第25話


 マスターが鍵を開けて二人が足を踏みいれた奥の部屋は、緑の淡い蛍光をわずかに反射している以外は閉め切られていて、ただ暗かった。

 室内には、ぶうんという、鈍い電子音が響いている。そして季節に関わらず常にじっとりと冷えていた。

 マスターの横を通りすぎると、ライダースジャケットを脱いだ志賀はそれを手近なところにあったスツールの上に投げ置き、早々にその部屋の中心に鎮座している巨大な機械に歩み寄った。緑の光は、そこから発せられていた。

「何かご入用のものはありますか?」

 マスターの問いかけに対し、機械の傍らにかがみこんだ志賀は、背中をむけたまま「大丈夫」と片手を上げる。

 機械は、壁面から伸びている太細さまざまなコードやホースに繋がれていた。見た目は近年知られるようになった酸素カプセルに似ていたろうか。それよりもやや大がかりではあるが、つまりその中に人間が一人横たわれるような仕様になっている。

 志賀は、その側面に据え付けられている小窓のラッチを外し、ぱかりと開いた。中に収容されていたコードジョイントされているタブレットを引きぬくと、前置きもなくスワイプとタッピングをくり返している。マスターには、志賀が何をしているのかはよくわからない。ただ、この定期点検が月に一度の頻度で繰り返されていることと、そしてこれこそがアスラの仮体かたいの生命線であることだけは了解していた。

「よし、問題ないな」

 瞬く間に作業を終わらせると、志賀は立ち上がって腰を伸ばした。

「あの志賀さん」

「んー?」

 志賀はジャケットを拾うと、傍に立つマスターを見下ろした。

「どうした? マスター」

「ほんと今更で申しわけないんですが、そもそも、あれ、アスラのいう因果っていうのは何なんですか?」

 マスターの問いに、志賀は「ああ」と無造作にスツールに腰を預けた。無駄に長い脚を組む。

「まず、この世の仕組みは、基本、因果応報で説明がつくってことはマスターも知ってるよな?」

「はい、それはアスラからも聞いたことがあります。善いことを行えば、善い実績が魂に刻まれる。反対に悪いことをすれば、悪い実績が積み上がる」

「その実績に対して世間が呼応する、とでも言えばいいかな。ようは人生の経験ってのは全体でバランスを取ろうとするんだな。――そう、例えば」

 志賀の目が壁に向いた。

「ひとつの振り子があるとする」

 そこにはひとつの古い壁掛け時計があった。振り子の下がった、それをガラスケースで覆ったタイプのものだ。

「振り子ですか」

「ああ。この振り子が動かなければ、魂に刻まれる実績というか、データがないことになる」

「はあ。つまり何もしなければ何もしなかった人生がデータとして残ると」

「身も蓋もないが、まあそういうことだな。で、善いことをすれば、反対側へ振れた時にも善いことがデータとして反映される。これが来世だ」

「ははあ、なるほど。だからこそ悪いことも然りと」

「このふり幅の実績がポリグラフみたいに魂に刻まれるのが人生として、この内容が事前に分かっているのが――アスラ達〈死神〉だ」

 ふっと志賀の唇から吹き出された紫炎のさきには、ついさっきまで志賀がメンテナンスしていた機械がある。

 この機械に横たわるアスラの姿を、マスターはもう十数年見守り続けてきた。

「あの……ちょっとそれを聞きたかったんですが、その〈死神〉っていうのは、本当にその、本物の死神なんですか? 人間の命を刈り取ってあの世に連れて行くっていう」

「いや、アスラ達のは単なる通称だ」

「あ、そうだったんですか?」

「アンタ、あいつが迷える人間の魂を集めて天国へ連れて行ってやるような親切なタマだと思うか?」

「あ――――思いませんね!」

「だろ?」

 にやりと笑うと、志賀はスツールに腰を置いたままジャケットを羽織りなおした。

「あいつら〈死神〉が相談にのるという撒き餌を使って〈怨恨〉を抱えた人間をおびき寄せるのは、それに〈水遣みずやり〉という干渉をすることによって〈後悔〉に変容させるためだ。あんたもアスラが〈水遣り〉をやるところは何回か見てるだろ?」

「はい」

 マスターは神妙な面持ちで頷く。アスラの指先が客達の眉間――白毫部分に触れて離れた瞬間に引き出される白い糸のようなもの。あの正体が一体何なのかまではマスターも問い質していないが、あれが引きぬかれた瞬間に彼らの言う〈水遣り〉という行為が行なわれていることと、その結果として〈死神〉しか知らないはずの魂の情報――多くは来世――を人々が観測させられていることだけは承知している。

 志賀は目を細めると、おもむろに人さし指を伸ばした。とん、とマスターの眉間を突く。マスターは思わずびくりと肩をゆらした。

「志賀さん」

「見てるだろっつーか、あんたも〈後悔〉の味は覚えてるだろう?」

 マスターはぱちくりと瞬く。そして苦笑で頬を歪めた。

「志賀さん、悪戯は選んでくださいよ。人が悪すぎます」

 志賀は満足そうに微笑むと自身の前髪をさらりと掻き揚げた。

「まあそういうわけで、〈死神〉にとって〈後悔〉ってのは餌なんだな。ただし〈悔恨〉に比べれば低品質っていうな」

「その、すみません、志賀さん。最後にもう一つだけ」

「うん」

「その餌というのは、一体、何の、誰のためのものなんですか?」

 こくりとマスターが喉を鳴らす。志賀は、ふっと笑った。

「あんたはそこまで踏みこまないほうがいい。一度地獄の淵を見てるんだから、わかるだろう」

「……はい」

「俺等は、実体を持たない〈死神〉が、現世で餌集めするための仮体かたいを提供し、それを維持している。要はバケモン相手のカタギじゃねぇ商売だ。〈死神〉は人間を相手にして餌を集めなきゃならねぇから、その仕事をするために実体を獲得しなきゃならん。そのためには俺等に金を払って仮体を買わなきゃならんし、それを維持するためにこのメンテナンスポッドがいる。あんたはそれを預かってショバ代をアスラからいただく」

 志賀の指先がマスターの襟元に伸び、歪んでいたベストの位置をなおした。

「そのために、俺等はああいう〈怨恨〉まみれの人間を事前チェックして、ここにご招待するってわけだ。地獄の沙汰は――金がなきゃ回らねぇのよ」

 かたりとスツールから志賀は立ち上がると、ふふっと無邪気な少年のように笑った。

「この世のどこにも正義の味方なんざいやしねぇ。俺等も金を稼がなきゃ死ぬ。出所も根拠も必要があれば互いが呼び合う。ただそれだけだ。修羅場しゅらじょうはな、お互いに食うか食われるかなんだよ。だがな、〈死神〉の目的を知れば、あんたもほんとに人間に戻れなくなる。だから俺等のことは薄目で見とけってことだ」



 部屋を出た二人が店側へ戻ったとたん、カウンター席についてベーコンとほうれん草のパスタを口いっぱいに頬張っていたネイビーブルーの猫耳パーカー美少年が二人へ向けて「おっそい!」と悪態をついた。

「ナニコレ冷めてんだけど! 二人とも奥にしけこんで長時間何やってたのさ! やらしい! えっちぃ!」

 そんなアスラに対して、大の男二人声を揃えて叫んだ。

「「どの口がモノ言ってんだコラ‼」」


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