第13話
その生真面目な気質からもうかがえる通り、人生設計を綿密に組み立てておきたい人間だった。
それなりの給料を得ているのに無駄遣いは一切しなかった。むしろ余計な出費を憎んですらいたかも知れない。
それは幼少期から続く兄との格差が要因だったのだと、春絵も共に暮らしはじめてすぐに気付いた。
賢介の実家へ行った時に、リビングの棚に並べられていた兄の名の冠されたアルバムは五冊もあったのに、賢介が自宅に引き上げたアルバムは二冊しかなかった。しかも二冊目は後半から写真が残されていない。
開いてみれば、さらにその扱いの酷さが露見する。
七五三の着物は当然お下がり。それは分かる。だが、それ以外のあらゆるところから親の節約が透けて見えた。
まず、親が撮ったスナップ写真の枚数がまるで違う。
それから参拝帰りの食事が、兄の時には親族総出の仕出しで自宅でやったのに対して、賢介の時は家族四人だけで、レストランで済ませている。
これはリビングに飾られていた家族写真から分かった。兄の時のものと子供達のものが並んで飾られていたのだ。
入園式、入学式、運動会、文化祭、あらゆる場面で親の関心が薄いことが見て取れる。あらゆる場面で全てがそうなのだ。
写真で見るだけでもそれは明白だった。帰宅早々、賢介がアルバムを押し入れの上の棚に押し込んだことからも、彼の本音は透けて見えた。
いっそ、痛ましいのを通り越して清々しいほどに明け透けだった。
特に酷かったのは、進学における格差だった。兄は中学から地元の私立一貫校に通わせたらしいが、賢介が通ったのは公立校だった。彼も兄と同じように中学受験を希望したらしいが、小三の彼に親が返した言葉は「本当にお前に必要だと思うのか?」だったそうだ。それで賢介は完全に委縮し――恐らくいじけてしまったのだろう。
中高と公立で通したあと大学を東京の私立にしたのは、せめてもの意趣返しだったのだ。ここまで俺には学費をケチったんだから、大学進学にぐらい金を出せと。
賢介には、親に対する愛着や信頼感がまるでなかった。
ドライでビジネスライクで、必要以上に親とは関わりたくない。
ああ、だから
彼は初めから、その人生設計の中で、実家を頼る気などさらさらなかったのだ。
もうこれ以上、自分のことを親の都合がいいように扱われたくなかったのだ。
第二子の冷遇は春絵にも痛いほどわかる。
結局第一子ほどには手や金をかけてはもらえないのだ。
そのくせ、上の子に何かがあった時には「あなたはあんな風にはしないで、親の期待に応えてくれるわよね」とすり寄ってくるのだ。
あなたのほうに期待しているわという餌をちらつかせながら。
今なら少しだけわかる。
きっとそうやって、親にコントロールされて振舞い方を決められてきた。そして、その期待通りに動けば、上の子より自分のほうが優れていると思い込めたから、その甘い餌にまんまと喰いついてしまった。
上の子は期待外れの失敗作だった、と思えれば思えるだけ溜飲が下がった。
そんなつまらないものに齧りついて、上へ上へと上がることに執心した。いつか、上を引きずり降ろすことを夢見て、上の子が転げ落ちるさまが見たくて見たくて仕方がなくて、そのために周りがなんにも見えなくなって。
ああ、自分達は似た者夫婦だったのだ。
賢介の節約気質は、春絵に気晴らしのための軽率なショッピングを許さなかった。しかし、どの道お腹は毎日大きく膨れてゆく。そんな状態でおしゃれも何もなかったし、動き回るのも億劫になっていたので、さほど問題視はしなかった。
月々の生活費は決められていて、それ以上に下ろすことを認められなかったから、最初の頃はよく独身時代の貯金を切り崩した。しかしそれも長くはもたない。あまりに厳しいと感じたので、レシートを並べて生活費の増額変更を求めたら、なんと賢介は自身の小遣いを半額にしてきた。減らした分を生活費に充ててくれという。
彼は、将来的に第二子が出来ることを想定していて、二人とも希望の進学先が遠方の私立だった場合を考えると、最終的に達成しなくてはならない貯金額を用意するためには、今からこのペースで生活していかないとギリギリなのだという。
「それに、はるちゃん、今のままアパートで暮らしていくと、近いうちに辛くなるよ。子供は大騒ぎするからね。隣近所に騒音を気使いながら暮らすよりさ、隣と距離が取れる一戸建てに移り住むほうがいいと思うんだ」
そう言って、賢介は春絵の頭を撫でた。
「ごめんね、少しだけ、僕と一緒にがんばってくれる?」
春絵は――今まで信じたこともない神に向かって感謝した。
こんなに具体的な幸せの形を考えて、実行して、提供しようとしてくれる男なんてそうそういないだろう。
春絵は、顔をくしゃくしゃに笑ませて何度もうなずいてから、お腹を撫でて信絵に話しかけた。
「あなたのパパは世界一だよ。絶対に、二人であなたをしあわせにしてみせるからね」
そういう春絵に、賢介はくすぐったそうに笑った。
そうして、信絵が生まれて、彼女が幼稚園に入園するのを機に、一家は郊外に移り住んだ。中古の、都心から二時間の住宅街にある一軒家だった。
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