先祖返りのその先で

夏葉緋翠

第1話 沈む

 何もその金額に目が眩んで飛びついてしまったという訳ではない。


 本来は友人である竹川が受けるはずだったのだが、急用が入ってそのバイトに行くことが出来なくなってしまったらしく、押しに弱い僕はそのお願いを断りきれず、承諾してしまったのだ。


 如月きさらぎ りょう


 今年からお酒が飲めるぞ〜ってウキウキしてる大学二年生。


 僕にバイトを頼んできたのは同じ学部に通う竹川たけがわ 鷺人さぎとだ。


 バイトの内容を聞いてみると、大手製薬会社が行う治験バイトなのだそう。


 そういうのって急な代役でも大丈夫なのだろうか。健康状態とか、そもそもその治験の対象として僕が当てはまるのだろうか。


 当然疑問を持ったけど、竹川は「大丈夫だから、そんなに心配すんなって。もしかしてビビってるのか?」と挑発してくるばかり。


 いやいや、ビビるでしょ。何も知らないまま薬飲むとか。



「それにもう、向こうにはお前が行くって言ってあるんだよ!」



 なんとも身勝手なことまで言ってくる始末。



 正直に言うと、僕はこの竹川が苦手だった。


 僕が一人で静かに過ごしたいと言っても無視して絡んできたり、大人数の講義室であっても大声で僕をイジるような発言をしたり。


 目立ちたくない僕に対して、目立ちたがりな竹川とあって、相性は最悪だった。


 ただ、そう思っているのは僕だけで、向こうは僕が嫌がっていることなんて全く気づいていない。


 僕もはっきり嫌いだって態度を取ればいいのに、「俺の話をちゃんと聞いてくれるの、お前だけなんだよな……」なんて、突然弱気な態度を取られたりすると、ついつい親身になって話を聞いてあげてしまって……。


 そうしているうちに切りたくても切れないような関係性になってしまい、ついに二年目に入ってしまった。


 ただ、それでもやっぱり竹川には腹が立つのだ。


 人のことは散々イジッてくるのに、自分がイジられたりすると、それはもう酷く怒って不機嫌になってしまうという、かなりめんどくさい性格をしている。


 居るよね……他人をイジッてる自分面白いでしょ!ってアピールする人。


 それを大学二年でやってるのが、この竹川という男だ。


 そして、僕が相手をしているのは竹川だけじゃないんだ。


 他にも、メンヘラ気質でとにかく自分を肯定してほしくて仕方がない人、自分語りが好きで鬱陶しく思われている先輩、自分の世界に入りすぎて他人との会話が成立しない人など。


 他の学生から全く相手にされなくなった、一癖も二癖もある人たちの話を聞くことが出来てしまったばかりに、僕はその人たちの心の拠り所となってしまった。


 結果的に、僕の周りには立ち替わり入れ替わり、厄介な人たちがうろちょろしている。


 そんな僕のことを「聖人」と呼ぶ人もいれば、「爆弾処理班」だったり、「退魔師」「除霊師」なんて呼ぶ人もいる。


 後半の方はもう面白がってるよね……。


 僕からしたら、話を聞いてあげているというよりも、無視したり冷たく扱うことが苦手で、ただただ断ることが出来ないだけ。


 だから「優しい人」って言われることにかなり抵抗感を覚えてしまうのだけど。



 今回もそんな悪い癖が出て、この治験バイトを受けることになってしまった。


 僕はスマホを取り出して、先月から付き合い始めたばかりの彼女である玲於奈れおなに、「今日は一緒に帰れない」とメッセージを残して、すぐに大学を出た。


 なんと、今から一時間後にはその治験が始まってしまうというのだ。


 竹川め、頼むのならもっと早めに言っといてくれよ。


 地図アプリで見てみれば、治験会場は隣接する市の駅前ビルで、車で四十分ほどかかると記されていた。


 今すぐに出れば間に合わないと分かり、学生専用の駐車場へ走ると、そこから息も整わないうちに車のエンジンをかけた。



 。.ꕤ………………………………………..ꕤ.。




 結局、治験の時間には間に合った。というか全然焦らなくても良かった。


 治験の開始時間はあくまでも目安で、全員揃ってから一斉に行うのではなく、来た人から順に行っていくものだったみたい。


 受付を済ませ、指定された座席で呼ばれるのを待っていると、白衣を纏った男性がやってきて、簡単な問診と現在の健康状態について質問され、それが終わると身長や体重、血圧や脈拍も測って、その後に採血をした。


 近くにいた人達は小さなスピッツ一本だけだったのに、なんで僕だけ三本も採取されたんだろ。


 どっか悪かったのかな、なんて少し心配になりながらも、案内されるがまま、その白衣の男性の後について行った。


 治験っていうから、どこか郊外にある大きな研究所とかで行うと思ってたんだけどなぁ。


 ビルのエレベーターの扉が開くとすぐに清潔感のあるカウンターが見えて、受付担当の職員さんが爽やかな笑顔で出迎えてくれた。


 雰囲気としては、かかりつけのクリニックに来た時の感覚と似てた。


 それに時折すれ違う被験者たちも、僕より年下に見える少女だったり、初老の男性だったりと年齢層も様々なようで、僕だけじゃなくて、色んな人達が来ているんだってことが分かって、緊張も少しほぐれてきた。


 今度は待合室のような部屋で待機させられた。


 あれ、次々と試験を行っていくんじゃなかったのかな……なんて思っていると、職員の方に話しかけられて、少しばかり世間話をした。


 その流れで、今回の治験について話を聞いてみた。


 最初は疑っていた僕だったけど、白衣の男性が言うには、どうやら心臓の機能向上だったり、普段使えていない筋肉にも良い影響を与えるような薬だということだった。


 心雑音に不整脈、高校時代には心肥大が見られてペースメーカー目前と診断されるなど、昔からあまり心肺機能がよろしくない僕は、そんな薬があるだぁ!なんて、すっかりノリ気になってしまっていた。


 僕と同じくらいのタイミングで来た人たち十数名の採血が済んだのか、待合室がいっぱいになると、次に僕たちは天蓋付きのベッドがずらりと並ぶ部屋に移動させられた。


 異様な空気に足がすくんだけど、被験者一人一人に看護師さんのような制服の女性が付いて、その人たちに手を引かれながら、僕もベッドへと案内された。


 医療機関で見られるような、天井からカーテンが垂らされている形じゃなくて、王族とか貴族が眠るような、豪華絢爛な装飾が施されたベッドだった。


 そんな高価そうなベッドに腰掛けるのも気が引けて、僕は少しだけ浅めに腰を下ろした。



「ベッドサイドに置いてある丸薬が、今回の治験で用いる新薬となります。これを服用した後、ベッドに横になってお休み下さい。時間になりましたら、またお声掛けに参ります」



 看護師さんの指示に従って、僕もその丸薬を口の中に入れた。


 丸薬が置かれていた小皿の隣には、丸薬を飲み込むための補助液なのか、紙コップに透明な液体が入れられていた。


 せっかく用意してもらっているのならと、ちゃんと薬を飲み込むために、その液体を使って、丸薬を一気に喉の奥へと流し込んだ。



「あれ、すっごく眠くなってきた……」



 新薬を服用して数分も経たないうちに、僕は猛烈な睡魔に襲われて、分厚い掛け布団の上にそのまま倒れ込み、意識を手放してしまった。




 。.ꕤ………………………………………..ꕤ.。





「―――――――!!」



 誰かが叫んでる。

 けれど、その声はまだまだ遠くて。



「―――――――か!!」



 焦げ臭い。


 誰かが僕の身体を揺すっている。それもけっこう強く。

 僕も返事をしようと口を動かしているつもりなんだけど、ちゃんと声出てるかな。



「――――だ!!救急――――!!」



 救急……?


 もしかして治験が失敗したのかな。


 少しずつはっきりと聞こえるようになった声は、力強いおじさんのような声で、僕に治験の説明をしてくれていた、あの白衣の男性とはまた別の声であることは分かった。



「ん……んうぅ……」


「目が覚めたか!?」



 ぼやけた視界に映ったのは、消防隊員なのか警察の特殊部隊の隊員さんなのか分からないけど、顔の部分だけが透明なビニールで中が見えるようになっていて、そのほかの全身は青いビニールスーツで包まれていた。


 どうやら僕の顔にもガスマスクみたいなのが付けられているみたいで、少ししか息を吸えないのに、口を開くと一気に胸の中に空気が入ってくる感覚がした。


 もう何が起きているんだか、よく分からない。


 ひとまず、ぼんやらとした意識のまま抱きかかえられた僕の目に入ってきたのは、薄暗い部屋の中を、ライトを手にたくさんの隊員さんたちが行き来して、他の天蓋付きのベッドの中を確認している姿だった。


 隊員さんたちが次々とベッドの中から人の形をした何かを運び出していく。


 それから隊員さんによって外に運び出されてのか、冷たいビル風が肌を突き刺してくるのを感じた。


 耳をつんざくほどのサイレン。


 空を飛びまわるヘリコプターのプロペラの音。


 各所に指示を出して回る消防隊員や警察官の声。


 野次馬が騒ぐ声。


 被験者の家族なのか、誰かの名前を繰り返し泣き叫ぶたくさんの声。


 たくさんの音で溢れていた。


 僕もすぐにストレッチャーに固定され、救急車に乗せられた。


 その時にはまた僕の意識は遠くなっていて、身体に様々な機器を取り付けていく救急隊員を後目に、僕はまた目を閉じた。


 あまりにも色んなことが起きすぎていて、脳が思考するのをやめちゃったみたい。



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