第9話
「精霊様。ごうか神託を。我ら、住むべき場所を失ってより、ただただ精霊様に祈りを捧げて生きて参りました。どうか、どうかお言葉を賜りいただきたい……!」
いつの間にか、集団はカズラの発言を待ち焦がれているような様相だった。
「魔物すら近寄らぬこの聖域でなら、と……その一心で祈り続け、今ようやくそれが報われるのです……!」
(ははあ。分かった。魔物とて生物。食べるものもない荒野に生息するはずがない。加えて蔓が発する魔王の魔力を恐れて近づいてはこなかったわけだ。人間にとっても厳しい環境であれど、特別視するには十分な理由だな)
だが、カズラはそんな信仰に付き合う気など毛頭なかった。
「興味が無いな。待っているだけで奇跡が起こるなんてどこのクズの言葉だ。おい、貴様。貴様は何を求めている」
「は、私めでございますか……」
「そうだ。その隣のお前もそうだ。よく周囲と相談するがいい。この俺を待ち焦がれ、精霊と呼んだな。その俺に何を求めるというのだ?」
再び民衆はざわめきに包まれ、やがてそれも止み……長が、代表して民意を発する。
「我が故郷を襲った魔族は、未だ彼の地におります……。もはやあそこは人の住むこと叶わぬ地です。それでも……我々の故郷なのです。せめて、一矢報いたい……! そうでもなければ、死ぬことすらままならないのです……!」
アネモアとカズラは目を見合わせる。そして、小声で相談する。
「魔王が言っていた、後継者争いか?」
「あの魔王は強大すぎました。他の魔族が活動を自粛するほどに……。それがいなくなったとなれば、新たな魔王にならんと暴れるのは当然のことでしょうね。おそらく、彼らはそうした被害に遭われたのかと」
なんと。つまりは。
(俺が魔王を御したせいでこいつらの住処が襲われたというわけか……。その俺に助けを求めるとは……とんだマッチポンプだな)
「ふん……。惨めな信徒に相応しい願いだな。まあいい。魔を殺すのは俺の役目だ。やってやろう」
「おお、それは真ですか! これで、これでもう我らに思い残すことはございません……!」
「何を言っている?」
心底馬鹿にしたような尊大な態度で、カズラは歩み寄り、老人の頭を小突いた……本人としてはその程度の気持ちだったのだが、長は軽く吹っ飛ばされた砂にまみれる結果となった。
(やべ。俺の力って魔王の魔力を吸ったせいで、今じゃこんなになっているのか……。気をつけないとな)
だが、安易に謝罪するなどカズラにはもうできない。例え「すみません、大丈夫ですか?」と口にしようとすれば、また侮蔑に満ちた言葉が垂れ流されることは直感で分かっていた。
「精霊様……?」
「貴様の物言いならば、貴様らの願いが俺を呼んだのだろう。その結果が、復讐だけだと? 俺を舐めているのか?」
「と、申されますと……」
カズラはおもむろに世界樹の一部である蔓を一本ねじ切り、直径数メートルにも渡る丈夫な茎の部分を信徒達に向かって投げ出した。
「せ、精霊様。これはご神体ですぞ! なにをなさるのか!」
「この世に神などいない。これはただの偶像だ。ただの植物に祈って貴様らにいかなる奇跡が起こるというのだ? だから貴様らは困窮するのだ。俺が抜け出たからには、あの世界樹はもう傷一つ付かない幹ではない。だが……そこそこに丈夫で繊細に加工することが可能なはずだ。十分な特産品となるだろう」
事実。カズラは知らなかったが、魔王の魔力を吸い上げた蔓はもはや、大陸に存在するいかなる植物よりも丈夫であった。それでいて、よく曲がりよく編まれる。対魔の装備としてはこれ以上ないほど有用な素材なのであった。
「これは餞別だ。俺の住処を守ってきた貴様らへのな。過去にばかり囚われるは愚物のすることだ。魔族に復讐するなんていう過去の清算は俺がやっておく。これからは同じ心を持つ仲間と、新たな暮らしをするが良い」
「お、おお……。なんと、なんと慈悲深い……!」
長は溢れる涙を両手で覆って地面に伏した。その周囲にいた信徒達もまた同様だった。信徒と言えば聞こえはいいが……要は、金を稼ぐこともできず、生活する場も失われ、伝承などありもしない巨大な植物に、「きっと何かあるはず」と最後の希望を見て祈ることしかできない集団だった。
今の生を諦め、最後に縋ったのは、神など宿らぬただの蔓であった。しかし、そこにはカズラがいた。それを奇跡とするかどうかは、カズラ次第なのだ。
「我々は、精霊様の配下となりましょう。いかなる魔でも戦えるだけの場を整えて見せます。そして、精霊様の盾となり矛となり死ぬまで戦い続けましょうぞ……!」
「いらん」
長の涙ながらの決意を、カズラは一言で切って捨てた。
「俺の力となると言うのなら、まずは生活を整えろ。こんな植物、いくら切り売りしても構わん。今日を凌ぐ金を稼げ。明日を生きる金を稼げ。未来を託す子供を産め。それを育てるための金を稼げ。それが、俺の下で生きるということだ。頷けないのなら、この俺自らがこの場で殺してやる」
「なんと……なんという……!」
ちなみにカズラが言いたかったのは、とりあえず自分達にも生活できるだけの余裕を用意してもらえないだろうか、とそれだけだったのだが。魔王の体は随分と饒舌らしかった。
「まあ、貴様らもこれだけでは納得がいくまい。まずはその魔族とやらの首を取ってきて見せよう。それまでに俺をもてなす準備を整えておけ」
「はっ! 僅かばかりですが、私共の抱える全ての備蓄をかき集めて……」
「馬鹿が。何度言わせるつもりだ。腹を満たせるだけの食物と寝るだけの場所を用意しておけということだ」
(とりあえずこの体の性能を知らないことにはな……。魔族相手というのが不安だが、働かざる者食うべからずだよな)
「行ってくるぞ、アネモア」
「あの……私も、カズラ様と共に」
「そいつらだけでは不安だ。必要以上の資材を使わないよう指導しておけ。ついでに集落に共に行き、情報を集めておけ。返事は?」
「……はい。主様の御心のままに」
(やはり、このお方は誰よりもお優しくいらっしゃる……。流石は領民の抱える傷を全て受け止めてみせた英雄。乞食の如き見ず知らずの民にも手を差し伸べなさるとは……)
面にこそ出さないが、アネモアは改めて自分の主人の懐の深さに感涙していた。カズラとしては、自分を信仰しているらしい民を利用して手っ取り早く現状の把握をし、魔王が消滅してからより、休むことなく蔓をかき分けてきた疲れを癒したかっただけなのだ。
そして、カズラはほんの少し足に力を込めて、彼らの故郷であったという里に向かって走ろうとして……そのまま、宙へ飛びだった。
(こ、これが魔王の魔力か……。そりゃあ、勢い余って王都を飛び越しユーキルダクト領地に落ちたのも納得だ。……ん?)
その直後……天を仰ぐようにカズラを見送った信徒達の目から離れたあたりで。
(いってえええ! 足が、足がもげる! 脚力にも風圧にも耐え切れんぞ! こんな空中では根を張り衝撃を地に逃がすこともできん……!)
いかに強大な魔力を持ったとて。カズラはせいぜい人間の扱えるだけの力を鍛え続けてきただけの少年である。魔王の魔力の行使に耐えきれる体など持ち合わせてはいなかったのだ。馬の数倍の速度で宙を飛ぶなど、魔力障壁の張り方も知らないカズラには無謀であった。
(涙、涙出る! 泣く!)
そして、失速。ほうほうの体で木の幹に捕まり……その大木をなぎ倒しながらようやくカズラの体は地に落ちた。
「な、なんだお前は! ここが『豪腕』の魔族、アームズの地と知っての狼藉か!」
カズラが痛みに転げ回っていると、頭上からそんな声が聞こえてきた。見れば、そこには漆黒の角を生やした大柄な魔族が一人。その周囲には大型猿のような魔物が取り囲んでいた。
(……あれ、俺、敵のど真ん中に落ちてきた?)
背筋がひやりと。痛みに耐えながらゆらりとカズラは立ち上がる。
だが、それを端から見れば。敵中にまで無傷でたどり着き、悪魔を思わせる表情であふれ出る怒気を重く歪な魔力として放出する、未知の強者と見えたのだった。
「……貴様の領土ではない。人間のものだっただろう」
「はっ……。何を言うかと思えば。人間など、我らに支配されるが分相応の虫けらだろう。先代魔王様は、魔族こそが大陸を支配すると申されたのだ。その魔王様がいなくなった今……この地を征服するは、このアームズよ!」
ようやく動揺から落ち着いたのか、アームズと名乗った魔族は筋骨隆々の両手を広げて宣言した。それに呼応するように猿型魔物達も拳をあげる。
「……ふん。なんだ。こんなものか、魔族というものは」
対して、カズラといえば混乱の極地にあった。
(取り囲む魔物も、獣並みの体躯と知性しか感じられない。それに、この魔族……。子供みたいな魔力しか感じないぞ? 実力を隠しているのか……? いや、魔王でさえそんなことはしていなかったんだ。次期魔王と自称するこいつが、強者のオーラを隠す必要なんてないはずだ。一体、何が目的だ……?)
油断だけはしない。弱そうだからといって気を緩めるような余裕、カズラにはなかった。彼は生涯のほとんどを弱者として過ごしてきた。だからこそ、その底力を疑わない。今自分にできる全力を持ってして相対するべきだと判断した。
そこからの判断は速かった。右手から蔓を長く伸ばし、その茎に強靱な棘を生やす。そして、鞭の要領でまずは猿型魔物に対して牽制をした……。
パアン!
「えっ」
(え?)
アームズとカズラの感情が一致する。前者は自らが従えられる限り最強の護衛がただの一振りで彼方まで吹き飛んだことに対する驚き。後者はこれまでの自分なら傷一つ付けること叶わなかったであろう魔物という脅威が、ただ蔓をしならせただけで飛んでいったことに対する驚き。
(おいおい、鞭なんて殺傷能力も皆無な脅し用の武器だぞ。それも、魔導障壁は貫けない程度の威力だ。確かに、少しは魔力でブーストもしたが……まさか、幻影だったか?)
「ふん、二つ名の割りに賢しい術には優れているようではないか。それで、どこだ? 本物の臣下は。もったいぶらずに出すが良い」
となれば、当然カズラが警戒するのは伏兵だ。カズラは確かに体を鍛え知識を磨いては来たが、実戦経験などないに等しいのだ。想像しうる最悪の事態を見越して行動するのは当たり前。
「いや、その……。我が、我が軍隊は……いや、その……」
アームズが狼狽した様子を見せる。それをカズラは策だと疑った。獲物を狩るのに最も適した瞬間は対象が獲物を狩る時。それは人間にとっての常識だ。ならば、下手な攻撃は逆効果となるだろう。
(もうここは死地だって言ってたよな? だったら、少しくらい家屋を破壊しても構わんだろう。最大出力だ……!)
カズラは蔓という自らのスキルの特性をよく理解していた。よく巻き付き、驚くべきスピードで伸び、相手の領域を支配する。それだけだ。だが、そこに魔王という最強の魔力が加われば……。
「植物よ、俺の魔力を吸い込め!」
ただ対象の栄養を搾取するだけの力。だが、吸収することができるということはその逆も可能ということ。植物世界の常識ではあり得ないだけで、それを人間が振るえば話は違うのだ。
雑草一本生えることも無かった大地に、まずは小さな芽が。それは瞬く間に成長し、周囲一帯を緑の大地へと変化させた。
「さあ……これだけ蔓を巻き付かせておけば伏兵は使えないな。安心するがいい。俺は油断などしない。貴様がいかなる策を練っているかは知らんが、手加減などせんぞ――!」
カズラは背後に蔓の警戒網を展開し、アームズに向かって疾走する。カズラからすれば不測の事態に備えた速度でしかなかった。
だが。アームズにとっては違う。それはまさしく緑の悪魔が自分の命を取らんと巨大な姿に変貌して神速で襲いかかってくるように見えたのだ。
「や、やめてくれ! 降伏する! これでも私は人を傷つけたことはないんです! 魔王様から漏れ出る魔力だけをすすって生きながらえてきただけの木っ端魔族なんだ!」
「……なんだと?」
そして、カズラの拳がアームズの額寸前で止められる。アームズは情けなくもへたへたと座り込み、おいおいと泣き始める。
「魔王様が倒れたっていうから、もしかしたら自分にもチャンスあるんじゃと思って……。人間って、魔族ってだけで恐れてくれるし……ちょっと、魔が差しただけなんです……。あの魔物達も、偶然ここにいただけなんです……」
(……)
さすがに。もうカズラは策を疑わなかった。もはやこの里全体に自らの蔓を展開しきっている。即座に参戦できるような魔物がいないことも把握済みだ。ならば、本当に……この魔族、もう手が無いのだ。
「なんだ、つまり……」
「あなた様の言うことならば何でも聞きます。死ねと言うならば今すぐ自らの体を裂きましょう。しかし、あなた様ほどの力に蹂躙されるなど、ただ死ぬより恐ろしい……!」
「貴様は……人間を支配しようとする魔族ではなかったのか?」
あまりの哀れさにカズラも悄然としてしまう。
「とんでもない! 魔族といっても、ピンキリなのです。そりゃあ、同期には一つの村程度沈めることもできる奴もいますが……私なんかは、先代魔王様の放った魔物と同じ程度の戦闘力しかなく、知性があるからと指揮官ぶっていただけです……」
つまりは。やはりここでも、魔王が強すぎたことの影響が出ていたのだ。魔王にとっては雑兵でしかなかった知性なき魔物もまた、強すぎた。魔族というのは、その中間管理職として生まれたに過ぎないということだった。
(まあ、寸止めしたとは言え、魔王の魔力を無理に使ったせいで、右腕はボロボロだしな……。戦わないで済むなら、それもいいか)
「……分かった。もういい。見てられん。とっととこの場から失せろ。二度と人間を襲うな。それで見逃してやる」
「よ、よろしいのですかっ!?」
いや、待て。とカズラはまた一つ思った。口ではどんなことを言えども魔族だ。自分が離れた瞬間、背中を狙うという可能性もある。
カズラは、今度は自らの手刀で大きく空を切り裂いた。すると、その衝撃波によってアームズの首が、ぽろりと。そして同時に、カズラのもう片方の腕にも激痛。だが、カズラの体は痛みに叫ぶよりも言葉を優先する。
「首を取ってくるという契約だった。悪いが、持ち帰らせてもらうぞ」
「かっ……はっ……。なんという、鋭さ。やはりあなた様は、真の強者であられた」
カズラが腕の中身が爆竹で弾けたような痛みに悶絶していると、再びそこに先ほどあったアームズの顔が……泥などが取れて、むしろ綺麗になった顔が生えていた。
(魔族は体内の核を潰さないと死なないというのは本当だったか。首を落としても死なず、上半身を消し飛ばしても再生する。だから魔族は恐れられていた、と何かで読んだな)
それを思い出すと、今度はカズラにある疑惑が持ち上がる。
「先ほどの攻撃。俺は貴様の顔を狙っていた。そんな仕組みがあるのなら、俺を打ち倒すこともできたのではないか?」
「いえいえ! あれほどの魔力をぶつけられてしまえば核どころの話ではありません! 強大で攻撃的な魔族は数居ますが……私程度では、あの拳を受け止めることは叶いません!」
「ふん。俺をかどわす甘言にしか聞こえんな」
(あっぶねえ! 強大な魔力? そんなものあってもぶつけたのは蔓と拳だったんだぞ。ぺしんと押し返されて、もし反撃されてれば死んでいた!)
「では、私は暗黒大陸に帰ります……。あなた様も暗黒大陸へお越しの際は、是非我が元に訪れ下さい。必ず助けとなりましょうぞ!」
「……貴様、なぜそれほどまでに忠誠を見せる? ただ貴様より俺が強かった。それだけで自分の種族から寝返るような真似をするのか?」
「何をおっしゃいます。強者こそが正義。それが常識でございます。そして、あなた様は私が見てきた誰よりも強くいらっしゃる……。それなのに、私なぞに慈悲を下さった。ならば、あなたこそ尊敬に値するのです。おそらくは、あなたこそが真の勇者様なのでしょう」
カズラは僅かに考え込み……アームズに背を向けた。
「行け。貴様を殺したと言わねばならぬのに、その貴様が生きている様を誰かに見られたら面倒だ」
「はっ。それでは、これで……」
どっどっど、と重たい足音を響かせながらアームズは去って行く。そして、誰もいなくなった緑地でカズラは一人思う。
(殺すべき敵に、勇者と呼ばれるなんてな……。しかも、借り物の魔力でごり押ししただけに過ぎないというのに。全く、滑稽な話だ……)
思えば、自分を勇者と呼んだのはこれで二人目だ。デイン氏は元気だろうか、とカズラは自らの領民を託した男のことを思った。どこか切ない気持ちを押し殺して、カズラはアームズの首だったものを持ち上げる。
(帰りは、歩いて帰ろう……。それまでには向こうの準備も整っていることだろう)
カズラはこの戦闘で、学ぶ必要があると悟った。いつ尽きるかも分からない魔王の魔力ばかりを当てにするのは危険。アームズの物言いでは、強大な魔族も確かにいるらしかった。ならば、それを相手するまでに、もっと自身を鍛え上げる必要がある、と。
「……ヒーロニック学園、か」
昔、分不相応に願っていた英雄の学び舎。その存在がちらりと脳裏をかすめた。
悪役領主の息子は最弱スキル『蔓』の力で世界平和を望む~嫌われっぱなしだっていい。勇者にさえなれるのなら~ @sakumon12070
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