第6話


「え? 相談屋の男の子?」

 退勤後にロッカールームで佐々木ささきつかまえて例の話をはるがもちかけると、彼女は目を丸くしてそう、おうむ返しに聞いてきた。

 春絵はうんとうなずきながら、ぱちんと両手を合わせた。

「ごめんね、盗み聞きしたみたいになっちゃって。しばらく前に、宮田みやたさんとそんなおはなしをしてたような気がしたんだけど。あたしの記憶違いだったかしら」

 佐々木は、自分の顔の前で、ぶんぶんと手をふった。

「ううん、したよ。したした。えっとねー、なんか池袋の外れにある占いの館の所属らしいんだけど、そこに部屋はもってなくて、別のところにあるバーで席を借りてやってるんだって」

「そうなのね。あの、どんな相談でも解決してくれるとかだっけ?」

「うん。ていうか、困ってることを相談したら、それに直接関係あることじゃないかもなんだけど、これをこう改善したら解消できるよーみたいな助言をくれるんだって。……なんか、色々よく見えちゃう人らしいよ。警察とかの捜査協力もしてるって噂では言ってたけど」

 それは、思っていたよりも本物だと春絵は驚いた。

「へー、すごいんだね。ねぇ、その人との連絡の取り方とかってわかる?」

山路やまじさん、なにか困ってることでもあるの?」

 ぱちくりとまばたく佐々木に、春絵は(さぐるようなマネしてんじゃねぇよと)内心舌打ちしたが、ううんと困ったように微笑みながら首を横に振った。

「ほら、最近所長が、なんか変な電話がご自宅に掛かってきて奥さまが大変って言ってらしたじゃない?」

「ああそれね? 宮田さんとも話してたのよ。もうそろそろ警察に相談したほうが良いんじゃないって所長に言ってみよっかって」

 そんな余計な口出しすんじゃねぇよクソ馬鹿女共が!

 内心叫びながら、春絵は顎の下にそっと指先を当てて困った顔をして見せた。

「やっぱり皆心配してるわよね。でも、さっきのお話の男の子? みたいな人に一旦相談してみてからの方が――いきなり警察っていうよりも、大事おおごとにしないで穏便に解決できたほうが、奥さま的にもいいんじゃないかしらって……」

「そっかー、それもそうだよねぇ。警察までいったら、逆に奥さんもストレスになっちゃうかもだしねぇ」

「そうなの。それで、連絡先とかって……」

「ああ、ちょっと待ってね」

 言いながら、佐々木はカバンの中の携帯を漁った。

「あ、あったあった」

 佐々木は、指先で携帯を操作してから、春絵に画面を見せてくる。そこには、ちかちかと目が痛くなるような色彩で表現された、何かのサイトが表示されていた。

「これね、ここがその占いの館。ここのオーナーの占い師さんが連絡の取り方を知ってるらしいから、ひとまずここに行けばいいんだって」

「そうなんだ。ありがとう。写メ撮らせてもらうわね」

「どうぞどうぞ」

 春絵は自分も携帯を取り出すと、佐々木が差し出してきた画面を撮影した。ピントを合わせるのに苦労したが、なんとか後から読み取れるものを撮影し終えると、佐々木に礼を言ってポケットにしまいこんだ。

「……ただね」

 と、佐々木が続けたのに、春絵は顔を上げた。

「ただ?」

「実際に話を聞いてもらえるかどうかは、会ってみないとわかんないんだって。あと、代金は後払いでいいらしいんだけど、値段がなかなかすごいらしくって、それ聞いて相談止めちゃう人も結構多いみたいなの」

 なるほど、そういうからりか。やっぱりそうそう美味しい話は転がってないはずだと、春絵は少しばかりがっかりした。

 佐々木も自分の携帯をしまい込みながら、カーディガンを羽織った。

「お客さんを選ぶって意味でも難しい子みたいだけど、相談した人で助言が間違ってたって人は一人もいないみたい。だから本当のとっておきね。じゃ、お先に」

「お疲れさまでしたー」

 手を振って佐々木を見送ってから、春絵は自身のロッカーを開くと、扉側に据えつけられている鏡を見、そこに映る自分の顔を睨み付けた。

 いつまでも、こんな事ばかりしていられない。

 先週末、ついに桑名くわなから正式にプロポーズされたのだ。

 だが、春絵は少しだけ考えさせてくれと、保留にしてしまったのだ。

 小峰こみねとその妻のことがまだ気にさわっていた。ついでに、胸の奥の黒い毛玉も取れていない。だから、心の底から気持ちよくは了承できなくて、それで即答できなかったのだ。

 交際をはじめてから一年半というのは決して短い期間ではなかったが、お見合いで結婚を決めるような場合はもっと早いだろうし、けじめをつけてくれるのが早いという意味ではよかったのだ。

 だからこそ、すっきりと気持ちよく受けられなかったことが腹立たしくて堪らない。

 あいつらのせいで、あのデブスの嫁のせいで、あたしのせっかくの門出が台無しじゃないか。どうにかして、このイライラもやもやとしたものをスッキリさせてくれないだろうか。そのためなら――多少のお金くらいなんとかできる。後払いでいいなら、桑名にねだって出してもらってもいい。それくらいの事はしてくれるはずだ。だって、あたしにはそれだけの価値があるはずなんだから。じゃなかったらプロポーズなんてしないはずでしょ?

 もしそれが難しくても、最悪小峰に手切れ金変わりの口止め料として出させてもいい。旅館の布団の中でこっそり撮ったツーショットの写真は、まだパソコンの中に保存したままにしてある。そういう隠し玉をあたしに持たれているなんて、きっと小峰は想像もしていないだろう。あの男も馬鹿なんだ。周りの人間なんて、自分のために利用するものだとしか思っていないから、警戒なんかまるでしていない。自分の手落ちなんか、あるはずないと過信している。

 そうでしょ? それくらいしてくれたっていいじゃない。

 だってあたし、若くてかわいくて美人なんだから。



 占いの館のオーナーだと聞いていたので、春絵は年のいった化粧の濃いおばさんを想像していたのだが、訪ねて行って出てきたのは、一瞬絶句するほどのはかなげな美女だった。

 薄い黒と、薄い紫のサテンに、同色のオーガンジーを重ねたサリーを纏ったその女は、谷村たにむらと名乗った。

 気がかりな悩みがあるから、それについて助言を請いたい。ついては件の彼の連絡先が知りたいと告げると、はっきりとした二重の綺麗な目でじっと春絵を見つめたまま、谷村は頷いた。

「――お話はわかりました。ただ、わたしから彼に直接つながるラインはないんですよ」

「どういうことですか?」

 怪訝な顔で尋ねると、谷村は再びゆっくりと頷く。

「なにせ、本当によく見える子なので、お客様を厳選させていただいているんです。ここは、あくまでご紹介の中継地点であって、お話を受けるかどうかは、ここでは判断がつけられないんですよ」

 なんて面倒くさいんだと、春絵は尋ねてきたことを後悔しかけたが、それだけ本物だということなのだろう。

 谷村が机の下から、一枚の名刺を取り出した。

「こちらの方を訪ねてください。後のことは、うまくいけば、そちらでうかがうことができますので」

 受け取った名刺には、愛想のない、住所と名前だけが記載されていた。


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