第18話ラッキースケベの女神の計略

 三津島クロエが我が家の風呂に消えてから、十分程度経過した。


 風呂に消えた三津島クロエの代わりに食器を洗いながら、俺はジットリと考えた。




 この上達具合なら、おそらく三津島クロエはあと二週間もあれば、八百原那由多に持っていくことができるレベルのお弁当を作れるようになるだろう。


 今まで色仕掛けの力押しで迫るばかりだった三津島クロエが持つ、意外に家庭的な一面――それは八百原那由太の性格を考えれば、十分にギャップ的な魅力として伝わるはずだ。


 それに今朝、三津島クロエが飛びついてこなかったとき、八百原那由太は明らかに寂しそうな表情を浮かべていた。


 俺が零宮零二としてこの世に転生したおかげで、明らかに最近、あいつのペースをいい意味で崩せていると思う。


 ハーレムラブコメの主人公らしく、恐ろしく鈍感とは言え、八百原那由太だって三津島クロエの何かが変化したことに気づいているだろう。




 だが――本当に、三番目のヒロインであるアイツが、初恋相手の一葉美雪、義妹である二階堂奏に勝てるのだろうか。


 先にも言ったが、世間にあふれるハーレムラブコメにおいて、三番目のヒロインは鬼門。それは決して選ばれることがない負けヒロインに用意された席次。


 気の毒なことにその席に座ってしまった三津島クロエという人が、並み居る強敵であるあの二人を斃し、主人公に選ばれることなど有り得ることなのだろうか。




 ナイター中継の音声が、ニュースに切り替わった。俺の創ったこの世界は、午後九時を回ろうとしている。


 最後に残ったフライパンを水道水で濯ぎながら、考えた。


 もし、三津島クロエが八百原那由太に選ばれなかったとしたら――再びその想像をしかけて、いいや、と俺は首を振ってその先の想像をかき消し、フライパンを水切り場に置いた。




 八百原那由太だって、俺が創ったキャラクターなのだ。


 優柔不断で、ヘタレで、あまり頭もよくないけれど、誠実で、誰よりも優しい男なのは間違いない男だ。


 一葉美雪も二階堂奏も、そして三津島クロエも、八百原那由太が誰よりも誠実である事は知っているし、そんな男だから好きになった。


 そんな八百原那由太が最終的に誰を選んだとしても、彼女たちはその決定を尊重し、祝福する。


 それは俺が――零宮零二ではない、この世界の原作者である四ノ原ヨンだからこその確信だった。




 忘れるなよ、と俺は俺に言い聞かせた。


 俺はこの世界の原作者であるけれど、今はこのハーレムラブコメの主人公の親友キャラである、零宮零二なのだ。


 俺が出来ることは、あくまでサポートであり、この世界を好き勝手にリメイクし、彼らや彼女たちの運命を捻じ曲げる権利は、今の俺にはない。


 三津島クロエが最終的に選ばれなかったとしても、俺はその運命を受け入れねばならない。


 そう、その時はその時――どんな結果であっても受け入れる。


 それが原作者であり、今は主人公の親友キャラに転生してしまった俺に出来ることなのだ。




「お兄様、乾燥が終わりました」




 不意に――えるがそう言い、俺は物思いを打ち切った。


 忙しそうにパタパタと走り回っていたえるが、丁寧に畳まれた三津島クロエの制服を手に俺のところに駆け寄ってきた。




「お兄様、申し訳ないんですけれど、これをお風呂場に持っていってくださいませんか?」

「えっ――お、俺が?」

「ちょっと今、手が離せないんですよ。大丈夫です、クロエさんはまだお風呂に入ってるんですから。ではお願いしますね?」




 推し被せるように言って、えるは綺麗に畳まれた制服のワイシャツを俺に押し付け、家の奥に走り去っていった。




 うむ? お兄様大好きのえるの性格を考えれば、こんなことは普通俺には頼まず、自分で脱衣所に置きに行くだろうに、何故にその役が俺?


 乾燥機から取り出した直後でまだほかほかと暖かい三津島クロエの制服をしばらく不可解さと共にまじまじと見つめて……俺はあることを納得した。




 おお……流石はハーレムラブコメの世界。


 なるほどなるほど、そういうことね。


 これはつまり――ラッキースケベチャンス、ということだ。




 つまり、俺がこの着替えを風呂場に持っていったところ、お風呂から上がりたての三津島クロエの裸体と鉢合わせしてしまう、ということ。


 三津島クロエと俺はしばらく呆然と見つめ合った挙げ句、ようやく状況を飲み込んで赤面した三津島クロエが「どこ見てんのよ!」などという金切り声とともに、俺を鉄拳制裁。


 俺は鼻血を噴き出しながら背後に吹き飛び、乱暴に閉じられた風呂場のドア越しに、痴漢! とか、変態! とか、エロバカ! などという罵声を浴びることになる……と、ざっとまぁそんなところだろうか。




 そう思うとなんだかムカついてきて、ふん! と俺は鼻息を荒くした。




 この世界め、ここにこの世界の神たる俺がいるというのに、随分ふてぶてしいイベントを勝手に用意するものだ。


 だが、平成半ばの時代ならいざ知らず、今は生憎令和の御世みよ、そんなあからさまなラッキースケベが通用する時代ではない。


 今の時代のヒロインのトレンドは包容力も家事力もある敬語の全肯定ヒロインであり、暴力系ヒロインはどんな理由があっても嫌われる。


 もし俺がこんな安易なセッティングのラッキースケベに巻き込まれたら――それをシバく三津島クロエにまで被害が及んでしまうではないか。


 


 だが安心しろ、こちとら百戦錬磨のラノベ書きだ。ワナビだけど。


 この令和も始まってすぐのこの世の中に生きる俺が、こんな安易なラッキースケベチャンスになど振り回されることはない。


 見ていろ傲慢なラッキースケベの女神よ、俺はお前の思惑などにハマらないぞ――そんな決意とともに俺は畳まれた制服を持って立ち上がり、風呂を目指した。




 我が家の風呂場のドアの前に立った。


 この向こうであのHカップJKが全裸になっているんだなぁ……という爽やかな感動はあったが、同時に緊張もあった。


 気をつけろ、俺。今この瞬間にも前触れなく三津島クロエがドアを開け、三津島クロエの半裸体と遭遇してしまう可能性もある。そうなったらこんな安易なセッティングのラッキースケベは成立してしまうのだ。


 俺は急にドアを開けられないよう、ドアノブを掴んでから、ドア向こうに慎重に声をかけた。




「クロエ、洗濯終わったぞ!」




 俺の大声に、はーい、という気の抜けた声が聞こえた。




「いいか、今から脱衣所に入って脱衣籠の中に制服を置くからな!」 

「はーい」

「わかってると思うけど、俺がいいって言うまで出てくるなよ、絶対出てくるなよ! いいか!!」

「はーい」

「いいか、重ね重ね言っとくけど、絶対風呂から上がるなよ!? わかったか!?」

「何よ、めっちゃしつこいじゃん。それってフリ? 上がれってこと?」

「間違ってもフリじゃない! いいか、俺は事情があって絶対にお前の裸は見たくないんだ! 絶対に鉢合わせしてくれるな!」

「もうわかったから早く制服置いて」




 よし、これだけ釘を刺せば大丈夫だろう。


 俺は慎重にドアノブを捻り、脱衣所に侵入した。




 脱衣所の中には、なんだかいつもと違う、発情期のメスの甘い香りが漂っている気がした。


 なるべく脱衣籠の中は見ないように……などという事前の戒めなど、脱衣籠の中の水色のブラジャーが目に入った時点で消し飛んでいた。


 おお、どんだけ巨大なものを支える想定ならこんな布地面積が必要なのだろうか、と水色のブラジャーを見つめながら、俺は真剣な驚きに目を丸くした。


 さっきまであのお色気担当ヒロインのお色気担当たる部分を必死になって支えていたこのブラジャー、大変だよな、お前も……などと何故か妙なシンパシーを感じながら、俺はその上に洗濯が終わった制服を置き、摺りガラスの向こうで蠢く肌色に声をかけた。




「今、制服置いたからな! いいか!」

「ほーい、ありがとう」

「ちなみに、俺は何も見てないからな!」

「いやいや、ガッツリ見たでしょ。白々しいぐらいウソじゃん。私の下着って零宮から見てどう? エロい? これなら八百原もちそう?」

「生憎何も見てないんで判断はしかねる! それとあんまり勃つだのなんだのという言葉を女子高生が口にするな!」

「はーい」

「じゃあ、俺はこれで!」




 俺は慎重に回れ右をし、足元を注意深く観察した。


 ここに何かの間違いでテニスボールかなんかが転がっていて、ウッカリそれを踏んづけて背後に転倒の上浴室に入場、などということになったら、そこでラッキースケベは成立だ。


 俺は一歩一歩、まるでスケートリンクの上を歩くように慎重に歩を進め、脱衣所のドアノブを掴み、ドアを慎重に開け放ち――浴室外に出た。




 そろそろと全身を乗り出し、後ろ手にドアを閉めて――俺は嘆息した。


 よかった、何も起こらなかった。


 俺はこの安易なラッキースケベチャンスに、俺自身の創意工夫で打ち勝ったのである。


 何度も何度も言うが、今は令和の世の中で、平成半ばのラブコメのような安易なラッキースケベはご法度なのである。




 でも――と俺は、少しだけ寂しいような気持ちになった。


 俺だってどうせラブコメのキャラに転生したなら、ちょっとぐらい、ちょっとぐらいの予想外があってもよさそうなものだけどなぁ――。




 一瞬、俺は頭の片隅でそんなことを考え、慌ててその想像を振り払った。


 いかんいかん、何をこんなシチュエーションを安穏と享受しようとしてるんだ、俺は。


 これも何度も何度も繰り返すことだが、俺は歴戦のラブコメラノベ作家ワナビとして、今後も断固安易なラッキースケベは断るぞ――。


 俺は俺以外の何者かにそう宣言し、リビングに帰る一歩を踏み出そうとして――急に聞こえた、カサカサッという細かな音に凍りついた。




 これは――俺の全身の血流が止まった。


 俺が今しがた音が聞こえた方を振り向くと……やっぱり、そこにいた。




 【漆黒の弾丸野郎ゴキブリ】――四ノ原ヨンである俺が、前世から最も忌み嫌う存在。


 そんな忌むべき存在が、二本の長い触覚をゆらゆら揺らし、俺に真正面を向けているのを見て――俺は全身の血が一気に下降する感覚を覚えた。




 うひっ、と悲鳴を上げて固まった俺に向かって、案の定ゴキブリは羽を広げ、ブブブブという忌まわしい羽音とともに、真っ直ぐに飛びかかってきた。




「うぇ――!? ウギャアアアアアアアアア!!」




 悲鳴を上げ、俺は最も手近にあった脱衣所のドアに飛びつき、一息に開け放って中に飛び込み、死に物狂いでドアを閉めた。




 ドッドッドッドッ……という心臓の音をうるさく思いながら、俺は脱衣所のドアに背を向けてへたり込んだ。


 俺が四ノ原ヨンだった子供の頃、あの忌むべきクソ虫に顔に飛びかかられて以来、ゴキブリは大の苦手を遥かに通り越して不倶戴天の敵同士なのである。




 よかった、なんとか命拾いした――。


 俺がようやく呼吸を整え、ふと顔を上げた先で。




「え、零宮――?」




 瞬間、俺は残忍なほどに狡猾なラッキースケベの女神の策略に、まんまとハマったことを悟った。




 そこには、バスタオルに裸体を包み、へたり込んだ俺を目を丸くして見下ろしている三津島クロエが立っていた。




 はっ、と、俺がそこで息を呑み込んでしまったのは、驚いたからではない。


 見惚れたからだ。




 まるで神が手ずから創り出したかのような、長くしなやかな肢体、タオル程度の分厚さでは到底隠しきれない、女性的に過ぎる身体の凹凸、湯上がり色に色づいた肌、濡れた肌――。


 三津島クロエという人が女性として兼ね備えるもの――その全てが、まるで魂を吸い取る魔石のように作用し、俺は一瞬、驚きではなく、真剣な興味によって絶句してしまった。




 おそらく、俺たちが見つめ合っていた時間は十秒に満たなかったけれど――その時間は数十秒、数分、いやもっと長く、永遠にも思われた。




 しばらく、その輝かんばかりの魅力を放つ半裸体に呆れるほどに見惚れてしまってから――。


 あっ、と、急に何かを悟った様子の三津島クロエが。




「なんだ、やっぱ見たかったん? ほら」




 バッ、と、身体を包んでいたタオルを開いて、俺に思いっきり、見せつけてきた。




 ――ああ、そうでした、お前ってそういうヤツでしたね。


 ――こういう時のお前なら、真っ赤になって俺を鉄拳制裁なんかしない。


 ――むしろ大っぴらに開け放って見せつけてからかってやろうって、そう思うヤツでしたね――。




 その裸体が視界に飛び込んできた瞬間、俺の鼻から信じられない勢いで鼻血が飛び散り、ぼたぼたと滴って脱衣所の床を赤く染め上げた。




「ええっ――!? ちょ、零宮大丈夫――!?」




 ――いやホント、ラブコメ世界ナメてました。


 ――こういう世界ってこういうとき、ホントにエロ漫画みたいに鼻血が出るんですね、ビックリですよ――。




 俺は狡猾で残忍なラッキースケベの女神に完全敗北したことを悟りながら、ゆっくりと、脱衣所の床に倒れ込んでいった。







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自作のハーレムラブコメラノベ世界に転生したら、三番目のお色気担当負けヒロインが保健室で主人公を逆レイプしようとしていた ~このままだと負け確なので原作者である俺が彼女を正ヒロインに書き換えます~ 佐々木鏡石@角川スニーカー文庫より発売中 @Kyouseki_Sasaki

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