05 「バベル」の謎

 幸次郎はモネの「バベルの塔」と、にらめっこをしている。

 見れば見るほど不思議なだった。

 建築中だというのに、もう崩壊が予兆として感じられるような、そんな不安定さを醸し出していた。

 でも、そういうファーストインプレッションをモネは求めているのではない。

 もっと、こう。

 心の芯に響くような。

 揺さぶるような。

 それこそ言葉にできない……。


失礼パルドン


 思考を中断して顔を上げると、シャルルだった。


「珍しくモネが建物の画を、と聞いて」


 シャルルは太い縁の眼鏡を持ち上げながら、「ぜひ見せてくれ」と言った。

 幸次郎としても、何かヒントを貰えればと思って、画の前の位置を譲った。


「ふむ」


「何か?」


「いや。実に、現実に即して描かれている。この穹窿ヴォールトとか特に」


「そうか」


 建築家のシャルルとしては、穿った意見だろうが、幸次郎にとっては参考にならない。


「何か?」


 今度はシャルルからの問いだ。

 幸次郎は咳払いをしてから、シャルルに答えた。


「この画を見て、何か感ずるものは無いか?」


「感ずるもの?」


 シャルルは首を傾げた。

 シャルルは建築家である。つまり芸術家である。

 そのシャルルの芸術家としての目にどう映るか、それを知りたいと幸次郎は言った。


「それはつまり、モネがそれを問うているというわけだな」


 シャルルは明敏だ。

 だからこそ、モネに気に入られてアトリエの建築を任されているのだろう。


「ふむ」


 シャルルはめつすがめつ「バベルの塔」を観たが、やがて肩をすくめた。


「わからん。降参だ」


 これが何かの設計を意味する図ならばともかく、そうでは無さそうだと呟いた。



 シャルルは出て行ったが、幸次郎はシャルルに解決を期待していたわけではない。

 だが、今のシャルルの言動は示唆に富んでいた。

 少なくともシャルルは、嘘は言っていない。

 この画は、何らかの設計とかそういうのを隠している画ではない。

 であれば。


「そういうのじゃない。もっと根本的な」


 幸次郎は西洋の家ならばかならず置いてある本を手に取った。

 聖書である。

 当然ながらフランス語で書かれている。

 日本人の幸次郎には、読むのはひと苦労だ。


「ひと苦労」


 そう呟いた幸次郎の脳裏に、何かが走った。

 それは雷のような。

 かつて、桐野利秋が見せてくれた斬撃のような。

 そんな切れ味だった。


「そうか」


 ――始めに、ことばありき。


 それは「ヨハネによる福音書」の言葉である。その言葉が乱されたからこそ――バベルの塔の建設を見て、神が人間の言葉を乱したからこそ……。

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