第28話

 「晴、楓……夜行衆と対峙したんやな」

 暁史は私たちのボロボロの様子を見て、そう低い声で呟く。そして険しい顔で私と楓の顔を順に見た。

 「無事なんか」

 「アオと舞さんがひどい怪我なの。時に舞さんは意識がない」

 「お前らはどこも怪我してないんか」

 歩きながら、暁史は素早く私たちの姿を一瞥し確認する。その時、楓が告げ口するように口を挟んだ。

 「晴は両足を銃で撃たれとる。この子も早う見たってや」

 「はあ?! なんやと? 何でそれで立ってられるんや」

 暁史が驚いたように私を見て目を剥く。でも私は少し首を傾げた。

 「ん? なんかもうあんまり痛くないんだよね」

 私は足を曲げたり伸ばしたり屈伸をする。まだ少し痛みは残るが最初ほどではない。暁史がおもむろに私の前にやってきてしゃがみ込み足の様子を見ようとする。

 「見してみろ」

 私はしゃがみ込み、膝丈のズボンを捲り上げて、足を見る。そこには血痕が流れた跡があり、皮膚に銃弾が埋まっているはずだった。しかし、目の前にあるのは思いがけない光景だった。

 私たちは唖然とした。傷はすでに浅くなり、肌が銃弾をじわじわと押し出している。まるで自分の意思と無関係に体が修復を始めているかのようだった。傷口は見る間に塞がり、ついには暁史の手のひらに、小さな金属片が転がり落ちた。私たちは言葉を無くす。暁史が銃弾を摘み上げ、それを見下ろした。

 「お前、ますます人間離れしとるな」

 驚きを隠しきれない声だった。

 

 「アオは桔梗によって治療を受けとる。問題は舞姉さんや。血を失いすぎてる」

 暁史は少し眉を顰めた顔でそれだけ言った。

 夜が明けてから改めて見渡す庭園はひどい有様だった。地面にはいくつも血溜まりができている。折れた松の枝が無残に地面へ散らばり、美しかったであろう石灯籠は粉々に砕けている。枯山水の白砂はその美しい模様を完全に失っていた。ただ乱雑に土と石が剥き出しになっている。

 その場にはもう何人もの人が異変を聞きつけて降りてきていて、動揺と緊張が孕んだざわめきがあった。多くの女子供たちはその惨状に言葉を失ったりしていたが、すぐに寝癖のついた宗一郎が指示を次々に出して人々をまとめる。そのリーダーシップは目を見張るものがある。カリスマ性こそ暁史に劣るものの、やはり当主に相応しいのは宗一郎なのではないかと私は思った。使用人たちがバタバタと降りてきて、私と楓に気遣わしげに毛布をかけて、温かい飲み物を渡そうとしてくる。

 「夜行衆と戦ったんやってねえ、怖い思いしたやろ」

 私と楓は顔を見合わせる。怖い思い。そんなこと考える暇はなかった。だから感情に蓋をしていたが……確かにあの時私は怖かった。怖くてたまらなかった。大事な妖怪を失うかもしれないという恐怖を、私はまた体感したのだ。私たちはとりあえず流されるがままに屋敷へ向かった。安心すると少しあくびが出てくる。楓はだるそうに目を擦っていた。体は隅々までぐったりと疲れ果てている。

 人が忙しげに行き交う広間で、渡された温かい緑茶を飲む。楓が不安そうに囁いた。

 「なあ、舞姉さん大丈夫やと思う?」

 「……分かんない」

 あまり無責任なことは言いたくなかった。大人たちが、目を閉じて血を流す舞を担架に乗せて運ぶところを私は思い出していた。彼らの顔つきは皆一様に深刻そうだった。しかし幸か不幸か会合を開いたことによって優秀な治癒の術を使える者が集まっていたらしい。そしてすぐさま、治療に移られた。

 「どうしよう舞姉さんが死んでもうたら」

 「大丈夫だよ。絶対」

 結局、私は無責任な言葉を発した。それしか私には言葉が思いつかなかったのだ。しかし、楓はなおも不安そうにしていた。そうしてうつらうつらしていて、一時間は経っただろうか。

 「舞が助かった!」

 その声が広間中に響いた。安堵を浮かべたため息がそこらかしこで聞こえる。隣で、楓はみるみるうちに涙を浮かべて、安心したように頬を緩めていた。

 「ほんまによかった」

 なんでも、少しでも処置が遅れると危なかったそうだ。そして、なんと舞は意識を取り戻し、起き上がって岳を殺しに行こうとしていたらしい。周りの者たちが必死に止めたが、舞は岳が死んだことを聞くまで暴れていたのだと。信じられないタフさというかなんというか。

 「舞姉さんらしいわ」

 楓は呆れたように笑った。そうして私と楓は毛布を共有して眠りについた。


 夢を見た。

 兄さんと私は子供の頃に戻って、野山を駆け回っていた。眩しい陽光が降り注ぎ、風が私たちの髪をそっと撫でていく。兄さんは私の少し前を走りながらも笑って振り返り、「ほら、もっと速く走れ!」と急かす。弾む声が私を促し、私は兄さんの背中を追いかけて足を踏み出す。草むらの香りが鼻をくすぐっていた。その顔はあの頃のまま。兄さんの髪が風にふわりと舞う。優しい真紅の瞳が私を見て笑う。

 「早く帰ろう。今日は父さんがいるんだ。母さんだって待ってるはずだ」

 父さんも母さんも家で私たちを待っている。ただそれだけで、心が満ち足りていたあの頃。

 兄さんが「ほら」と手を差し出したのその手を握る。でも私はもう薄々分かっていた。これは夢だ。父さんも母さんも死んだ。そして──兄さんも私を残して死んだ。私は、一人になった。

 「ねえ、兄さん」

 「ん?」

 「……どうして私を置いていったの?」

 私がそう問いかけると、兄さんはふと表情を曇らせ、少し遠くを見つめるように目を伏せた。その沈黙が、かえって胸を締め付ける。私も兄さんもその問いには答えがないことを知っているようだった。それでも、私は兄さんの言葉を聞きたかった。

 「大好きだよ、兄さん」

 でも兄さんは喋らない。ただ優しい笑みを浮かべるだけだ。兄さんは手を引いて歩き出した。草木がずっと大きく見える。この頃、私は兄さんが誰よりも大好きだった。笑ってくれると嬉しくて、怒られると悲しい。きっとどれほど季節が繰り返されてもいつまでも私の心にいる、大事な人。瞳を閉じればいつでもその背中を思い描ける。兄さんを失ってから、私は全てを失った気でいた。でも、違ったんだね。

 私は目を伏せて呟いた。

 「私、一人になったと思ってた。でも一人じゃなかった」

 そうだ。私にはアオもいるし、今は暁史もいる。前を向こうって自然と思える。

 「兄さんが言ってたのはこういうこと?」

 私はそう言って、自分を励ますように微笑んだ。

 ”人間として生きる”

 その言葉の意味を少しは分かった気がする。兄さんはやっぱりすごい人だ。兄さんはその言葉を聞いてしばらく黙ったままだったが、やがて私の肩に手を置いた。真剣な目で私を見つめる。その紅い瞳が、私の中に潜む哀しみや不安感をまっすぐに見透かしているようだった。

 「晴、お前は強い」


 「俺は、お前の強さを誰よりも信じてる」


 

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