。そういう子達が見つかったら、その子達と教室の中に空気を作るんだ。
「空気?」
信絵が小首を傾げたところは、不倫女の母親とそっくりでかわいらしかった。ぐちゃぐちゃにしてやりたくてゾクゾクした。だから優しく微笑みかけた。吐き気がするほど優しく。
「そう、空気。その生徒、気持ち悪いんでしょう? 言動がおかしいんでしょう? だったら諦めないで。誤魔化されないで。我慢を強要されたままにしなくていいんだよ。厭なことは厭だって主張するんだ」
「でも、そんなことしたら、私嫌がらせみたいな、そんな」
「わあわあ叫べっていうんじゃないんだよ。厭だというのを周りに対して我慢しない。それだけでいいんだ。そうすれば、周りの人間も本当の気持ちを素直に出せるようになるからね」
良也の目の前に姉の、父の、祖母の顔が浮かぶ。我慢するのをやめたら気分が良かった。だってあいつら本当におかしかったんだもん。
気持ちが悪いものは、処分しないと。
でしょう? お母さん。
良也の助言に信絵は従った。彼女に追随したのはまず二人の女子生徒達だった。一人で忌避していた信絵は仲間を得てのびのびと、しかし密やかにターゲットを攻撃し始めた。
転居してきたばかりの信絵が嫌うなら、絶対にそれまでもその女子生徒を嫌っていた生徒は周りにいたはずなのだ。良也の読みは当たり、それはやがてさらに拡大していった。
この地区は田舎だが、良也達の通う中学はそれなりに行儀の良い公立校として知られている。居住地区の近隣には大企業の誘致があり、都市部からの転居組が多数いた。
だから、露呈したら必ずスケープゴートが作られる。
そもそも子供達は周到だから、明らかに全体から排除対象と見なされている人間がいても自分から行動には移さない。ファーストペンギンを用意して、それに巻き込まれたという体裁が整わない限り、多少気に入らなくても見て見ぬふりをする。でも、一羽のペンギンが走れば別だ。
ペンギンを山羊にして、自分はトカゲのしっぽ切り程度の痛みで逃げられるように調整して、これまでの鬱憤を解消してゆく。それぞれ、そいつとは全く関係ないことで蓄積してきた不平不満や憎悪も、ついでとばかりに追加して、デコレーションケーキのホイップのように上へ乗せて、その気に食わないヤツを食い散らかすのだ。完全消費だ。一番やり方がうまいやつは手を出さずに周りで余さず全部見る。それを持ち帰っておうちで一人咀嚼して、オカズにして楽しむ。
そして、それら全部完全な外側から見ているのはなんて楽しいんだろう。
そうこうして楽しく見守っていたら、ある日ついにカッターが登場した。カッターの持ち主は信絵だった。皆で代わるがわる、その生徒の髪を切ってやったらしい。そしてついに、ある男子生徒の手に渡り、その手元が狂ってターゲットの手が切られたそうだ。
ざっくりと。
カッターの持ち主が信絵であることと周りの証言から、彼女が主犯であることが周知となった。それで彼女の母親が学校に呼び出された。
不倫女は、校長室で気絶した。
だから信絵の家まで訪ねて行った。彼女の部屋に通された。励まして、味方だと言って、ベッドの上で抱きしめた。彼女の祖母に声をかけられたので、母親の見舞いに一緒についていくことに成功した。不倫女は、ただの精神疲労らしいが、衰弱と栄養失調が激しいからと一日措置入院になったらしい。
母親の入院している病室は大部屋だった。ベッドを個別に区切るカーテンはなぜか二重になっていて、内側のレースは格子模様だった。
信絵と祖母が医者から呼ばれたので、良也は不倫女の傍で待つことになった。
格子模様のカーテンの外から彼女を見ていたら、ふと目を覚ました。
ぎりぎりと音を立てるかのようなぎこちなさで、母親は良也のほうを見た。そして、何かを考えるような様子をみせてから、はっとして顔色を失っていった。きっと良也の顔に父の面影を見たのだろう。
だから、良也は笑って彼女に言った。
「どうも。はじめまして、お母さん」
そうしたら信絵の母親は、絶叫してベッドから転げ落ちて、チェストの角で頭を打った。落ち方が悪くて首も折れてしまったらしい。
医者が駆け付けたけど手の施しようがなく、脳挫傷を起こして死んでしまった。
そこまでするつもりはなかったのにな。
もうちょっと遊べるかなと思ったんだけど。
終わり方がつまらないな。
そう思った。
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