2 因

第24話



 年末のせまる幹線道路を一台の単車が駆ける。

 国産の1200cc。ハンドルを握るのは大柄な男だ。

 間もなく車体は横道にそれた。

 数分の後、バイクは一軒のコンビニに乗り入れる。どるどるとかしましかったものが音を消す。停車の後、長い脚をぐるりと回して男は地面に降り立った。

 フルフェイスのヘルメットを外す。中から現れたのは鋭い目つきと金髪に近い茶髪。その前髪を掻き揚げつつ、いつもの自販機で缶コーヒーを買う。

 時刻は十三時。無言のままブラックを飲み干すと、がさんとゴミ箱の中に空き缶を捨てて男は再び愛車にまたがった。

 男の目的地は繁華街にある。慣れた通い路だった。


          *


 ドアが開く音と共に、かららん、と軽い鐘の音が鳴った。

 アスラを見送った直後、煙草に火を着けようとしていたマスターが顔を上げると、一人の大柄な男がのっそりと店内へ脚を踏み入れようとしていた。男は視線だけで店内を見回してから、きろり、とその眼光鋭い目でマスターを射抜いた。

志賀しがさん、いらっしゃいませ」

 マスターが唇からフィルターを外すと、男はそのままカウンターへ歩み寄って来た。マスターの手からリリースされたその一本は灰皿の縁に、ライターはその傍にことりと戻される。

「アスラは」

「今丁度入金に出ていきました」

 志賀、と呼ばれた男は「ああ」と低いうめき声にも似た声をもらす。

「行き違ったな」

「督促ですか?」

「いや、メンテナンスに」

 今度はマスターが「ああ」と声を発する。次いでちらりとカウンター奥にある一枚の扉へと視線を投げた。

「アスラじゃなくて、ですよね?」

 マスターの問いに「ああ」とうなずきながら、志賀はカウンターの上にがちゃりとキーを放り出す。その手でパンツの尻ポケットからソフトケース入りの煙草とオイルライターを取り出し、不快そうに眉間に皺を寄せて火を着けた。

「あいつの仮体かたいに何かあったら、こっちにすぐ報せが来るからな。調子良さそうだろ?」

「ええ。よく食ってますよ」

「相変わらずクリームソーダにお子様メニューだろ」

「はい」

 志賀がわずかに伸びあがり、カウンターの内側で湯気を立てている皿を覗きこむ。

「ベーコン?」

「と、ほうれん草のパスタです」

 答えを聞くや否や、志賀は苦そうに笑うと舌を少し突きだした。

「なんだあいつ、人に飯作らせといて。食ってから行けばいいのに」

「思い立ったら即ですからね、アスラは」

 マスターが志賀の前におしぼりと灰皿を差し出す。手刀を切ってからそれを受け取ると、志賀はフィルターを親指で弾き、先端の灰を落とした。

「全く、あいつ何年人間やらせても落ち着かねぇな」

 志賀の言葉に全くだとマスターも苦笑いする。

「振り込みに行ったってことは、誰かまた相談に来たのか?」

「はい。十年ちょっと前に支払いを踏み倒した人が前回分も持ってこられて」

「あー、もしかしてアレか? 自己顕示欲の塊みたいだった若い女」

「多分それで合ってます」

 志賀は唇を横に広げるとフィルターを噛みつぶした。

「あれなんだっけ……めずらしくタマエがヤツだったか?」

「読み間違えというより、僕はタマちゃんがわざとやったんだと思ってましたけどね」

「エサにもならないのに? タマエが? アイツ毒にも薬にもならないことはしないだろうに」

「あれはなんというか――」

 といいながら、マスターはまだ湯気の昇るパスタの一皿を志賀の前に置いた。

「おっ」

「召し上がって下さい。冷めちゃいますから」

「んじゃ遠慮なく」

 煙草の火をもみ消すと、志賀は水を一口含んでからフォークを手に取った。

「つーか、その女もアホだな。今更金払いに来たってことは、よっぽどエゲツねぇ経験してきたんだろうが、そりゃあそもそもテメェの行いの悪さが跳ねかえってきたモンだしなぁ。相談料踏み倒しは賄えても、来世に持ち越しする利息分はどうせ度外視なんだろ?」

「ええ。払っていませんね。アスラもそれについては言及しませんでしたし」

「まあ、そこまで丁寧に付き合ってやる義理自体がそもそもないんだがなぁ」

「一応、来世でどうなるかは彼女に見せてあげてたんですけどね、アスラ」

「マジでか? なんでそんな大サービスしてんだアイツ?」

「さあ……それでも見せたのはらしいですよ」

「お? そうなんか?」

 マスターは肩をすくめてから志賀の前に「すいません、お好みでどうぞ」と、粉チーズとタバスコを差し出した。

「だって、利息追加分まで見せたら、本来分の支払いまでやめちゃいそうじゃないですか、ああいう人」

「あー……なるほどね」

 志賀はにやりと笑うと、タバスコを取って少々多めに皿へと振りかけた。

「お互いアスラの支払い待ちだからなぁ」

「あいつの実入りの邪魔なんて、それこそこちらには毒でしかありませんからねぇ。彼女の人生の薬になろうが、僕には知ったこっちゃない」

 志賀はフォークを皿の中のベーコンに突き立てた。

「まあ、実質そういう連中が俺らの客な訳だしなぁ。タマエに見極めてもらって、アスラに客引かせて、金を引き出してもらってナンボだわ。こちとらビジネスだもの」

「というわけで、僕はいつも通りに静観させてもらったわけなんですが――」

 と、自分の手元でグラスに水を注いでいたマスターが、ふいに歯切れが悪くなった。志賀はフォークをくるくる回しながらも、それを目ざとく見抜いた。

「どうした。なんかあったか?」

 ピッチャーをごとりとステンレスシンクの上に置くと、マスターはタオルを手にとり指先を拭う。それから無意識のように腕を組み、右手で左の二の腕をさすった。

「志賀さん、僕も大して見えるクチではないですが、あの山路――いや、今は桑名春絵さんですかね、あの人なんかね、最初からヘンだったんですよ」

「最初から?」

 ようやくフォークに巻きつけた最初の一口を、開けた大口の手前まで運ぶも、志賀は舌の上に乗せそびれたまま、ちろりと上目遣いでマスターを見た。

 マスターは頷くと、やや険しい顔で自身の顎をさする。

「ええ。確かに、あの人って毛玉付きではあったんですよ。毛玉付きにうまく〈水遣みずやり〉ができれば〈後悔〉までは持っていけますから、うまく育てれば確かにアスラの本筋の客にはできたと思うんです。ただ――」

「ただ?」


「なんかね……あれ本当に、本人から湧いて出た毛玉だったのかな……って」


 低いマスターの声音に、志賀は口を閉じた。フォークに絡んだパスタとベーコンが元の皿の上に、かたりと戻される。

 パスタは、一度は分離したはずの同胞達と再び同じ存在へと還る。

「何かが、その女から〈怨恨〉が沸くように関与してるかも知れんってことか?」

「確証はありませんが……」

 志賀は「ううん」と腕組みした。目の前の湯気を失いかけたパスタを睨む。

「マスターの勘は当たるからなぁ……」

「恐縮です」

 マスターは苦笑すると、さっき灰皿に仮置きした煙草を再びその手に取った。ライターでかちりと火を着け、最初の一口を、時間をかけて肺に入れる。

 吐きだした紫煙は、二人の間の視界を一瞬ぼやけさせた。

「見た限り、あの人は〈後悔〉はできてもそれも極微量なモンでしょうし、大したエサにはならないでしょう。〈悔恨〉までは絶対行かないと思います。アスラもそう思っているでしょうね。だから本来だったらもうちょっと減額しといて、定期的に自分のところへ金を運ばせてそれを薄くしゃぶりつつ、紐をつけて周囲の人間から大きめの〈悔恨〉が発芽するまで飼い殺しにした思うんですよ」

「まあそれが定石だわなぁ……」

 言いながら、志賀はついにパスタを一旦諦めたらしい、新しい一本を引きぬいて口に咥えるとスツールから伸び上がった。片手を伸ばしマスターの前髪を掻き揚げる。

 カウンターを間に挟んだシガーキス。

 この至近距離では、視線は合わない。両者視線は伏せたまま着火をまつ。

 紙にちり、と赤が走り、もう一本からも紫煙が立ち昇ると、志賀はマスターの前髪から手を離しつつ離れた。

 ようやく二人の視線がからむ。

「じゃあマスターは、どうみる」

「……今はまだなんとも。アスラが関与する気があるかどうかですから」

「そうか。まあそうだな」

「ただ、今回の案件、あまりにも〈怨恨〉の波及力が高すぎるんですよ。配偶者を獲り殺し、さらにはそれでも足りなくて子供にまで波及してるとアスラも断言していましたからね。でもね、それができるほどの知能や思考力があるようには見えなかったんですよ、あの桑名春絵って人は」

「うっわ、あんたハッキリ『馬鹿に作れる毛玉の量じゃない』って言ったね?」

 思わずと志賀から漏れた笑いは吸い込んだばかりの煙と共にあふれて、その間抜けさに拍車をかけた。

 マスターの指先が志賀の手前へ伸びて、共有した灰皿に先端の灰を落とす。

「毛玉を生みだす〈怨恨〉の強度は、知能と思考の咀嚼力と妄想力に相関関係がある。そう教えてくれたのは――あれ? あれ志賀さんじゃなかったでしたっけ?」

「いや多分その言い回しで覚えてるなら、川端だわ。俺もっと簡単に言うよ。馬鹿は人を呪う力も弱いって」

「そうでしたね」

 二人共通の知人である、童顔眼鏡で和装の青年を思い起こして苦笑した。確かに口から辞書が飛び出てくるような言い回しは、川端の専売だ。

 すっと志賀の目が鋭さを増した。

「アスラが何考えてるかが、ちと読みにくいな。――絞めるか?」

「そうして下さい。僕は装置の預かり賃と電気代を払ってもらえたらそれでいいので」

「おう。了解」

 苦笑をうかべつつ、マスターはカウンターの内側に手を伸ばした。再び持ち上げられた手には鍵束が握られている。

「すいません。話が長いせいでパスタ冷めちゃいましたね。あとで作り直しますから、それはもうおいといてください。アスラが帰ってくる前に装置のチェックしますでしょ?」

「ああ。そうさせてもらうわ」

 マスターの指先が灰皿に煙草を押しつける。

 志賀の視線が、ふいと紫煙の行く先へと向けられた。それは細くゆらめき、天井に届くか否かのところで、ふわりとほどける。

「――マスター。その件、黒鶫くろつぐみは関わっていそうか?」

 マスターは視線を下げると、手の中で鍵束をちゃらりと鳴らした。

「今は、僕にはまだ何とも」


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