ブルー・ロンリーガール・アウトサイダー
スギモトトオル
本文
こぽこぽ、こぽこぽ。
透明なグラスにペットボトルから炭酸水を注いでいく。甘いのは彼女の好みじゃないから、ジュースとかじゃなくただの炭酸水。
まだ君は現れない。
こぽこぽ、しゅわしゅわ。
半分を過ぎて、炭酸の泡が立ってくると、グラスの中が少しずつ青くなっていく。私の目にだけそう見えるみたいで、他の人から見ると普通の透明な炭酸水らしい。
グラスの高さの三分の二くらいを水が満たしたとき、うっすらと水に揺れるスカートが見え始める。ひざ下丈の紺色のプリーツ。
こぽこぽ、こぽこぽ。
グラスの一番上まで注ぎ切る。表面張力で少し膨らんだ水面に、炭酸の泡と君のポニーテール姿が揺れていた。
ぱちり。そう音がしそうなほどに長いまつ毛に縁どられた君の両目が開く。ツンと涼し気なアーモンド型。セーラー服が水中に揺れている。
「また呼んだの?」
開口一番、彼女は眉根を寄せて、そう文句を垂れた。
* * * *
ガラスコップに注いだ炭酸水の中に女の子が見えるようになったのは、一年前のことだ。
考え事をしながらペットボトルを傾けていたらいつの間にか溢れていて、「ちょっと、こぼれてるわよ!」という聞き慣れない声に慌てた後に、その声の主がコップの内側にいるのを見た時、椅子からひっくり返るかと思うほど驚いた。
当時、高校受験を控えていた私は、そんなに勉強に根詰めてたかな、とか、遅れてきた中二病かしら、とか色々な仮説を考えたけど、何度瞬きしても頬をつねっても消えないその子を見て、これは幻覚かもしれないけど、どうにも現実だわ、と変な納得をしたのだった。
それから、誰も周りにいないときを見計らっては、ときどきこうして彼女を呼び出している。
* * * *
「それで、ようやく最初のデートまでこぎ着けたってことね」
大義そうに腕を組んで、仁王立ちに私の報告を聞いていた彼女がそう言って話を纏めた。
片思いをしていた隣のクラスの伊達くんにアプローチをかけて、彼女にもアドバイスを度々もらいながら、ようやく休日に二人で出かける約束を取り付けることが出来たのだ。
「ここまで長かったよ〜」
「あんた、普段クール系なのにこういうことになるとヘタレチキンだもんね」
「恋する乙女になんてこと言うのよ。謝れ」
「まあとにかく、良かったじゃない。精一杯楽しんできなさいよ」
私の抗議は華麗にスルーされ、彼女は自分ごとのように嬉しそうに笑っている。
「間違っても、デート中に私のことなんて呼んだりするんじゃないわよ」
* * * *
飲み終わったファストフードの紙コップに炭酸水を注ぐ。もちろん満タンまで。
「ちょっと! 何ここ、何も見えないんだけど?」
「しーっ! 今、彼がトイレに行ってる間にこっそり炭酸水を買ってきたんだから」
それだけで彼女はある程度状況を察してくれたみたいだ。なんだか不機嫌そうな表情で腕を組んで紙コップの内側にもたれると、睨むようにこっちを見上げた。
「結局、こうなるわけね」
「そんなこと言わないでよ私だって……」
「それで? 時間無いんでしょう、早くしなよ。私も見上げるの首がツラいからさ」
遮って顎でしゃくってくる。安心感あるというか、癪に障るというか……
「この後の展開なのよ。海に行くかカラオケに行くか決めてくれって言われて」
「行けばいいじゃない、どっちでも」
「違くて! カラオケなんて行ったら密室に二人きりで、それって何かされても問題ないって言ってるようなもんかな? 軽い女だと思われたりするかな?」
「考えすぎじゃん」
「ちゃんと答えてよ! も〜、どうせ私の妄想だからあんたにも恋愛経験なんて無いに決まってるんだ。くそう、こんなのに頼らなきゃいけない私の不遇め」
「おい、呼びつけてその言い草は無いだろ。オモテ出ろ相手になってやんよ」
などといつものように騒いでいたら、ふと背後に気配を感じて、
「あのー、決めてくれた……かな?」
「え」
振り向くと、かなり怪訝そうな表情の彼。
「ええと、海、行きたいなあって……」
「ああ、海ね。うん、オーケー」
ねえ、超気まずい。
やっちまったってコレ……
* * * *
「はい、ココア。熱いから気を付けて」
「あ、ありがとう……」
ベンチで待っている私に、温かい飲み物を彼が手渡してくれる。そのまま、隣に腰を下ろして自分のレモネードに口をつける彼。
黙ってコップを傾ける二人。めちゃくちゃ気まずくない?
「土橋さんってさ」
「ん、なに?」
あくまで平静を装ってるけど、内心バクバクな私。
「いや、意外とファンシーなところあるんだなって」
「え? ああ、うん?」
んっと、どういうこと? 私、空想のお友達に話しかけるタイプの子だと思われてるってこと? ぬいぐるみとお喋りするみたいに。
いや、間違ってはいないと思うんだけど、でも、違うんだ、違うんだよ。
「えっと、別に私、何かに向けて壁打ちして気持ちを整理したりしてるわけじゃなくってね。その、彼女からは、ちゃんと返事があるの。私にしか聞こえないみたいなんだけど、でも、思った通りの言葉を返してくるわけでもなくって……」
気付いたら、そんな言葉を口走っていた。
やばい、これじゃ本格的に
おそるおそる伊達くんの顔を見る。
ああ、優しい人だ。私は絶望的な気分になる。
伊達くんは、全くバカにしたり訝しむこともなく、全部受け止める顔で私の話を聞いていた。まるで、姪っ子のおとぎ話を聞くお兄さんみたいな。
「……ごめん、なんでもない」
「あれ、俺もっと聞きたかったのに」
「いや、本当にもう大丈夫。ごめんね、私ばっか喋っちゃって。ねえ、あっち行こっか。なんかイルミネーションやってるみたい」
立ち上がって、カップルが群がっている一角を指差す。伊達くんは本気でちょっと残念そうな顔をしながら、遅れて立ち上がる。
「うん、行こうか。でも、また話したくなったらいつでも聞かせてね。俺ちゃんと聞きたいから」
そう言って私の手を握り、歩き始めた。
違う、違うんだよ。
伊達くんはあくまで真摯だし、とてもいい人だと思う。胡散臭い目で見ないし、面倒くさがったり怒ったりもしていない。ずっと真正面から私の言葉を受け止めようとしてくれている。
だけど、その真摯さがどこまでも私とはズレていて、その決定的なズレがどうしようもなく痛い。
楽しそうにはしゃぎながら、しかしどこか心の片隅で暗澹たる気分を引きずって、その日はあんまり遅くなる前に電車で帰った。伊達くんはわざわざ私の最寄りで降りて家の近くまで送ってくれて、その優しさがより私の気分を暗くさせた。
* * * *
「はあ〜……疲れた…………」
家に帰った私は部屋に引き上げ、ベッドにうつ伏せに倒れ込んだ。
しばらくするとスマホが震えて、伊達くんからちゃんと家に着いたかの確認メッセージが届いていた。
本当に紳士的な人だ。そう思いながら返信を飛ばし、充電器に繋いで放り出す。
ふと、部屋の入口に放ったカバンに目が移って、中から炭酸のペットボトルを取り出す。
半分以上残ってる中身を、いつも使ってるガラスのコップに注いでいく。
こぽこぽ、しゅわしゅわ。
残り五分の一くらいを残して、コップの中に不機嫌そうな彼女が現れた。
「なんてデートしてんのよ」
開口一番、彼女は手厳しい。
私は机の上に腕を敷いて、その上に顔を乗せる。彼女と目線が合う。
「本当にね……」
「一歩間違ったらただの痛いサイコ女よ」
「おっしゃるとおりでございます…………」
彼女の辛辣な言葉に、ただただ平伏することしかできない。
「なんて顔してんのよ」
「だってさあ……」
小さなローファーがコップの内側をコツコツと蹴る。こんな風に想像してない動きを見せるし、腹の立つ事も言ったりするんだ、彼女は。
確かに私の妄想や想像が作り出している幻想なのかもしれないけど、それだけじゃない。何も物言わないクマのぬいぐるみと一緒にされたら、やっぱりしんどい。
「私のことなんかでヘコんでんじゃないわよ」
ビシっと人差し指をガラス越しに突きつけてくる。あ、下からだとパンツ見えそう。
「私なんて、いつか消える幻にすぎないんだから」
不意にスカートを翻して後ろを向き、彼女はそう言った。私は思わず顔を上げる。
「ねえ、もうこうやって私を呼ぶの、最後にしなよ」
見上げた水中に揺れるポニーテール。炭酸の泡がぶつかって、細かく割れて昇っていく。
「私のことなんて忘れてさ。だってほら、やっぱりオカシイじゃん、こんなの。伊達くんとやらの反応はやっぱり当たり前なのよ」
「でも……っ」
私が言葉を返そうとすると、彼女が振り返って人差し指を立てて、黙らせる合図をする。咲くような笑顔。
「元から、私が自分から出てきたことなんて無いしね。普通に戻るだけだよ、大丈夫」
何が大丈夫なもんか。
体の前で、スカートを抑えるように組んだ手。不安げに揺れる指。
私は胸の中に言葉が、気持ちが渦巻くのを感じながら、自分の人差し指をそっとガラスコップの表面につけた。
彼女が黙ってそれを見下ろして、何も言わずその小さな手のひらを内側から合わせてガラスの内壁に当てた。
君と私の境界線。
透明で、薄くって、落としてしまえば簡単に粉々に砕ける。
でも、絶対に超えることが出来ないその壁。
「無かったことになんか、するもんか」
私は感じている。彼女と過ごしているこの時間のことを。
「忘れてなんか、やらないよ。あんたのこと。ぜったい」
ガラス越しに彼女の顔を正面から見つめる。きゅっと唇を引き結んだ顔が、不安げに揺れていた。
「他の人にどんな反応されようが、今日みたいにデートが台無しになろうが、何度だってあんたのこと呼び出してやる」
言ってやる。
他の誰が何を言ったって、私が絶対に言い返してやる。手を握れなくたって、他の誰にも見えなくたって、十倍くらいも大きさが違ったって、あんたと私は友達だって。
「本当に消えちまって出てこなくなるまで、ずっとだよ」
…………たとえ、これが私の妄想や幻覚だとしたって。
「……いつか」
彼女は下を向いていて、その小さな口を開いてぼそぼそと喋り始めた。
「いつか、きっと私のことが見えなくなるときが来る。そのとき、私は見えなくなっているだけなのか、本当に消えてしまっているのかは分からない。分からないけど」
そこで彼女は言葉を切って、目に溜まった涙を払うように、見えない何かを振り切るように首を振った。
「覚えていてほしい。ずっと私がいるだなんて思わなくってもいいから。いまみたいなこの時間を、一緒にいた時間のことを覚えていて、ときどきでいいから、そっと一人のときに思い出してほしい」
言い切って、縋り付くように、両手を私の指の向こうでガラスにくっつけた。
「それが、あんたの本当の気持ちね」
「妄想のくせに、生意気かな」
「ううん、あなたは大好きな私の友達だもの」
私はそっとガラスコップを両手で支えて、彼女の正面におでこと鼻の頭をつける。
彼女が応えるように、両手と頬をくっつけてくれる。
決して触れ合えないけど、私達はつながってる。きっと、ずっと。
* * * *
「で、伊達くんとはフツーに付き合い始めてるのね」
「当たり前じゃん。めちゃくちゃ紳士でいい人だし、爽やかで清潔感も二重マルだし。向こうから告ってくれたんだから、OKしなきゃバチが当たるし」
「ふーん」
腑に落ちないような顔で彼女がこっちを見る。
「ま、いいけどね。あんたが楽しいなら」
「お、折れた」
「所詮私は妄想だもの。誰かさんのイターい、イターい妄想の産物だもの」
「それ、自分にもブーメラン刺さってない?」
ケラケラ笑うと、コップの中で彼女も笑ってくれる。
恋も重要だけど、友情も大事。
たとえ、いつか泡のように消えてしまう関係だとしても、過ごした時間は永遠だから。
きっと、いつまでも思い出せる。楽しかったこと。腹立ったこと。色んなこと。
小さな泡が絶えず昇っていくガラスコップの中に、ちょっと強気な、でも優しくて友達想いな女の子がいたこと。
彼女のことを孤独になんか、してやんない。
傾けたコップから流れていく炭酸水は、彼女のセーラ服の紺色スカートが溶けたみたいな、淡い青色に私には見えた。
〈了〉
ブルー・ロンリーガール・アウトサイダー スギモトトオル @tall_sgmt
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