第22話
木刀を構えた舞に、私は緊張と共に息を吐いた。隙がない。剣を構えた際の凛とした立ち姿が、強い気迫を感じさせる。舞が一瞬、動いた。その流れるような美しい攻撃は、時間にして0.5秒もない刹那のことだ。私は反射的に察知し、ギリギリで木刀を躱す。木刀のビュッと風を切る音が耳元を掠めた。立て続けに二撃、三撃と繰り出される。その木刀にあるのは目にも止まらぬ速さと、寸分の狂いもない正確さ。そして、一切の迷いなく斬撃を繰り出す決断力と、技量を宿している。距離を詰めることもままならないが、私はどうにか攻撃の隙を狙い続けた。
勝たなきゃ。絶対に負けるわけにはいかない。
突きの攻撃がきた瞬間、私は木刀の剣先を掬うように受け流す。が、その瞬間木刀は横薙ぎの一閃に変わる。咄嗟に防御した私の腕を強かに打った。技の切れ味は鋭く、その一撃には重みがある。焼け付くような激しい痛み。皮膚を突き破らんばかりの、骨の破片が肉に食い込んでいくような痛みだった。折れたかもしれない。だが私は歯を食いしばってそのまま距離を詰め、間合いに踏み込んだ。
相手の体重が前に傾いたのを私の目は捉えていた。相手の手首に狙いを定めて木刀を落とそうとするが、腹に強烈な蹴りを入れられた。私の姿勢が崩れ、舞はそのまま木刀を振り下ろそうとした。私は咄嗟に地面に肘をついたまま、折れていない方の腕の力だけで両足を使って舞を蹴りつけた。これで少しでも相手の体勢を崩せたら。しかし、木刀を使って防がれる。視界の端に相手の足が迫ったと思った瞬間、顔面に鋭い衝撃が叩き込まれた。蹴りの鋭さに脳が揺さぶられ、何か硬いものが砕ける音が頭の中で響いた。あまりの痛みに喘ぐことしかできない。
「弱い、弱すぎる。なんや? 可哀想になってくるやん」
「……あんたの、攻撃……暁史に似てる」
「当たり前やろ、私が暁史に剣術教えたんやから」
舞は小馬鹿にしたように首を傾げる。
「暁史は昔っから、甘えたで中途半端なやつやったわ。この家に半分浸かりながら、自分は余所者やって自覚は捨てへん。母親が自殺してからますますこの家を嫌うようなった」
「自殺……?」
「あら、知らへんかったん? 当主の座を狙う権力争いに巻き込まれたんよ。18年前のことや。いくら妾の子供でも暁史は才能だけはあるからな。そんで、死んだ」
私は痛みに息を切らしながらも、振り返って楓の顔を見た。顔面蒼白だった。知らなかったのか。
「弱者らしい当然の結末やね。所詮この家では生き残る強さがなかったってことや」
「弱者って……そんな言い方……!」
「だって弱者やろ。暁史にも色々教えてあげたわ。結局この世界じゃ、力があるやつだけが好きにできるってな。弱い奴に選択肢なんてない。何もできないから従うしかない。惨めな連中や」
こんなやつに負けたくない。地面に伏せている木刀を叩き込まれそうになって私は間一髪で地面を転がって避ける。だが木刀が肩口を掠めて重い衝撃が襲う。体が一瞬揺らぎ、バランスが崩れる。痛みを耐えながらも前に出ようとするが、舞はすでに次の動作に移っていた。木刀がすかさず私の胴体を狙って迫る。
「でもな。弱者も弱者でどこかで強者を欲してるんや。なんで人は群れるんやと思う? 強い者の後ろに隠れるためや。それが弱者に唯一許された生きる道なんや。ま、この世の摂理やな」
最後の力で防ごうとするも、その一撃が強く私の右腹を打ちつける。骨の髄まで突き抜けるような痛みが襲った。崩れるように膝をつき蹲った私の目の前には、木刀を引き下げた舞の姿がある。
「ほら、起きろや。いつまでそこで寝てんねん。まだ始まったばっかやろ」
桔梗がおずおずと言葉を挟む。
「姉さん、その、もうそれ以上は……」
「ハア、弱っちいの。お前らもそんな生ぬるい考えしてるからいつまで経っても弱いままなんや」
私は、痛みの中ぼんやりと考えていた。この女の思考回路。どこかで聞き覚えがある。強烈な強者支配主義。
私は思い至った。
夜行衆。あの時聞いた、鏡火のセリフだ。
『悪五郎様が尊ぶこの世の理はただ一つ。強きが生き、弱きが散る』
『夜行衆が勝つか。それとも果たしてお前達人間が勝つか。強者が生き残る、ただそれだけのことよ』
楓が震える声で呟く。
「それ、本当なん……」
「なんや?」
「暁史兄さんの母親が……自殺したって」
「ああ、そうやけど」
「誰との権力争いで、……死んだん?」
「それは……」
「答えてや!! お願いやから!!」
「当時、派閥が作られ一番権力を握っとった正妻。私と宗一郎、そしてあんたの母親や」
◇
夏の深夜。この芦屋家は静まり返り、空気がじっとりと肌に纏わりつく。葉一枚動くことのない、まるで時間さえも止まったかのような静寂が辺りを包み込んでいた。遠くで微かに聞こえるのは虫の鳴き声だけ。
夕食を終え、夜も更けて気がつけばもう深夜二時を回っている。私は部屋の灯りを小さくし、机に置かれた古びた祓術の指南書に目を落としていた。何度も同じ一節を読み返すものの、言葉の一つ一つが絡まり、頭にすんなり入ってこない。
「やっぱ、よく分かんないな……」
指南書のページを指でなぞり、内容を噛み砕こうとするものの、考えれば考えるほど霧のようにつかみどころのない。昨日から、空いた時間にちょくちょく目を通していたのだが……
ちょうどその瞬間、私はあることに気づいた。
「ん、これって……」
不意に縁側から気配がした。暗闇の静寂の中響く微かな足音。私は顔を上げて耳を澄ます。開け放たれていた縁側にアオの姿ががぼんやりと照らされて見えた。アオは緊張感を纏った表情で告げる。
「オイ、動きがあったぞ」
アオには”見張り”を頼んでいた。
「分かった! すぐ行く!」
その見張りの相手は、舞のことだ。もし夜行衆と繋がっているのなら、会合のうちに何かしら連絡を取るのではないかと思っていたのだ。
私は指南書を閉じ、静かにその場を離れた。音を立てぬように気をつけ、アオのすぐ後を歩く。息を潜めながら舞の影を見失わないよう背後を少し離れて追尾する。舞は足音一つ立てずにひっそりと、時折隠れながら長い廊下を歩いていく。
外に出ると、広々とした日本庭園を越えて私たちは奥へ奥へ進んでいった。木々のざわめきや、石灯籠の影が不穏な雰囲気を醸していた。蒸し暑い夜だった。肌に纏わりつく熱気が、容赦無く汗を滲ませる。衣服の中でさえ、空気が澱んでじっとりと重い。
そして、庭の奥深くへ行くにつれ、次第にくぐもった話し声が耳に届き始めた。男の低い声で、距離はまだ少し離れている。その声には確かに苛立ちや威圧感が滲み出ているようだった。私は、その話し声に近づいてみることにした。
「一人も殺せてないだと?」
声が低く冷たい響きを帯び、静寂を裂くように深夜の闇に吸い込まれていく。
「……ですが──」
「黙れ、俺ァ弱え奴が大っ嫌えだ。だがな、もっと嫌えなのは実力もねえのにでかい顔してる役立たずなんだよ。お前、俺がその場にいなくてよかったな。今目の前にいたらその首すっぱ抜いて机にでも飾ってるとこだぜ」
重く苦しい沈黙が続く。空気がひりつくほどの圧力が漂った。そっと植木の影から覗くと、一人の男が宙に浮く青い炎と向き合っているのが見えた。炎を通じて別の場所にいる者と会話しているようだ。
「お前、俺を舐め腐ってやがるな? 俺が欲しいのは結果だ。なのにこの俺に報告するのが言い訳の山か? 俺の親父が封印されてからどれだけの時間が経った、え?」
「……10年です」
若い男の声が絞り出すように答えた。
「弱者のレッテルを貼られ、親父の時代が終わったあの日、俺は誓った。俺がこの日の本で天辺を獲る。そのために命を張れねえやつはいらねェ。お前だよ、お前のことだ」
声は次第に鋭さを増して、怒気をはらんでいた。男──悪五郎の言葉は続く。
「なァ、俺は悲しいぜ。これでもお前を見込んでいたんだがなァ。まさか、お前も価値のない『弱者』だったってわけか_──牛鬼岳よ」
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