第7話
――そこからが最悪だった。
名刺に書かれていた住所は、五駅隣の駅から三十分歩いたところにある煙草屋のものだった。店番の老婆に名刺を見せつつ話をすると、そこに書かれていた三村タマエというのは、老婆ではなく、その膝の上にいた猫の名前なのだという。
じっとりとした寒気のする目で猫はじっと春絵を見たあと、ぬるりと店先に飛びあがり、春絵の前で香箱を組んだ。
すると老婆が「きしし」と
「あんた、それ。首輪みて」
「へ?」
「タマちゃんのお許しが出たよ。次行っていいってさ」
見れば、その首輪にピンクのハートの飾りがついている。恐る恐る手を伸ばして引っ繰り返すと、裏に名前と電話番号が書いてあった。ハートと一緒に下がっていた小ぶりの鈴がちりりと鳴った。
次は待ち合わせ場所を指定された。
駅近の家電量販店。その一階のパソコン売り場の目の前の、休憩スペースだった。
気持ち悪い汗くさいデブ男や、チェックのシャツに猫背でリュックを背負った眼鏡の不細工男とかが、わらわらと行き交っている中に、たった一人、異質な人間が混ざりこんでいた。
飛びぬけた小顔を華奢なスタイルの上に乗せて、それをピンクのフェミニンなワンピースに包んだ、色白の美少女だった。こんなところより港区が似合いそうだが、若干幼く見えるので、多分高校生だろう。港区予備軍といったところか。栗色のロングのウェーブへアが、その背中でゆれていた。
ホイップのたっぷり乗ったアイスカフェモカらしきものを側におきながら、少女は軽蔑するような目でノートパソコンを叩いている。春絵が恐る恐る近づき「
「――最近訪ねてくるの、おばさんばっかりなの、なんでなの?」
がつんと後ろから頭を殴られたようなショックを受けた。信じられない。あたしはおばさん呼ばわりされるような年じゃないわよ! と、春絵は叫びだすところを必死でこらえた。それでも後から湧き上がるような憎悪がついてきて、その衝撃で身体が震えた。なまじ彼女を見て美少女だと自分自身で思ってしまったあとだったから、余計に始末が悪かった。だが、当の滝沢は実にめんどうくさそうに「まあいいわ」と溜息を吐いてから、頬杖をついて、改めて春絵を見た。まるで、ゴミを見るような目で。
「ねぇおばさん、今まで生きてきた中で、最悪だった思い出って、なに?」
唐突な質問に春絵が面食らっていると、彼女は、ずずずとストローを啜ってから「言わないなら言わないでいいけど。でもその場合はここで終りね」と言ってのける。
ざわざわとした不快感の中、しばらく考えてから、思い出した。
「――親戚が持ってきたヨーロッパ一周旅行のお土産が二種類あったの。オルゴールとぬいぐるみ。姉と二人でどちらか好きな方を選びなさいって言われて、ぬいぐるみを取ったの。だけど後からオルゴールの中には本物の宝石がついてたって気付いて、取り換えてって言ったけど、聞いてもらえなかったの。――四歳の時よ」
「それで、その後どうしたの」
「その後って」
「本当のこと言っていいわよ。どうせあたししか聞いてないんだから」
「――棄ててやったわ。オルゴール。近所の貯水池に」
ずず、と啜っていた音をとめて、滝沢は視線を上げると、にやりと嗤った。
「そう。思い通りにならないなら棄ててやるってことね。わかったわ。貴女は多分ゴールできると思う。がんばってね」
言いながら、走り書きのメモを春絵に手渡すと、パソコンをカバンにしまって彼女は立ち去った。
その次は、街の外れにある骨董品店だった。表にあった表札には
それからしばらくして、老婆に代わり出て来たのは、辛子色の着物をきた眼鏡の男だった。「おまたせしました」と、にこやかに春絵に会釈した男は、案外若くて、こんなところには似つかわしくないくらいのアイドルっぽい顔をしたイケメンだった。
「すみません、お店に急にお邪魔してしまいまして。こちらのメモをいただいてきたのですが」
「はいはい。存じ上げていますよ。ご相談事のご紹介ですよね」
「はい」
微笑んで見せる顔に、少しだけ小峰を思い出した。どことなく似ているような気がした。
「ここまで辿り着ける方も、そうはいないんですよ。私の前の子、なかなか難しい感じだったでしょう? 暴言を吐かれませんでしたか?」
「ええ――ちょっと、まだ若いから仕方がないんだろうなとは思うんですが。失礼を失礼と知れないって、怖いことですよね」
春絵の言葉に、男は「うふふ」と笑った。
「事実を事実として受け取ることができない頭というのも、なかなか怖いことだと私は思いますけどねぇ」
「――え、……へ?」
「ところで、コーヒーと紅茶、お好みの飲み物は?」
急に問われて面食らう。というか、その前に、何? と思った。今、春絵はこの男に何を言われたのだろうか? 事実? なにが?
「あ、ええと、じゃあコーヒーで」
春絵が言うと、男はにっこりと頷きながら名刺を差し出した。
「そうですか。私はどちらも嫌いです。煙草とコーヒーの匂いってね、混ざると口が下水みたいな匂いになるそうですよ。さあ、どうぞ。次へ向かってください。二重の意味で、お気をつけて」
そう言って、その手を表へ向けた。
その次は、場所だけでなく時間指定まであった。月曜の朝、午前七時半に、とあるコンビニ前にバイクを停めてコーヒーを飲んでいる男がいるから、それを訪ねろと名刺には書かれていたのだ。同じようなヤツがその場に何人もいたらどうしよう、そうしたら誰がそうなのか見分けられないのではないだろうかと、ドギマギしながら春絵は指定場所へ向かったのだが、結局そこには一人しか人間がいなかった。
「
一人その場に取り残された春絵は呆然とし、ついで
――最悪だ。まるで
うんざりしながら、志賀某に渡された名刺を見ると、それはバーのショップカードだった。
BAR Neighbor
洒落ているのかダサいのか分からないフォントで、店名、住所、電話番号が印字されていたその名刺には、かすれかけたボールペンでこう追記されていた。
『水・木のみ ゴール おつかれさま』
我知らず、春絵の頬に笑みが浮かんだ。
やった。
ほらね、やっぱりあたしは特別なのよ。だってあたしなんだもの。上手くいくに決まってるって思ってた!
名刺を空き缶と共に両手で握りしめながら、その場で喜びの悲鳴を上げて春絵は飛び跳ねた。
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