拝読致しました。
第一印象、ではない。
建築という様式の向こうにある感動とは?
産まれた時に持っていた能力を長じてから奪われて崩壊する塔、そこに何か画家としての示唆があるのでしょうか。
どのような感動を見つけ出したのか、楽しみです(^▽^)
作者からの返信
第一印象だったら、画家・モネはそう判断するでしょうし……。
建築家ではないモネに、建築の妙を感じたのかといわれるとそうでもなさそう。
じゃあ「バベルの塔」というモチーフ自体に、画家として響くものがあったのかもしれません。
そして幸次郎が紐解くのは聖書。
西洋人なら当たり前の聖書ですが、東洋人、日本人の幸次郎から見ると……。
ありがとうございました。
はじめに言葉ありき。有名な聖書の一句ですよね。
言葉が通じなくなって、みなが混乱すること。これは、別に何か意味なんだろうかと、考えたことを思いだしました。
作者からの返信
こういうフレーズがあるのに、バベルというエピソードがある。
聖書って不思議だな、と初めて読んだ時に思いました。
新約と旧約のちがいとか、何も知らない頃に読んだので、ついそう思っちゃいました。
そのあたりの思い出が、このお話のネタになりました^^;
ありがとうございました。
編集済
むー?
感性が重視される芸術の世界に「始めに言ありき」。言葉って理性的なものが多いですよね(なーんて、文筆の人間が言うのもおかしいですが)。
きっとこのギャップが何か美的なものを生み出しているんだろうな、とは察しますが、何だろう。モネの魂を揺さぶったもの……?
作者からの返信
聖書の世界であるヨーロッパにおいて、絵画はやはり、聖書にテーマを求めるものが多かったと思います。
じゃあなんで、バベルの塔をテーマに選んだのか。
見た目のインパクトだよ、と言われればそれまでですが、そうでないものも潜んでいる、あるいは、解釈の余地があるんじゃないかな、と思ったのです。
それとは別で、バベルの塔について考えたこともあって、それとからませて思いついたのが拙作です。
ちなみにブリューゲルは、伝えられるところでは、股の間からさかさまの風景を見て、ドローイングしていたみたいです。
その辺もヒントにしてみました^^;
ありがとうございました。