よこ見てドッペル

渡貫とゐち

こども専用車両


 こども専用車両はその名の通りに子供しか利用できない車両だ。子供であれば、誰であろうと利用できる。赤ん坊であれ例外ではなく(ただし親の同伴は不可だった)。


 高い騒音をひとつの車両に詰め込んだことで他の車両が快適に過ごせる、という声もあるが、こども専用車両があるから、というわけではない。そもそも特別車両が並んだ特別な列車である。乗客を選り分けた、実験的な列車だった。


 普通車両(ごく一般的な車両だ)はひとつしかなく、残りの車両は全て乗れる乗客が固定されている。こども専用車両を筆頭に、男性車両、女性車両、シニア車両、雑談車両などなど……中には絶対に喋ってはならない沈黙車両というものもある。


 様々な客が利用している多ジャンルごった煮の車両はストレスを溜めるばかりだ。だが最初から、ここはそういう車両です、と看板が掲げられていれば、ストレスも軽減するのではないか。

 騒音車両に乗って、うるさい、と感じる客がいないように――荷物が多い客が利用できる車両に乗って、荷物が邪魔だなと思う客がいないように。

 車両の用途を決めれば、おのずと出てくる迷惑も制限されるわけである。



「――降りる駅の近くになったら迎えにくるからね」

「うん!」


 小学一年生の息子をこども専用車両に送り出した母親が、隣の雑談車両へ向かう。親同士が周りを気にせず話せるように、という配慮だろう。

 元々の知り合いはもちろん、新たな出会いの場にしている親もいる……雑談車両は別に母親車両ではないのだから、父親、でなくとも雑談がしたい客であれば利用は可能だ。

 が、女性の井戸端会議の会場になってしまっているので、利用しにくい層がいるのも事実だろう。


「最近、こども車両に大人が混じることもあるみたいよ。不審者、ではないみたいなんだけどね……。子供に危害を加えられたこともないらしいの。でもねえ、親としては怖いわよねえ」

「え、でも、こども車両に大人が乗ったら、車内放送で注意されるんじゃ……」

「それがされないのよ。車掌さんも見逃している、わけではないわよねえ……? 隠れ車掌さんがこども車両の点検でもしているんじゃないかしら」


 噂話なのか実話なのか曖昧だったが、真偽はともかく雑談の種になればそれいいのだ。母親同士の雑談は二転三転しながらあっという間に七転八倒(本来の意味ではなく)し、見事に撒いた以上に花が咲いた。種はどこにあったのだ? と、思ってしまう。

 種から種が生まれていたらしい。雑談とは想定外の連続なのだ。


「あ、そろそろあの子を呼んでこないと――では私はこれで」

「はいまたねー」


 離れる時はあっさりと、だった。

 今更ながら相手とは初対面であり、次に会う約束はしなかった。連絡先も交換しておらず、その場しのぎの雑談だった。

 まあ、それでも楽しかったけれど。人の顔色を窺い、気を遣いながらも楽しむところはきちんと楽しんでる母親たちだった……。


 こども専用車両へ戻ってくる。

 我が子を呼ぼうと扉の透明ガラスから中を見て、母親が絶句した。


 くたびれたサラリーマンのような、ややぽっちゃりで、メガネをかけた若い男だった。

 仕事にまだ慣れていない新卒、のような……。

 くたびれているように見えて、着ているスーツはしっかりとしている。

 不審者、とは言えないが、怪しくはある。

 そもそもこども車両にいる時点で変なのだ。


 周りの子供とは楽しそうにお喋りをしているけれど……我が子も混ざっている。危害を加えられてはいないものの……しかし、怪我をさせられていないからいいという話でもない。

 大人と子供の会話で気を付けるべきことは、発言内容が悪い影響を与えるか否かだ。未成年が知ってはいけないことを、大人は知っているのだから……大人の口が軽ければ、子供に悪影響を与えてしまう。母として黙って見過ごすことはできなかった。


「ちょっとっ、あなたこの車両でなにをしているんですか!?」


 母親の突撃に、老け顔の若者が驚きながらも言った。


「え、なにを、って、この子たちと、遊んで……」

「こども専用車両です!! 子供以外は利用できないんですよ!」


 すると、反応が早く、車内放送があった。

 車掌の声が車両に響き渡る。


『えー、そちらのお母様、そこはこども専用車両です、お戻りください』

「私!? 待ってよじゃあこの人はどうなんですか!?」


 若者を指差す母親。この対応の方が子供への教育的にどうなんだ、と言ってしまいたくなるが……。母親はもちろん、自分の無礼に気づいていなかった。

 それを見た子供たちの方が、ダメなことを理解している。反面教師としては自然と百点を出している母親だった。本人は喜ばないだろうけど。


「こども車両に、大人がいます!」


『おかしなところはありません。こども車両は、年齢で選り分けているのではないですから』


 そう――年齢ではなく。

 こども車両を利用できる客は、その通り、子供なのだ。


 童心。

 年齢を重ねたものの、精神がまだ子供であれば、書類上は成人でも、この車両内では子供とみなされる。

 年齢で選り分けたら早熟の子供が他の子供に悪影響を与えてしまうかもしれない。それは大人が混じる危険性となにが違う?

 幸い、早熟した子供はこども車両を避ける傾向にある……だって子供っぽいじゃん、という意見が多数だ。そのため、こども車両には精神が子供っぽい客が集まる。


 年齢は幅広く。

 子供のフリをした大人が混ざってきた時、それを敏感に感じ取るのはなにより子供である。


 子供たち本人が、敵を察知し敵を追い出すことができるのだ……。なのに若者は追い出されることなくこども車両を利用できている。子供たちも楽しそうに雑談している……つまり、そういうことなのだ。


 大人に見える若者は中身が子供だった。

 だから、こども車両を利用できた……ただそれだけ。


「おかあさん、おにいちゃんは悪い人じゃないよ。だから怒っちゃダメ」

「で、でも、こんな……」


 母親が口を閉じたのは、若者を否定する言葉が出かかったからだろう。誹謗中傷、名誉棄損……。それを自覚し、口をつぐむことができたなら、彼女はまだ母親でいられるだろう。

 ネットで問題になっていることを、口に出すことはできない。それこそ子供への悪影響だ。


「……あなた、大人でしょ。こんなところにいて恥ずかしくないの?」


「恥ずかしくないです。……今まで、ずっと、学校にも仕事にもいかずに引きこもっていた、いわゆるクソニートです……。だからやっぱり、この車両から始めるべきかなと思ったんです」


 歳だけ重ねた子供だ。

 体だけ大きくなって、中身は子供のままだから……こども車両で、合っているのだ。

 交流するべきは、だから子供であるべきで……。


「僕は子供から学び直しです」

「あなたの更生に子供を巻き込まないでください。あなたみたいな税金を食い潰すだけの人が、大事な息子に関わってほしくないんです。だから消えてください、今すぐに――」


『そこまで。……警告ですよ、お母様。あなたがいるべき車両に戻ってください。いいですか? 車両番号は17です。今すぐに移動をしてください。できないなら線路に降ろしますよ?』


 車内放送による、強めの警告に、さすがの母親も危機感を持ったらしい。……降りる駅まではまだ時間がある。頭を冷やすために、という思考はなく、売り言葉に買い言葉で、母親は指示を受けた通りに、言われた番号の車両へ向かうことにした。

 こども車両の、隣の隣の車両だ。


「はいはい、分かったわよ、私が悪かったわね――」


 わざと足音を立てながら、車両を移動する母親。

 彼女の子供は肩をすくめて(大人の見様見真似だ)、落ち込む若者の肩に手を置いていた。

 子供の優しさに、若者は笑顔を取り戻し、


「ありがとう」

「いいよ。おかあさん、今日はなんだか機嫌が悪いみたい……いつもは優しいんだけどなー」



 母親が案内された車両には、彼女と同じような、程度の差はあれど不機嫌な女性ばかりが乗っていた。……だからか、空気がぴりついている。

 誰かが一言でも話せば、噛みついてきそうな雰囲気だった。

 案内されたのに居心地が悪い……。普通、選り分けられた車両はその人に適しているものなのだが……車掌の案内は間違っていた……?


 おそるおそる、母親が空いている椅子に座る。ちょうど目に入ったのは、電光掲示板。この車両が一体、どういう車両なのか、だ――――こども車両ではなく、母親車両でも雑談車両でもなければ沈黙車両でもなく。じゃあ、不機嫌車両? と勝手に思っていたが、答えは、当たらずとも遠からずだった。


『更年期車両』


 だった。

 ……仕方ないことだが、イライラが溜まってしまう女性が利用している車両だ。もっと良い言い方はなかったものか、とふつふつと怒りが湧いてくるが、こういう小さな怒りの積み重ねが車両の空気をぴりつかせているのだろう。

 名称に悪意がある、と同時に、更年期の広報の役目も、まあなくもないのだろう。理解を得るためにあえてピックアップする――知られるメリットもあるが、しかしイメージダウンのデメリットもある。それでも知られないままよりはマシではないか?


 そして、他人を見ることで自分を客観視できる、という側面もある。

 多ジャンルごった煮では分からなかった、同じ方向を向いているからこそ分かる鏡映し。


 自分も外からこう見えているのかなあ、が、自覚に繋がるのであれば。

 ひとつの車両に集めてしまうのは悪手ではないはずだ。


「(え、私って、こんなにイライラしてるように見えてるの……?)」


 自覚していなかったことだ。

 横を見て、まるで瓜二つのような同族を見たからこそ理解できたこと。

 子供から見た母親が――まさに今の、『挨拶することすら尻込みするほどの殺意を、周囲に撒き散らしている周りの女性たち』だ。


 自分では普通にしているつもりでも、外から見ればこんな感じ。

 横を見て、初めて気づけたことだ。


「(……気を付けよ)」


 彼女が理解しているということは、車両に既に乗っていた女性たちも理解していることだ。だけど外へ振りまく殺意が消えていないのは、無自覚に垂れ流しているからなのだ。

 見た目で分かる不機嫌さは、実は本人からすればなんとも思っていないことだ。全員、自分がどう見えているのか自覚し、修正をしているのだけど、できていない――。

 誰も怒っていないのに車両がぴりついているという状況だ。


 お互いに。

 相手のことが怖いと思って、自分の態度を改めている。


 ……結果は出ていないが、それでも、直そうと意識ができたことは、喜ぶことだった。




 …了

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