第26話
私は再び銀二の背後に現れた。破片が飛んでくるのを走りながら飛び退けて躱す。石灯籠に隠れ、影に潜る。また現れては周りを縦横無尽に駆けて翻弄する。いつしか私の額には黒い小さな角が、口には牙ができていた。自分が人間からどんどんかけ離れていくのがわかる。そうして私が戦場をかき乱す間、鏡火はつまらなそうにただ見てるだけだった。鏡火にとって、この戦いはどうでもいいのかもしれない。つまり、岳と銀二が勝ったらそのまま仲間に引き入れる。負けたら負けたで私たちごと処分する。それだけの自信があるのだ。
その時、楓が私の作った隙を使ってもう片方の目に向かって短剣を振り下ろす。ガキン、と硬質な音が響いた。閉じられた瞼に短剣は通らない。楓はすぐさま影に潜ろうとする。しかし尻尾が薙ぎ払うように植木、灯籠などを巻き込んで叩きつけた。
「楓!!」
瓦礫の中、倒れ伏している。呼吸だけがわずかに聞こえるだけで、体はまったく動かない。私は唇を噛み締めた。……ここで楓を死なせてはならないと思う。まだ、あの子と何も話せていないのに。
楓の意識がない以上、もう影を使った奇襲はできないし、安全な影に入ることも叶わない。それに考えてる暇もない。私は地面を力強く踏み締めて駆け出す。銀二が私を噛み殺そうとするのを紙一重で避ける。歯と歯がぶつかる金属質な音が聞こえた時、私は空中に身を躍らせていた。その頭に向かって鋭い蹴りを叩き込む。電流が足に絡みつき、その一撃がまるで稲妻を降らせるかのように炸裂する。
私は確信を得ていた。私は、銀次より速い。そして速さは重さだ。攻撃は間違いなく効いている。蹴る。蹴る。殴る。やがて銀二は疲弊し、息が荒くなっていく。もうその体はボロボロだった。だが、その目。決して諦めないという信念のある瞳で何度も、何度も立ち上がる。向かってくる。ふらつき始めた足を踏ん張ろうとする。私はなんだかやるせない気持ちだった。そこまでする価値が岳にはあるというのだろうか。銀二にとって、岳には悪人というだけでは終われない何かがあるのか。だが……どちらにせよやることは変わらない。大事な友達を……アオに殺させるわけにはいかないのだから。
私は息を詰めると同時に、力強く足を振りかぶり全身の筋肉を一瞬にして解き放つような回し蹴りを放った。その凄まじい勢い。足にまとった雷が閃光となり、蹴りとともに空気を切り裂く。銀二の体は弾き飛ばされるように空中に浮かび、地面に叩きつけられる。鈍い音が響き、庭のあらゆる物を巻き込みながら転がる。必死に体勢を立て直そうとしているが足に力が入らないようだった。
決着は着いた。
そこで、あくび混じりに眺めていた鏡火が呟く。
「呆れた。弱すぎるわね」
倒れた銀二の前、私はゆっくりと顔を鏡火に向けた。別に銀二のことは嫌いじゃない。だが鏡火は別だ。好きになる要素がない。なんなら私が一番殺意を持っている妖怪だ。鏡火が首を少し傾げて、扇で私を指す。
「いいわ、遊んであげる」
その言葉が放たれるや否や私は一気に距離を詰める。烈光を宿した拳を振るうが、鏡火は見切っていたかのように微笑んだ。鉄扇を開く。途端に白炎が私と鏡火の間に燃え上がった。空気が揺らぎ、熱気が肌を刺すように迫ってくる。燃え盛る獣のようにうねり、地面さえ焦がしつつ激しく唸りをあげるそれは、私と鏡火の間に絶対的な壁を築いた。そばにあった低木があっという間に燃え尽きる。触れるものを一瞬で焼き尽くすほどの高温の炎だ。触れることは叶わない。
私は咄嗟に背後に飛び退くと、楓から受け取っていた短剣を取り出して投擲した。短剣は一直線に鏡火の顔面に向かって迫ったが、彼女は冷静に鉄扇で短剣を叩き落とした。その隙に私はまた炎を避けて距離を詰める。鏡火が扇を指すと、私と鏡火の間に火柱が燃え上がった。空気が一気に重く熱を帯びた。地面から白い炎がゴオオと轟音とともに噴き上がり、まるで天に届かんばかりに燃えさかっていた。走りながら方向を変えるが、また次々と火柱が上がる。私はそれでも諦めない。体を縮ませ、火柱が上がるより速く、駆ける。髪が焦げる匂いがしていた。どうにか活路を見つける。一歩一歩、鏡火に近づく。
鏡火は手のひらを口元に持っていき、命を吹き込むようにふうと息を吐いた。手のひらに小さな火が生まれる。ゆらめきながら形を変え、徐々にその輪郭がはっきりとしていく。次第にそれは成長していき、ゆっくりと翼を広げた。鳥だ。その炎でできた鳥は大きな翼を広げると、一気に宙へと舞い上がった。激しく燃え上がるその姿。まるで一瞬で夜空を白く染め上げるかのようで、私は状況も忘れて息を呑んだ。羽ばたくたびに空気が熱く震え、眩い閃光が尾を引く。鳥は空中を旋回し、広げた翼の下で炎が波のように揺らめくと、次の瞬間、目標を定めたかのように私を真っ直ぐに見据えた。そして大気を切り裂く勢いで急降下する。
燃え盛る流星のように一直線に突進し、熱と光が私に覆いかぶさる。私は直前で地面を蹴ってそれを避ける。それでも炎の鳥は一度攻撃を外した程度では止まらない。私が避けた瞬間、鳥は空中で向きを変えてまるで意思を持っているかのように私を再び追尾してきた。その鋭い眼差しが熱の中でもはっきりと分かる。その羽から落ちる炎が空中でひらひらと舞う。
もう一度急降下してきた鳥の攻撃が今度は肩に掠り、肉の奥深くまで染み込み刺すような痛みが私を貫く。肉が焦げる音を聞いた瞬間、私は池に飛び込んだ。水を全身に被り、息を荒げる。掠っただけでこれか。
「ふふ、どうするつもり? まさかそんな水であたしを倒せるなんて思っていないでしょうね」
鏡火は軽く指を振る。すると、火柱が渦を巻きながら近づいてくる。火の鳥が旋回を続け、無数の火の粉が地面に降り注ぎ逃げ場を完全に封じていく。私は息を吐くと目を閉じる。そして鏡火を真っ直ぐ見据えた。
──こんなところで死ぬわけにはいかない。
いくつもの火柱が迫ってくる瞬間、私は素早く池の水を蹴り上げた。薄い水の膜ができる。火柱がその膜を突き破るまでのわずかな時間に、私は火柱の脇をすり抜けるようにして鏡火の背後へ回り込む。鳥が私に向かって突き進んできた時には、低木の下にある土や砂を掴んで投げつける。視界を遮りながら鳥の進路に障害物を作る。そうして炎の鳥の攻撃を掻い潜る。私はもう鏡火に迫っていた。
体をひねり、勢いをつけて身を躍らせ、拳を鋭く突き出す。瞬間的に電光が辺りを駆け抜け、雷鳴のような轟音が空間を震わせる。重心を一気に前に傾けながら、全身の力を爆ぜる電光の拳へ。風の切る音がしていた。鏡火はそれを避けるが、少し頬に掠る。血が滲み、電流で火傷のような跡ができていた。確かに私の攻撃は通用する。それを実感した。私はまた戦意を滾らせて再び拳を構える。
「やるわね。でもそれで終わり?」
鏡火はとん、と地面を蹴った。突如、鏡火は視界から消えた。視線を走らせるその次の瞬間、背後に鋭い気配を感じる。鉄扇が襲いかかってくる。すでに死角から放たれている攻撃だ。──避けられない。私の首筋を狙い、ギラリと光を放ちながら容赦無く振り下ろされる刃のついた鉄扇。
その重みと冷たさが頬に感じられる刹那、私はまたあの暗闇にいた。
楓が息を荒げながら、私の前にいた。私は息を呑んで、楓の手を握る。
「大丈夫なの?」
「平気や……あんたこそ大丈夫なんやろうな」
「うん」
そうは言いつつも私は焦っていた。背中を冷や汗が流れる。相手は高温の白炎を使う。それに加えて幻術も。私の足も、今は誤魔化せているが……いつ限界が来るかわからない。何せこれは痛みを誤魔化しているだけ。間違いなくダメージは受けているのだ。
私は静かに言葉を紡ぐ。
「楓はこのまま舞さんとアオを連れて逃げて」
「晴!」
アオが私を睨みつけるが、横たわったまま起き上がれていない。楓は眉を寄せて囁く。
「逃げるなんて……! あんたはどうするんよ」
私は言った。
「いいの。私はまだ動ける。でも二人はもう限界でしょ。その代わりと言っちゃなんだけど頼みがある」
「ええけど、今から屋敷に飛んで人を呼ぶんは無理やで。距離がたりひん」
「大丈夫。目的はすぐそこだから。時間は私が稼ぐ」
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