第2話 目覚め
「んん…………うん?」
ふと目を開くと、これまた知らない天井が視界に広がっていた。
「起きたか」
それに傍らのパイプ椅子には、スーツ姿の男性二人が腰掛けている。
背の低い方の男性がそう言うと、隣に座っていた若い男性の方が、すぐにナースコールを押した。
数秒は言い過ぎだけど、それくらい早く感じる速さで駆けつけてくれた看護師さんは、僕を見て一瞬驚いた顔をすると、慌ててポケットからPHSを取り出して担当医を呼んでいた。
僕は寝ぼけているのか、まだ微睡んでいるように、少しだけぼうっとしながらその様子を見ていた。
足音が徐々に強くなっていくのが聞こえる。走ってきてくれたのかな。
医師は僕の目を指でグイッと広げて、ライトで照らしてきた。
眩しいなぁ……。
目を閉じようとすると、うんうんと頷いて、次に「私の手を握ってみて」と言うから、気だるくて重い身体を一生懸命動かして、ゆっくりゆっくり、なんとか医師の手を握ることが出来た。全然力は入らなかったけど、それでも医師は笑顔を見せていた。
「うん。まだ意識がはっきりとしていないけれど、反応はあるので大丈夫でしょう。あと数日は様子を見たいので、それからまた来てください。こちらから連絡しますから」
医師が振り返ってそう言うと、スーツの男性たちは、僕の方をチラッと見てから、医師にお辞儀をして病室から出て行った。
そして、僕が目を覚ましてから五日が過ぎた頃。この頃には既に僕の意識も明瞭になってきていた。
そこでやっと、この病室の不自然さに気がついた。
この病室、窓はあるにはあるんだけど、僕の手が届かないくらいに高い場所にある。
壁の上部に、最低限日光が入ればいいかな、くらいの横長の小さな窓が並んでいるだけ。まるで独房みたい。
四方の壁も真っ白な壁で囲われていて、僕のベッドが部屋の真ん中にポツンと置かれているだけ。
こっちの方が、よっぽど研究施設のような感じがする。
「なにこれ……」
驚いたのは、部屋の様子だけじゃない。
僕の身体が、治験を受ける前と後ですっかり変わってしまっていたのだ。
以前は、太ってもなく痩せてもなく、程々に筋肉が付いている至って普通な、一般的な体型だったと思う。
それがたぶん、女の人のものに変わってしまっている。
何を言っているのか分からないのは、僕もそうだ。僕自身があまりよく分かっていない。
目が覚めた時に息苦しさを感じ、それが胸の辺りの違和感から来るものだと分かった。起き上がってみれば肩から何かを吊るしているような重さを感じる。
その正体を確かめるために視線を下ろしてみれば、そこにはしっかりと主張をする二つの膨らみがあって、病衣の襟元からはその谷間が見えた。
声だって以前よりも少し高くなっていて、ボーイッシュな女の子みたいな、中性的な声になっていた。
そんなこと有り得るのかな。
いつだったか放送されていたテレビ番組では、整形でも声だけは変えられない、なんて言っていたような気がしたけど。
おかしなことは他にもある。
どういう訳か、この部屋にはテレビはおろか鏡すら無いのだ。
部屋の隅に洗面台があるにもかかわらず、鏡だけが撤去されていた。跡が着いてるから、多分前は壁にくっついてたんだと思う。
わざわざ外してあるあたりからして、今の僕が自分の姿を見てしまうのは、あまり良くないことなのかもしれない。
たとしたら、無理に自分の姿を知ろうとしない方が良いのかも……。
今分かっていることとすれば、僕が受けた治験は失敗し、大きな事故が起きたということ。そして、その失敗によって身体が変化してしまった可能性があるということ。
女性的な丸みのある身体になり、触ってみたところ無くなってるようだから、恐らく性器だってそちらに変わってしまっているし、声もそう。
顔に関してはさっぱり分からない。
未だに目、鼻、口だけが出される形で、あとは包帯で巻かれてしまっていることだけは分かる。
頭に怪我でもしたのかな。
ベッドの上で胡座をかいて、うーん……と唸ってみても、何も進展はない。
そういえば、あのスーツの男性たちはなんだったんだろうか。
なんの目的があって、僕に会いに来てくれてたんだろう。
会いに来るといえば、病室に来てくれるのは、いつも経過観察のために来る医師と看護師だけ。それも、ある程度のケアをしたらすぐに戻っていっちゃう。
誰かとお話したいな。
ずっと無音の部屋の中にいるの、頭がおかしくなっちゃいそう。
そんな僕の願いが届いたのか、今日は担当医と看護師の後に続いて、あのスーツの男性二人組みが入室してきた。
担当医による簡単なバイタルチェックが行われ、問題が無いことがわかると、男性たちだけを残して、担当医と看護師は病室から出て行った。
「初めまして、でいいかな。この間も来てはいたんだが、覚えているかな」
そう言うと、身長が低い方の男性がポケットから手帳を取りだして、僕の前でパカッと開いた。
若い男性の方もそれに続いて手帳を取りだして、僕に提示してくる。
「ちょっと驚くかもしれないんだけど、おじさん達、こういう者なんだ」
手帳はサッと見せたくらいで、またポケットの中にしまうと、今度は一枚の名刺を手渡してきた。
「県警公安部 特殊・異能事案対策課……?」
「あ〜……自分たちでもこの肩書きうさんくせぇなって思ってんだから、そんな目で見ないでくれるか……」
身長の低い方が
二人は僕の体調を気遣うように、何気なく会話をしようと声をかけてくるけど、僕の反応の一つ一つを見逃すまいというような鋭さを感じる。
他人の視線が気になってしまうタイプの僕からすると、注意深く観察するような、そんな二人の態度は居心地が悪かった。
「あの……僕のことを何か疑ってるんですよね?」
思い切ってそう聞いてみると、仁科さんが困ったように笑って、頬をポリポリとかいていた。
「君自身、分からない事ばかりで混乱しているかもしれないんだけれども、今君が覚えていることを話して貰えないかな」
そんな仁科さんを見て、検知さんが僕にそう言ってメモ帳を開いた。
「どれだけ長くなっても構わない。とにかく君が覚えていることを全て教えて欲しいんだ。まず、君の名前は?」
「えっと、如月 燎です」
検知さんは、メモ帳に落とした目をすぐさま僕の顔に戻して、顔を顰めた。
「悪いね、続けてくれ」
「……??は、はい」
僕は検知さんの表情に少し戸惑いながらも、仁科さんに促される形で、またゆっくりと口を開いた。
警察官に隠さなければいけないような、やましいことは一つもないから、竹川に代役を頼まれてこの治験に参加したこと、それからどのような流れで薬を飲むに至ったかを、事細かに全て説明した。
ただ、僕が竹川の名前を出すと、今度は仁科さんまで表情を曇らせた。
「もう一度、君の名前を教えてくれるかな」
「如月 燎ですけど……」
もう一度生年月日や経歴、家族構成を聞かれ、少し話してはまた生年月日を聞かれ……その都度丁寧に答えていくと、仁科さんたちは顔を見合せて何やらブツブツ言っていた。
「まさか……先輩、これは……」
「いや、しかしなぁ……」
メモ帳を見ながら唸った二人は、少ししてまた僕の方に目を向けた。
「申し訳ないが、少々調べたいことがあるんだ。ちょっと失礼するよ」
そう言って仁科さんは白い手袋を身につけ、僕のベッドに落ちていた白い髪の毛らしきものを一本掴むと、小さなポリ袋に入れて「では今日はここで、協力してくれてありがとうね」と早口で言って、そそくさと病室から出て行ってしまった。
なんだったんだろう。
僕の名前を聞くだけであの反応って……まぁ身体が変わっちゃってるから、嘘ついてると思われてるんだろうなぁっては感じていたけど。
そういえば、担当医や看護師さん達って僕の名前呼んでなかった気がする……。
今日は調子どうかな?とか、最初から会話を始めてしまっていたような。
でも結局考えたところで分からないものは分からない。
とりあえず、あの二人がまた来てくれるのを待つしかない。
。.ꕤ………………………………………..ꕤ.。
あの面談から一週間が経ち、僕も暇な時間を使って、自力で立ち上がったり、部屋の中を少し歩いてみたりして、リハビリをして過ごすことが出来るくらいには元気が戻ってきた。
そんなある日、再び仁科さんたちが僕を尋ねてきた。
その日は初めて、担当医が僕の頭の包帯を外してくれた日でもあった。
「早速で悪いんだが、これを見てくれるかい」
仁科さんは持っていた手提げ鞄から、一枚の書類を取り出して、こちらに手渡してきた。
「DNA鑑定の判別結果……ですか?」
「ああ。あの後、如月燎くんのアパートを捜索させてもらい、彼の部屋に落ちていた毛髪と、先日君のベッドに落ちていた毛髪のDNAが合致するか調べさせてもらった」
その書類に書かれていた判定結果は、「99%の確率で合致する」というものだった。
やはり、僕が本当に「如月燎」であるのか疑われていて、今回の検査によって僕が僕であることについては正しかったことが証明されたということだった。
「おじさん達が君を疑ってしまったことについて、まずはこれを見てほしいんだ」
そう言って、仁科さんは僕にスマホの画面を向けてきた。
スマホはカメラアプリが起動されていて、内カメラに切り替えられていた。
「こ、れは……」
思わず言葉を失った。
以前までの僕の面影は、そこには写っていなかった。
画面に写った少女も、同じように目を見開いたまま固まってしまっている。
白銀の髪に琥珀色の瞳。
身体も変わって顔もこれなら、僕が僕の名前を名乗ったところで、信用してもらえるはずがない。
「まずは、君を疑ってしまったことを謝らせてもらう。すまなかった。ただ、おじさんたちが疑ってしまった理由も理解して欲しい」
「いえいえ、そんな……自分でも、本当に今写っているのが自分なのか疑ってしまいそうですから……」
「続けざまに申し訳ないんだが、これも見て欲しいんだ」
僕たちのやり取りを傍から観察していた検知さんが、何やらタブレットを操作すると、僕が見やすいように腰を落として、その画面を見せてくれた。
画面には、ある局のニュース番組の動画が一時停止の状態にされていて、テロップには「老舗の大手製薬会社
被害者全員死亡……?
「これってどういう……だって、僕はこうして……」
僕は恐る恐る再生ボタンを押してみた。
聞こえてくるサイレンの音や、泣き叫ぶ声に息が荒くなっていく。
「すまない、もう止めた。大丈夫だ、ゆっくり息を吸って、吐いて……」
検知さんがすぐに背中をさすってくれた。
「これは先日、実際に放送されたニュースだ。このニュースの通り、今ここに居る君以外の被験者は、全員死亡が確認されている。正確には、以前の君の姿が現場から消えてしまっていたことで、君も死亡扱いとなっていた。だから、今君がこうして生存していることは、まだメディアにも知られていない」
「詳しくはまだ言えないんだが……」
そう前置した上で、仁科さんが今回の事件のあらましを簡単に教えてくれた。
治験参加していた被験者の一人が、違和感を覚えて警察に通報し、事態を重く見た警察が消防とと共に現場へ急行した。
しかし、ほとんどの被験者が口や鼻など至る所から出血した状態で既に絶命していたという。
ただ、その中で「如月燎」という男性の身柄だけが発見されず、その代わりとでもいうかのように、一人の少女が発見されたのだという。
まぁそれが結局僕だったから、事実でいえば僕が見つかったというだけなのだけど。
「なるほど、それが今の僕だと……」
「そういうことになるね。まぁ、とりあえず君の素性が少し分かっただけでも前進かな」
検知さんはパタリとメモ帳を閉じる。
「あの……これから僕は……」
「担当医の説明によると、その身体において、健康状態には何ら問題は無いそうだ。ただ、しばらく寝たきりの状態だったこともあって、まだ少しだけ筋力が低下しているようなんだ。リハビリをして、先生がOKを出したら退院しても良いそうだよ」
「君はほぼ二週間眠っていたんだ。ゆっくり身体を動かしてみるといいよ」
検知さんと仁科さんがそう言って、頭をぽんぽんと撫でてくれた。
なんか、小さい子扱いしてませんか……。
「また会うことになると思うけど、その時はまた、よろしく頼むね」
それだけ言って、仁科さんと検知さんは病室を後にした。
先祖返りのその先で 夏葉緋翠 @Kayohisui
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