第11話
怒りにまかせて
最低最低最低だ! もう絶対何があっても二度とあんな店に行かないし、あんなガキに相談なんかするもんか!
小走りで駅の方へ向かいながら、気がつくと春絵は泣いていた。
どうしてあたしばっかりこんな酷いこと言われて、なんであたしばっかり酷い目に合わなきゃいけないの?
皆あたしのことばっかり責めてくるの。
こんなに一生懸命がんばってるのに。
自分が幸せになるために必死になって何が悪いの⁉ 自分の人生を自分で切り開くためにがんばることを馬鹿にして笑うのなんで? そんなことするヤツらこそ不幸になってしまえばいいんだ。
地獄だ。
地獄に落ちろ。
周りのやつら全員、血の池地獄とか、針山地獄とかにぶち込まれればいいんだ!
あふれる涙を堪えながら、携帯電話を取り出して春絵は
ぷるるる、ぷるるる、と、耳の傍で音が鳴る。
だめだろうな、無理だろうなと思いながら、それでも繋がってほしくてガマンできなかった。
と、ぷ、と音を立てて電波が繋がった。
〈もしもし?〉
そうだ、と春絵は鼻をすすりあげた。桑名は営業職も兼ねているから、こういうところで融通が利いたのだ。
「あの、あたし……」
こういう、話しを聞いて欲しい時だとか、痒い所に手がとどくのとか、そういう良いところがあるのだ、桑名には。
春絵のことも、馬鹿だなんて言わない。
蔑むような目で見てきたりしない。
ただただ、眩しいものをみるような目で見てくれる。
甘やかしてくれるの。不器用そうに。
いいじゃない。もうこいつで十分じゃない。
この瞬間、すとんと腑に落ちるように春絵はそう思ったのだ。
あたしも良い年だし、分別ざかりのいいオンナなんだから。
いいじゃないの。
〈――どうしたの? はるちゃん。きょうお仕事は?〉
「あの、あのね」
〈はるちゃん? もしかして泣いてる?〉
「うん。――うん、ごめんなさい、仕事中に」
〈いいよ。ちょうど昼休憩とれなくて、いまお昼食べて――あ〉
「?」
〈はるちゃん、横見て〉
「よこ?」
きょときょとと頭をめぐらせて、春絵も「あ」と口をあけた。
自分が涙を流しているのが、すぐ隣にある店の窓に映っている。そしてその奥に――牛丼の皿を前にした桑名がいて、ふわっと笑っていた。
ははっと、気が抜けた。
そうだ。この人は、こんな風にして笑うのだ。
色んなトゲトゲしたものを削ぎ落したような笑い方をするのだ。
確かに、周りに強く出られるタイプじゃない。だからなめられたりイジラれたりしがちなのはわかっている。だけど、でもいいの。
この人が一番あたしの気持ちを楽にしてくれる。
そうだ。忘れてた。
だから、この人と付き合おうって思ったんだ。
店の中から桑名が慌てたように出てきた。携帯を握りしめて泣きながらうずくまっている春絵の傍で、桑名も同じように困った顔で軽く腰を曲げる。
「大丈夫? 何かあった?」
「ごはん……」
「ん?」
「ご飯、まだ終わってないんでしょ?」
春絵が聞くと、桑名は店の方へと軽く首を向けてから、また春絵を見た。
「そうだね。はるちゃんはご飯は?」
「まだ……たべてない」
「どうする? 場所変えたい? はるちゃん、こういうお店好きじゃないでしょ?」
今目の前にあるのは、全国津々浦々にある牛丼チェーン店だ。
春絵はなんだかふっと肩の力が抜けた。
顔をくしゃくしゃにして笑いながら、首を横に振る。
「あたし、牛丼もファストフードも好きよ。我慢してるだけで」
桑名もくしゃっと顔を歪ませて笑った。
「そっか。じゃあ、ここで一緒に食べる?」
「うん」
頷くと、桑名は春絵へ手を差し伸べた。
その手に手をあずけると、思った以上にその手は温かかった。そして、強い力で引っ張り上げてくれた。
ああ、この人はあったかいんだ。
この人の顔を見ていたら、もう他の人のことや、目や、考えとか、春絵のことをどう思うかとかまで、全部どうでもよくなるんだ。
いらなくなるの、他人なんか。
そっか。わたし、この人といると、すごく安心して力が抜けるんだ。
気付いた。
気付けたの。やっと。
はじめて、本当に心から真っすぐに桑名の顔を見て、春絵は小首を傾げて笑った。多分涙でお化粧も落ちてぼろぼろだったと思うが、そんなことは、もうどうでも良かった。
間違いない。
この人となら、あたし幸せに生きていける。
「けんちゃん」
「なあに?」
「あたし、けんちゃんのお嫁さんになっていいかな?」
春絵の言葉に、一瞬桑名は面食らったような顔をして、それからゆっくりとその顔を泣きそうにぐしゃぐしゃに歪めて、大きく何回も何回も縦に振った。
「うん。ありがとう。ぼく……ぼくと、ずっと一緒にいてくれますか?」
「はい!」
こんな、牛丼屋の店先で泣きながらプロポーズのOKをするなんて、こんな未来描いたことなんてなかった。でも、これでいい気がした。これが幸せっていう形のような気がした。
だから――――自分が今までやってきたことなんて、すっかり忘れてしまったのだ。
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