第8話

 旧ユーキルダクト領崩壊より、六年の月日が経った。


 『灼熱』の魔王の爪痕である不毛の大地にそびえる大樹……よくよく見ればそれは数多もの蔓が巻き付き支えているものなのだが、神聖なる世界樹として、今では信仰の対象ですらあった。


「はあっ――!」


 その世界樹の茎を焼き割り、何者かが現れた。赤まじりの黒髪。乱暴に伸ばされた髪をかき分けて現れたのは、どこか病人めいた顔色をした齢十代半ばほどの少年だった。


「中央部から抜け出すのに六年か。我ながら……厄介だった。はっ、己の力の強大さに躓くとは、どこかの駄魔族と同じ道を辿っているな」


 誰に言うわけでもないのに、口調には不遜。それでいて剃刀のように鋭利な赤目とあっては、数多の修羅場をくぐった勇者でも怯えるであろうというものだ。


「カズラ様。しかし、少々目立ちすぎでございます」


 その横で静、と佇む褐色の女。かつては可憐な少女であったが、濃厚な魔力の側で成長した彼女はもはや、妖艶と表現するに相応しい一人の大人の女性となっていた。


「なんだアネモア。俺のものから……言うなれば自室から出てきただけだ。何か文句があるか?」

「いえ、しかし……周囲をごらんになって下さい。この場におられた方々が驚いていらっしゃいます」


 カズラが周囲を見渡せば、確かに襤褸を纏った人間が、突如として現れた一組の男女を見てへたり込みながら指さし合っている。


「ふん。俺程度の魔力に当てられるとは、情けない奴らだ」

「いえ、正確には、葉しか身に纏わず路頭に迷っているようにしか見えない私達という行き倒れまがいをどう処分するか、検討しているようにも見受けられます」

「……」


 一般的にはアネモアの方が正鵠。やがて、集団から長とおぼしき老人が前に出てきた。


「あ、あなた様方……世界樹の中から生まれなさったように見られましたが、もしや……」

「ちょうど良い。お前、何か着る物を持っているか」

「は、はあ?」


 初対面の、そこそこ地位もありそうな老人に向かってこの物言い。カズラの不遜さは以前と変わっていない……というわけでもなかった。


「貴様の目は耄碌しているようだ。痴呆でも馬鹿でも分かりやすいように言ってやろう。見ての通り俺達は服を所望している。俺に相応しいだけの衣服を用意しろ」


(魔王の体と同調してから……この口調はやっぱり直らんな。俺としては、威張ってみせるだけの領民はもういないんだから、普通の男の子として生きていこうと思ったんだけど……)


 カズラはかつて領主の息子だった。実を伴わない貴族であったために、態度だけは尊大に見せる必要があったのだ。だが、領地を失った今となってはそうする必要もない。そもそもがまだ少年だ。せめて心中でくらい、素の態度でいたいという思いだった。


 だが、強大なる魔王の魔力を手にしたことにより、もはや領主の息子であった頃より口調は悪化していた。


 それに見かねたアネモアが補足する。


「あの植物の中でしばらく暮らしていた者です。ようやく外界に出ることができましたので、我が主に衣服の一つでもいただければ、と……」

「では、やはり彼の世界樹を切り分けたのはあなた様でありましたか……。いえ、何者も傷つけることすら叶わなかった世界樹に干渉出来るほどの御業を見れば分かります。つまり……世界樹の精霊様とは、あなた様のことでしたか!」


 は? とカズラとアネモアは顔を見合わせる。だが、老人の言葉は止まらない。


「皆の者! 我が里にある一番上等なお召し物を用意しろ! 今こそ長らく信仰していた精霊様が現れたのだ! ああ、神よ……」

「馬鹿か貴様は。見る限り、貴様らも貧相な衣服しか持っておらんのだろう。余計な装飾を施したものなど重たくて着ていられるか。体を覆うだけの布で構わん」

「おお、おお……なんと慈悲深い。しかしながら、世界樹の精霊様に粗悪な布など捧げるわけには参りません。しばしお待ちを……」


 ここでようやく、カズラも自分の作った蔓の塊が世界樹だなんて呼ばれていることを理解した。また、それに寄りそうように不毛の地であったこの領土に集落まで出来上がっていることを。


「……ん、なんだか妙に世界樹に虫が纏わり付いているな……」

「あれはマナヅル虫ですね。植物の中でも濃厚な魔力を放っているものに住み着き吸い尽くす害虫です。が……吸った魔力をまた別の植物へ運ぶだけなので特に害はありませんよ」

「ふん。まあ、魔王の魔力で作った蔓だ。吸い尽くされるなどあり得んだろうな」


 やがて、数十分もすれば、上質な魔物の革であつらえられた上下の軽装がカズラの元に届いた。


 カズラとて元は男爵の地位にあった貴族である。それが上等とは言わない……だが、清貧を主とする信徒には精一杯の捧げ物であることは理解できた。


「あー、つまり……。俺のスキルで作っただけの蔓が、神に準じる何かになっている、というわけか」

「どうやらその通りで間違いないようですね。我が主様には相応しい待遇と言えます」


 この六年で、アネモアの価値観はすっかり変わっていた。彼女にとってカズラとは、以前のように出来の悪い領主のボンボンという扱いではない。真に仕えるに相応しいご主人様に巡り会えたと、そう感じていたのだ。


「世界樹がご光臨なされてから六年……こんなにも早く、精霊様に相まみえることができるとは、長生きはするものでございますな……」


 カズラは、この老人の信仰を打ち砕くことは困難と判断した。何せ、右も左も分からない窮地だ。贅沢は言ってられないと、その一式の軽装を受け取った。


「しかしアネモアにこんな貧相な服を纏わせていたのでは、俺の品格が疑われる」

「ご心配には及びません。仮にも侍従長であった身。自分の服程度、自分で編めます」


 そう言うと、アネモアは世界樹の茎の一部を切除し、手元が見えないほどの早業で細部にフリルさえ施した、立派なメイド服を即座に仕立てて見せた。おお、とその技を見て民衆がどよめく。


「……貴様に命じた方がよかったか。見事な仕事だ」

「身に余る光栄でございます。我が主」


(アネモアのこの態度も流石に慣れたが……俺程度を過信しすぎてはいないか?)

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