02 荷馬車に乗って
数日前。
松方幸次郎は、パリのモンパルナスを歩いていた。
ステッキを突く幸次郎の背に、声がかかる。
「叔父さま!」
「やあ、竹子か」
女性の呼び声に、幸次郎は快活に答えた。
幸次郎は黒木竹子の叔父であり、明治の元勲・松方正義の御曹司である。
「三次くんは?」
竹子の夫、黒木三次は
「あの人は今、
蚤の市とは、古物を街角で売る市場で、
「でも、あの人からこれを預かっております」
竹子は一通の便箋を差し出す。
宛先は「Claude Monet」と記されていた。
「
幸次郎はウインクして便箋を受け取る。
「でも叔父さま、何でその、
「そりゃ、決まってる」
竹子は怪訝な顔をする。
たしか、モネは売る用の画は全て売っており、手元に置いている画は自分用の画のみだという。
「ですので、行ったところで断られるのでは」
「まあ、そうだろうね」
ただ、だからこそ、と幸次郎は思うのだ。
あのモネが自分用と取っておくような画だからこそ、手に入れる価値がある、と。
幸次郎の夢は、西洋絵画を日本にもたらし、人々の鑑賞に供することだ。
幸次郎は竹子の寄越したモネへの紹介状を握る。
「何としてもモネの自分用の画を手に入れてみせる」
*
こうして幸次郎はジヴェルニーへと向かった。
ふと背後からの視線が気になり、振り返ると、荷馬車が目に入った。
「何だい
「まあね」
御者は麦藁帽子を目深にかぶっており、顔は隠れているが、陽気な口調だった。
ジヴェルニーへ行くということだったので、自分もだと言ったら、乗せてくれた。
「人を乗せる馬車じゃない。
御者はそれだけ言うと、馬に鞭をくれた。
*
幸次郎はジヴェルニーの手前まで来た。
「
「何だい」
「ここらが、あの『積みわら』の画で有名なあたりですぜ」
「ああ、このあたりかい」
「積みわら」とは、「ジヴェルニーの積みわら」の名で知られる、積み
そこから、同じような風景でも光の加減や視点などによってちがうように見えるという、あわいを学んでいったといわれる。
「
モネの
「積み藁を見て行けば、モネの旦那との話題も、弾むんじゃないですかい?」
「それもそうか」
幸次郎は伸びをひとつして、荷馬車から下りた。
何か物欲しげに見つめる御者に、多めに代金を払った。
「ちゃっかりしているよ」
「へへ、
御者は勢いよく鞭を振って、荷馬車を走らせる。
どうやら、ここで幸次郎を下ろして、他に行きたい場所があったらしい。
「どこまでもちゃっかりしてやがる」
幸次郎が悪態をついている間にも、荷馬車はどんどんと進んでいき、小さくなった。
幸次郎は肩をすくめた。
「ではせいぜい、楽しませてもらうとしよう」
幸次郎はステッキを回しながら、ジヴェルニーの積み藁の中を歩いた。
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