第21話

 暁史は部屋を出て、ため息を吐きながら呟く。

 「アリバイはなし……か」

 「犯人が誰かわかった?」

 「今のところはまだ何ともやね。でも、俺はそろそろ会合に行かなあかん。お前も訓練の時間やで」

 

 暁史と別れて、アオとともに訓練場へ向かう。そこには、すでに楓と桔梗がいた。楓は昨日と同じくTシャツ、短パンのジーンズを身に纏っていた。桔梗は袴姿。暇そうにくるくると髪をいじっている。朔太郎は見当たらない。私は二人に話しかけた。

 「朔太郎は?」

 「サボりや。どうせ出番もないし、暁史兄さんも来いひんしな」

 楓は機嫌の悪そうな声で言った。不満そうに私をキツく睨みあげている。

 「私が勝ったら、暁史兄さんから離れて。暁史兄さんをおいてこの家から出てって」

 「……そんなこと、約束できないよ」

 

 楓は腕を伸ばし、入念にストレッチしていた。そして鼻でフンと笑い、苛立ちを隠そうともせず「ほんなら、離れるまでイジメ倒したるから」と言った。

 楓はいきなり走り出す。逆手に構えた短剣を持っていた。そして屋敷から伸びる影に飛び込む。楓の姿がドプンと水に落ちるように消えてしまった。私は視線を彷徨わせて姿を探す。確か……暁史は楓の祓術を『影遁術』と言っていた。その時、目の前に伸びる私の影が不意に揺れた。次の瞬間、影の中から目にも止まらぬ鋭い一撃が飛んでくる。反射的に攻撃をかわすが、私が攻撃を繰り出そうとした時には既に影の中に姿を消されてしまった。

 時刻は夕暮れ。墨汁のように濃い影があちこちで伸びている。私の影、桔梗の影、屋敷の影、蔵の影。どこだ、どこから来る。

 静かに呼吸を整え、じっとその気配に集中した。気配がしたかと思えば影から一閃が飛び出し、短剣が私の喉元へ突き出す。私は紙一重でかわすと、そのまま一歩踏み出し蹴りを放つ。しかし、その脚は空を切り、楓は再び影の中に溶け込むようにして消えてしまう。私は構えたまま、ジリジリと他の影から遠ざかる。開けた訓練場の端までやってきた。ここにあるのは私の影一つだ。

 夕暮れでもこの明るさなら一瞬現れた相手の姿がはっきりと見える。私は姿を現した楓のガラ空きの腹に素早く拳を叩き込む。腰を回転させ、まっすぐ目標に向かって力強く撃ち抜くストレート。楓は呻き声をあげて何歩が後ろに下がると影に沈む。ここまで戦って分かったが……楓の接近戦はそこまで強くない。

 なんとなく理解した。影を利用する相手だが、その戦い方は逆に逃げをとる先が限られてくる。選択肢が自然と狭まれるのだ。楓は警戒したのかなかなか出てこない。だんだん、日が落ちていく。暗くなっていく。

 陽が完全に沈んだ薄暗い闇の中、私は油断せずに、気配を探っていた。もう、影はない。どこかにいるはずだ、しかし姿は見えない。その刹那だった。背筋に寒気が走る。勘に従い後ろを振り返るも、薄闇の中ぎらりと光を反射する短剣がもうそこまで迫っていた。短剣が、夏の夜空を切り裂く流星のように、私の喉元へと向かってくる。

 私は頭の中で理解していた。楓の祓術、影遁術はただの影移動じゃない。ある種の暗闇すら支配する能力だ。

 この暗闇の中、楓はどこにでも一瞬で姿を現すことができる。

 刹那に走る瞬間の中、私は咄嗟に短剣の切先を手で庇った。激しい痛みと共に短剣が私の手の甲を貫く。私は痛みを堪えてそのまま短剣に手を押し込んだ。こういう時は相手を捕まえることが一番重要だ。楓の手を私の指が掴む前に、楓は素早く短剣を捨てる。おそらく楓は、肉弾戦で私に敵わないと理解した上で冷静に対処した。胸元からまた新しい短剣を出すのが暗闇の中うっすらと見えていた。予備か。

 私は手に刺さった短剣を抜いて捨てる。姿を消した楓の声がどこからか響いていた。

 「あんたなんかに負けるわけにはいかんのよ。あんたなんか……暁史兄さんに相応しくない!! 私より可愛くもないし、私より品があるわけでもない。祓術やって暁史兄さんが教えても、出来ひんのやろ! 何にも持ってないやん!!」

 燃え盛る炎のような激しい嫉妬。前々から思っていたが、こいつらは助手を結婚相手かなんかと勘違いしてないか?

 「……相応しいとか、相応しくないとか。そんなの他人が決めることじゃないでしょ」

 「他人やないし! 家族やもん!!」

 背後から刃が迫るのを私は左に頭を傾けて避けると、そのまま腕を掴む。そして捻り、力強く地面へ叩きつけた。楓は受け身を取ることなくそのまま影に潜る。呼吸。肌で感じる風の流れ。空気の動き。それらに意識を集中する。影から楓が現れる瞬間の微かな気配を察知し、不意打ちを避ける。私はだんだん楽しくなっていた。そうだ。私は戦うこと、体を動かすことはもともと好きだった。

 「家族だからって、なんでも許せるわけじゃない。無条件で好かれるわけでもない。分かるでしょ?」

 「……兄さんが私のこと嫌いになるって言いたいん?」

 「そういうわけじゃないけどさ。アンタは、暁史に執着して夢見すぎなんだよ。『期待』とか『理想』とか『こうあるべき』とか、余計なもので暁史を縛ろうとしてる。人を思う通りにすることなんてできないし、するべきじゃない」

 「うるさい!」

 わざと隙を作るような体勢をとって、楓が私に近づいてくるのを誘い込む。相手が飛び出してくる瞬間を狙って、渾身の力で拳を振り下ろした。影に紛れた楓の体がそこにあった。相手の動きが一瞬鈍ったその隙に、すかさず追撃を加える。腰をしっかり回転させて、腕を力強く横から打ち抜く。頬に一撃、続けて鳩尾。ヒザの溜めだけで回し蹴りを叩き込む。影に戻る隙も与えない速さ。楓は呻き声をあげて地面に蹲り、動かなくなった。息が詰まるような静寂が訪れ、勝負が決まったのを感じる。楓が痛々しい掠れた声で言った。

 「分かっとるわ……私がやってるんがどうしようもないことやってくらい」

  楓の瞳には、深い闇のような絶望が宿っていた。

 「……暁史兄さんは私の憧れや。誰より眩しく輝く一等の星。絶対に手を伸ばしても届かへん。誰もがそうやと思っとった。でも……あんたが現れた。兄さんの隣に、呑気な顔して当たり前みたいに」

 最後は掠れた小さな声だった。……暁史は、こんなに妹や弟たちに慕われているとは知らないのではないか。私は目を伏せると、言葉を紡ぐ。

 「……私が思うに、暁史とアンタたちに足りないのは話し合いだと思う」

 その時だった。


 「楓は憧れすぎて逆に暁史の気持ち考えたことないもんなぁ」

 

 揶揄うような声だった。気付けば背後、桔梗の隣に舞がいた。袴の裾をたすき掛けにして、髪をポニーテールに括っている。勝ち気に口端をあげて余裕な態度で腕を組んでいた。その手には木刀が握られている。楓が体を起こして呆然と見上げ呟く。

 「舞姉さん……」

 「桔梗に頼まれてなぁ、暁史の助手の妖混じりを懲らしめてくれって。会合も、遊馬の代表は正宗一人で十分やしな」

 桔梗は気まずげに顔を伏せた。本当に、暁史の妹たちにはとことん嫌われているらしい。舞はふん、と鼻を鳴らすと腕を組んで私を冷たい視線で見据えた。

 

 「今度は私が相手になるわ。どんまもんか計ったる」


 

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