第18話

 「まずボクが行くわ」

 朔太郎が無表情で前に出る。アオと暁史、桔梗、楓は後ろに下がった。朔太郎の手にある弓は、彼の身の丈ほどの長さがあり、異様な存在感を放っていた。あの弓から放たれる矢には、どれだけの威力が込められているのか。並の矢ではないだろう。

 朔太郎は弓矢をつがえて、構える。私はそれを待ったりしない。膝を抜いて倒れ込むと加速して地面を蹴る。重力を利用した加速だ。最短距離を接近する。大地を掴むように地面を蹴り、体を前へ前へと押し出す。足の裏に地面の感触がくっきりと伝わってくるのが分かる。

 弓が低い音を響かせて張られ、朔太郎の冷静な視線が私を射抜く。霊力が集中するように弓矢が鮮烈な火花を纏っていく。朔太郎の前髪が弓矢から放たれる風に靡く。──金色に輝く矢が放たれる。

 瞬間、視界の端に光が一閃する。太陽の光を浴びて、矢羽根が虹色に輝きながら矢が凄まじい速度で迫る。それがスローモーションのようにはっきりと見えていた。私の顔面を目指し、寸分の癖もないほど正確に。

 殺す気か。一瞬の判断で私の首が僅かに動かす。矢は私の耳を掠めて飛び去った。鋭い重圧が耳元で弾け、ゾッと冷たい汗が流れる。

 その次の瞬間にはもう次の矢が迫っていた。まるで目標まで突き進む弾丸のようだ。私は地面を蹴りながらそれを避ける。それから私は絶え間なく放たれる矢を、跳躍して避ける。体をかがめ、地面を蹴り、猫のように素早く横へ飛び移る。時には転がりながら。避けきれないものは叩き落とす。弓弦が張られる音が絶えず響いている。

 その時、矢が体に突き刺さる湿った音が私の耳に響いた。遅れて鋭い痛みが──まるで体の中心を抉りとったような痛みが、駆け巡る。見れば矢が一本肩に刺さっている。私は舌打ちをこぼして手早く抜いた。一瞬のことだったが痛みがジワリと肉の奥まで染み込む。剣が肉体を切り裂く感触、温かい血流れる感覚がしていた。しかし、躊躇う暇はない。すぐに矢を抜いていて正解だった。先ほどから、矢が地に落ちるたびに刹那の静寂の後、閃光とともに爆発音が響いている。ものすごい轟音だ。あの矢には、ただ刺さるだけでなく、何かしらの呪いか術が仕掛けられている。威力はかなりのものだ。放っておけば、私はすぐに追い詰められるだろう。負けるかもしれない。

 そう考えた時、私は歯を食いしばった。負ける? 冗談じゃない。私はまだ何も達成できてない。こんなところで、負けるわけにはいかない。

 強くなるんだ。

 そして、一瞬脳裏に掠めた言葉。それは──暁史に認めてもらいたいと言う感情だった。


 私は息を吐くと、地面を踏み締めた。思いっきり渾身の力を込めて蹴る。大地を砕くかのごとく足に一気に力がこもる。そして風のように駆けた。皮膚の下で筋肉が躍動しているのがわかる。矢は私に追いついていない。もっと、もっと速く。私に必要なのは速さだ。

 全身の力を一点に集中させ、地面を蹴る、体を空中に跳ね上げる。そうして弾丸のように相手へと飛び込んだ。至近距離から放たれた矢を私は首の動きだけで躱す。頬がざっくりと切れるが、構いはしない。心臓が鼓動を早め、痛みを忘れるほどにアドレナリンが体中を駆け巡っていた。そうして間合いを詰める。目の前には恐怖で目を見開く朔太郎が。

 私は全身の遠心力を使って鋭い蹴りを放つ。靴が朔太郎の太ももに食い込み、鈍い衝撃が私の脚に返ってきた。ほんの一撃。だがそれで十分だった。力強く蹴りを入れたことで、大腿骨が砕ける音が耳に残る。倒れた朔太郎は、微動だにせずただ静かに息を乱していた。

 勝った。私は信じられなくて自分の手を見つめる。暁史には負け続けていたのに。


 「勝負ありやね」

 暁史がそう言った。

 「朔太郎はもっと頭を働かせなあかん。晴がどうやって距離を詰めようとしとるか。何をしたら相手が嫌がるんか。相手との駆け引きも重要なんやからな。あと矢の威力を信じすぎたのも良くない。賢く戦うことも覚えなな。……それは晴、お前もやで」

 今度は私に向き直ると、静かな口調で言葉を紡ぐ。

 「お前の攻撃は確かに素早いし、力もある。でも、もっと戦略的に動ける余地があるんや。お前はもっと小細工を覚えなあかん。……ま、今日はこの辺でええか」

 暁史が空を見上げる。西の空に広がる雲が夕陽の光を受けて黄金色に染まっていた。鴉の声がして間延びして響いている。

 

 朔太郎の太ももを桔梗が治療する。札を当てて霊力を流し込みながら五分ほどかけて行っていた。兄さんの治療はそれだけ大きな怪我でもものの数秒で治っていた。同じ治癒でも、手段もかかる時間も違うようだ。……兄さんがすごすぎたのかな。兄さんだしな。

 楓が朔太郎を覗き込みながら尋ねる。

 「朔ちゃん大丈夫か?」

 「……いいかげん朔ちゃんっていうのやめろや」

 朔太郎は眉間に皺を寄せた。その仕草は微かに幼さを残していた。桔梗に手を差し出されてどうにか立ち上がる。ヒョコヒョコしていたが「まあ、さっきよりマシや」と口の中で呟く。そして私の方を向いた。

 「あんた、晴やった?」

 朔太郎は私を射抜いて鼻を鳴らした。

 「まだ認めたわけちゃうけど……ま、アンタが雑魚なんかやなくて、ちゃんと強いんは理解したわ」

 「私はまだ一つも認めてへんからな!」

 楓はベーっと下を出す。朔太郎は、足を引き摺りながら屋敷に戻っていった。

 朔太郎の治療を終えた桔梗が私のところまで歩いてきた。そして「肩は?」と問う。私はおずおずと肩を差し出した。桔梗は、目を伏せると私の肩に札を置いて霊力を流し込む。やがて肩の痛みが完全になくなる。私は吃りながらも「あ、ありがとう」と礼を言った。

 「別に、これが仕事やから。頬は?」

 「いいよこれくらい。私、傷の治りが人より早いから」

 「そう」

 桔梗はそっけなくそういうと、背を向けて屋敷に向かって歩き出した。それに暁史が続く。


 私はふうと息を吐くと歩きながら空を見上げた。夕日が徐々に沈みゆくにつれ、空の色は徐々に変化する。夕焼けが、燃え尽きる炎のように赤く染めていた空は、目まぐるしく変わる。もう深い藍色がやってきていて星々が顔を出し始めていた。こうして忙しい一日は終わりを告げた。

 

 

 ◇

 

 

 「いつまで寝てるんや。さっさと起きろ」

 その日も暁史のその声に私は叩き起こされた。目をこすりながら布団の上で身を起こす。障子越しに射し込む柔らかな光が、白い紙に温かなオレンジ色の影を作り、ふわりとした明るさで部屋の中を満たしている。畳が太陽の光を受けてほんのりと温もりを帯び、鼻をくすぐるほのかなイ草の香りが空気に混ざる。鳥のさえずりが遠くからかすかに聞こえていた。

 アオが眠そうにゆっくりと隣の敷き布団から起き上がり、唸った。

 「うるせえなあ、なんだよ」

 「客の一人に呪詛が来たんや。今じゃ屋敷中大騒ぎやで」

 「呪詛?」

 「お呪い、まあ簡単な話、攻撃やね」

 どうやら私たちは朝食を食べ損ねたらしい。渡されたお盆に乗ったおにぎりを受け取る。暁史がとっていてくれたおにぎりだ。それを私とアオは無言で食べた。着替えて部屋を出ると、前で待っていた暁史とともに歩き出す。

 ヒリつく緊張があった。長い渡り廊下を歩く際、離れた向こうに何人かの使用人たちの姿が見えた。彼女たちは私に気づくと、瞬時に視線を交わし、何かを小声で囁き合う。その表情に含まれるのは……警戒、恐怖。私が近づくにつれて肩を少しすぼめるようにして、物陰に隠れるように去っていく。……完全に犯人私だと思われてるよね。

 不穏さが屋敷中に漂っていた。

 「アレは遠くから飛ばせるもんやない。つまり、呪詛を飛ばした犯人はこの家におる」

 暁史は着物の袖に腕を突っ込みながら言葉を連ねた。そういえば、暁史は昨日もそんなことを言っていた。裏切り者がいるとかなんとか。アオが鼻を鳴らした。

 「で? 今度はどんな面倒ごとを引っ提げてきたんだよ」

 「……分かる?」

 「ああ、めちゃくちゃ面倒そうな顔してるぜ」

 「ハア。そうやね、……犯人探しを宗一兄さんに頼まれたんや。これで芦屋家はちょっと悪い立場になったから、兄さんとしてはなんとしてでも見つけたいところやろ」

 「オメーあいつに弱みでも握られてるのか?」

 「色々借りがあるだけや。昔世話になったからな。……今日は午前の座学は休みや。助手としての初仕事やで。まずは呪詛を受けた祓い師と話そか。牛鬼家っちゅう家や」

 

 

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