第7話

 魔王が倒れた。詳細に言うならば、膝をついた程度だが……。カズラは十分な手応えを感じた。だけど同時に、自身の全魔力が消えていくのを感じる。


 そこまでをして……それでも、所詮は人間の動き。最強を自負する魔王の前では、あくびが出るほどの威力でしかなかったのだろう。


「……何故、我が殴られる?」


 当然、カズラは倒される。吹き飛ばされる。打ち付けられる。そして、宙に磔にされるように禍々しい釘で縫い合わされた。それを修復する能力は……もう、カズラには残っていない。


「何を言うかと思えば、蔓とはな……。勇者の中でも最弱の一族ではないか。他人の利益を吸い取って生きるしか能の無い寄生虫の如き弱者!」

「ぐっ……はあっ……。それ、でも……勇者、だ」


 カズラの虚勢はもはや余りに弱々しい。そう、『蔓』とは……所詮は、体の先が蔓植物に変化する程度のスキルだ。Gランクの格付けに相応しい、びっくりな性能は何も無い、完膚なきまでの最弱スキルである。


 カズラは学びに学び……自らの限界と向き合い、ようやく見出したのが、エナジードレインだったのだ。その性能は一般市民から万分の一を吸い取れるほどの貧弱なもの。蔓はそうして生きてきた。他の樹木に寄りかかり、その栄養を僅かずつ吸収することで生き延びてきた。


 だが、もし、十年をかけて領土中に根を広げ、一切の魔力を流すことなく溜め続けていたならば……。このユーキルダクト領地においてのみ、カズラには世界樹の大木を枯らすほどのエナジードレインが備わっているのだ。


「まさか、カズラ様……。この数年、領民に、魔物による被害が全くなかったのは!」


 アネモアはその正解にたどり着き、言葉を失う。


 ダメージとは、イコール魔力である。言わば、『蔓』のスキルは、受けたダメージを魔力にして吸収するという特性を持っていた。だが、一度に吸い込める量には悲惨なほどの限度がある。ただの蔓だ。地面をえぐり取り根ごと焼いてしまえば、それだけの代物。


 だからカズラは、母の命が絶たれた瞬間……。まだ見ぬ魔王への復讐を決めたその瞬間から、領土内における全領民のダメージを請け負っていた。


 来る日も来る日も拷問のようなダメージ量に耐え続け、堪え続け、微弱にしか増えない魔力をただ待った。土から水分に混じった血を吸い、空からは太陽の陽を吸い、人々から痛みを吸い尽くした。


 魔王に食らわすただ一撃。人類にとっては遠すぎるそれを成し遂げるための、カズラの執念。


 それが、カズラにとっての人生そのものだった。


 だが……それだけ入念な準備をしても、魔王の攻撃を二度受けるのが限界であった。十年に渡る魔物との攻防で生じたダメージ量を、この魔王はたった二つの魔法だけで上回ったのだ。


「その根……。忌々しい記憶が蘇るわ。死ぬがよい。自らの器も知らぬ愚かな人間よ」


 今度こそ、逃げ場などない。必殺の魔法が再びカズラを襲う。


 立ち込める砂埃。そこには少なくない量の血の香りが漂っていた。それが晴れるのを待つでもなく、魔王は踵を返し次なる獲物を探しに行こうと歩を進める……。


 その時だった。足元に絡みつく一本の緑色の線に、魔王は気がついた。通常ではあり得ない慢心だった。強大すぎる力を持つが故に、弱者の魔法など歯牙にもかけなかったのである。


「……はっ。やっぱり。力を持った魔族は大振りに頼るもんだな」

「なにっ!?」


 やがて、土煙の向こうから聞こえてきた声に魔王が振り向いた。


 生きているはずがない。この魔王、一振りで島を一つ沈めたこともある絶対の存在だ。その容赦の無い一撃。耐えられる勇者など……無事でいられる生命体など、あり得ないのだ。


「どこに行くんだ、魔王……。俺はまだっ、死んじゃいないぞ!」


 やがて、そこに現れた光景は……魔王の目をしても異様の一言だった。


 声ばかり張っている少年は傷ついていた。腕はもげ、足はなくなり、傷口は焼き焦げ、体のあちこちが切り裂かれていた。しかし、その背後には……巨大な蔓の網が展開されており、さながらマリオネットのように未だ戦う姿勢を見せていた。


「……なんだ。なんなのだ。貴様はっ!」


 絶対的強者であった魔王にとって、蔓の一族……先代の魔王を倒した一同の中でも最弱の勇者をし損じるなど、到底容赦できることではなかった。


 それから繰り出される数々の魔法。負の魔力で出来た剣を何度も振るった。全生命体を蒸発させるほどの熱線を当ててやった。全てを呑み込む暗黒の渦に放り込んでやった。


 なのに。だというのに――!


「……ごほっ」

「なぜ、死なん……っ!」


 カズラの攻撃、もはやかすらず。防御、ままならず。反撃、できず。その攻防とも呼べぬ何かは、魔王の一方的な虐殺のはずだった……。しかし、その背の先には……守るべき領民の、誰一人の犠牲者も無し!


「……お前が、そう呼んだんだろうが。俺は、『蔓』の一族だ……」


 歪に持ち上がる口元。頬の半分も裂けているその口で、カズラはまだ嗤って見せた。そこでようやく魔王は気がついた。あんな弱々しい拳一つを魔王の身に当てた、その理由に。


「貴様……。我が魔力をっ!」

「もう、遅い。既に両手両足から伸びた蔓は、お前の体中に巻き付いている。気付かなかったろう。蔓は、どれだけ細くとも……倒されようが曲げられようが、何度でも天を目指す、イカした植物なんだ」

「正気か!? 我から魔力を吸い取るということは、世界の闇をすすり尽くすのと同義だぞ! 人間などの身で一吸いでもしてみろ、今後の輪廻転生など叶わぬほどの地獄へ放り込まれるぞ!」


 魔王の言葉は真実だった。しかし、同時に魔王の動揺を示していた。それをくみ取ったカズラは、負の魔力の吸収により、ドロドロと崩れていく頬をまたつり上げた。


「こんな雑魚の命、精神一つで、人に仇なす魔王の力を少しでも削れるんなら、大もうけだろう……?」

「貴様っ……!」

「殺ったぞ、魔王――!」


 魔王はどうにか魔力の奔流を押しとどめようと必死になる。しかし、それも上手く行かない。通常、魔力を抑える術など学ぶ必要はないのだ。強者こそ絶対。ならばそれを表すオーラを隠すなんて所業、邪道も良い所なのである。


 だから魔王は魔力を吸われ続ける。その元となるカズラを殺そうとしても、溶かした先から魔王自身の魔力で再生されるのだから意味は無い。ならばその導線を断ち切ろうとしても、魔王の体内にすら届いてしまった蔓を完全に引きちぎることはできない。


 何より魔王が恐れたのは、その少年の瞳だった。この状況下において、まだ、恐れていなかった。体が消されては再生される激痛も顔に出さない。果ての見えぬ魔力の吸引に辟易とした様子すらない。


 例え魔王の魔力を全て吸い尽くしたとして、待っているのはその強大すぎる力の暴走だ。カズラにはもはや負けしかないのだ。一時でも魔力吸収を止めれば死ぬ。数寸でも攻撃の受ける箇所を間違えれば死ぬ。数瞬でも再生のタイミングを間違えれば死ぬ。


 だというのに、カズラは……叫びを止めない。魔を滅すという、ただそれだけの確固たる憎しみ――!


「俺なんか、死んだっていい……。生き延びるなんて簡単な仕事。誰かにくれてやる。だが、魔王を殺すのは、この俺だっ――!」

「あり得ぬ……。貴様は迫害される身であろうが! 何を持ってそこまでする!」

「それが、勇者の心なんだよ。お前には一生分からないだろうな。魔王……」


 弱くとも。力が無くとも。人は戦える。


 研究し、鍛え続ければ……魔王にすら、その拳は届く。


 カズラが掲げた正義は、それだけだった。蔓は交わるごとにその強度を増し、魔王とカズラの身を覆っていく。それはどこまでもどこまでも伸びる。もはや、カズラの身は魔王の魔力を抱えきれずにいるのだ。


 だが、例えどれだけ暴走しようとも……。不毛の大地に、巨大な蔓が巻き上がるだけ。たったそれだけの、カズラが授かった他者を傷つけないスキルだった。


「……本当なら、ここで朽ちるのは俺一人だけだったんだけどな」


 カズラがちらりと背後を見れば、そこには、その背を支えるように寄りそうアネモアの姿。褐色の肌に涙の跡をいくつも残し、ユーキルダクト家に初めて笑顔を向けた。


「お供します。カズラ様。今まで、堪えてきたのです。せめて、このくらいの勝手は……させてください」


 カズラは誰一人の忠誠も欲しくなかった。いつか訪れる魔王との対峙において、犠牲を出さないために。だから虚けだ最弱だと罵られても、一切の反論もしなかった。


 思えば、彼の見せる不遜はそんな心の表れだったとも言える。誰も支えようなどと思わないように。誰も助けようなどとしないように。いざとなれば、容易く見捨てられるために。


「……どうせ、俺一人じゃ、支えきれなかったか」


 もはや、カズラには踏みしめるための足さえない。ならば、魔王からのエナジードレインを未だ続けられるのは、ずっと彼の体を支え続けたアネモアの献身があってこそだったのだ。


「さあ魔王……。億千万の月日が経とうとも、お前の魔力を吸いきるまで、付き合ってもらうぞ……!」

「くっ、くそがああああ! この我がっ、こんな小僧に! 『蔓』如きにぃっ!」


 今や魔王こそが絶望していた。温存などまるで考えていない全力中の全力の魔法を放ち続けても、天を覆うほどの魔王の魔力で編まれた蔓がそれを受け止める。そして吸収され、それはまたカズラの糧となるのだ。イタチごっこどころではない、全くの無為だ。


 言葉にすれば妙だが、魔王がこの現状を打破するには、魔王の攻撃以上の威力を持つ魔王の攻撃が必要とされていた。自爆魔法でもまだ足りない。体が塵になる程度の魔法では、魔王の魔力は死なない。ならば、ならば――。


 そんな方法など、無い……。皆無である。魔の世界において、自分自身に打ち勝つような、そんな努力は必要ない。


 カズラは、執念が引き寄せたあの一撃を見舞った時点で……この戦いに、勝利していたのである。


「強者こそが、正義なのだ……! 最強たる我がいなければ――!」

「……そうかい。俺という最弱に倒れるとは、大した最強だな」


 やがて、四方数十キロに及ぶ蔓の展開は、止んだ。あとはただ、天を裂くように伸び続けていくだけ。魔王の断末魔さえも包み込み、まだ足りぬとばかりに領土中にまき散らされた負の魔力を吸い込み……成長を止めた。


 そこには、見るも見事な大樹と呼んでも差し支えない立派な蔓が天を晴らし、月明かりに煌めいていた。


 ◇


 ユーキルダクト領西方。


「なんだ、あれは……」

「なんだっていい。俺達は助かったんだ! あの魔族の気配も消えたぞ!」

「ヒールキラメ家万歳! 聖女万歳! あなた達こそ、私達の救世主よ!」


 ミライ達が、ここに居た領民達に対してしたことなど……。襲撃してくる魔物を葬り、自分の領地への誘導をしただけである。


 真の意味で彼らに平和をもたらしたのは……。それを知るミライは、またデインですらも血が出るほど唇を噛み締めていた。


「聖女様が、あの魔族をやっつけてくれたんだって!」

「そうでなきゃ、あの魔境から帰ってくるなんてことできるわけねえもんなあ。いやあ、あんな領主の元に生まれてツイてないと思ったが……。やっぱり、神は居たって事か!」


 純真無垢な子供でさえ、だからこそ、Sランクの元プロ勇者であるデインと、その娘、ミライの手柄を疑わなかった。


「違います……。あなた達を救ったのは……本当の勇者様は、カズラ様なのです……」


 涙ながらに語られても、領民は信じられなかった。カズラのスキルは欠片も知られていなかった。だが、その弱さは誰もが知るところだった。だから、また人々は言うのである。


「あの戦犯たるユーキルダクト家にさえ配慮していただけるとは……。さすが聖女様だぜ」

「当主様とクズ息子は死んだんだろ? 聖女様の盾にくらいはなったってことかね」


 何度説明しようと、民衆はそれ以上の理解をしようとしなかった。それがミライには悔しくてたまらなかった。


「……ミライ。君がもっと大きな発言力を持ち、勇者として大成した時、彼のことを語り継ごう。それくらいしか、我々にはできないんだ」


 デインは涙に震えるミライの肩を抱き、ただただそれを繰り返した。デインには視えていた。今、いかなる言葉を並べようと、この領民達に真実を告げることはできないと。


「託されたんだろう。真の勇者から、正義を託された聖女だ。君はもう、ただ泣くだけでは許されない。彼の炎を継ぐんだ……スキルを持たなかった旧時代の人々はね、そうして、勇者の心を引き継いで戦ってきたと聞く」

「はい……。お父様。私が……カズラ様の名誉を、いつか……」



 彼は魔王を巻き込み、旧ユーキルダクト領の世界樹と呼ばれる植物となった。その礎となった少年の名は、語られなかった。


 ただ、このユーキルダクト領の崩壊と共に魔族が活発化し、時期魔王候補と勇者候補達が巻き起こす人魔戦争となる引き金は引かれた。歴史にあるのは、ただその一文のみである。


 誰にも讃えられず、認識すらされず……それでも、カズラは確かに目的を達したのだった。守るべき民を誰一人傷つけず、頼れる人物に未来を託し、自分自身の正義を貫いた。


 最弱と謳われた勇者の物語は終わりを迎える。陰湿な邪悪である『蔓』の紋章を受け継いだ勇者の物語。花は天に咲き誰も見ること叶わず、葉はそうと認識出来ぬほどに広がり、根は数多の大地を繋いだ。


 これより始まるのは、最強の勇者の物語。決して折れぬ心だけを頼りに大陸に平和をもたらさんと闊歩した。道行く誰もが敬い、跋扈する魔を刈り取り、全世界を平伏させた伝説の勇者は、奇しくも最弱と謳われた『蔓』の力を使っていたという――。

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