第17話

 「ふん、人の顔色伺うくらいしか脳がないんやろ。反吐が出るわ。だから嫌いやねんこの家が」

 長い芦屋家の廊下。私の少し前を、暁史はイライラしながら歩いていた。その剣幕に私は少し驚く。私もアオですらも、もう怒っていないのに。

 「すまんな、家の連中が」

 宗一郎が謝る。暁史はそれには答えず、憎々しげに呟いた。

 「昔からそうや。この家は。何にも変わっとらん」

 「暁史は当主になりたいんじゃないの?」

 私は思わず疑問を投げていた。

 「ハッ当主?」

 暁史は白けた笑いを皮膚の上に浮かべる。歩きながらじろりと私を見下ろした。

 「誰から聞いたん? それ。……俺は昔からこの家で除け者や。なんせ妾の子やからな」

 妾の子。現代にそぐわない言葉に、私は戸惑った。

 「継ぐんは順当にいったら宗一兄さんやろね。長男やし。家の切り盛りするの得意やからあってると思うわ」

 それを聞いた宗一郎はなんとも言えない表情でため息を吐く。

 「はあ、僕だってこんな家継ぎたくないねん」

 「あ? 知らんわ。だったら俺みたいに家でりゃええやん」

 「そういうわけにいかんやろ。弟や妹たちもおるんや」

 「意味わからんわ」 

 「あのな、僕やってこんな家業嫌や。だってめちゃくちゃ危険や。僕かて死にたくないもん。でも、誰かがやらなあかんねん」

 「昔からアンタのいうことは理解できひん。それに祓い屋家業はおもろいやろ。力が全ての妖怪共を力でボコボコにする仕事やで?」

 「そういうんならこの家継いでくれや。お前が一番才能あって相応しいんやから」

 「嫌や。この無駄にデカくて古臭い家継ぐんはおもろくない。俺はそんなでかいもん背負う度量はないねん」

 暁史は眉を顰めたまま、嘲笑う。

 「実家の家業継いで決められた相手と結婚して、家を栄えさせる? そんなつまらん人生はごめんや。俺は俺の人生を生きる。やりたいことやるねん。邪魔すんな」

 「お前は少しぐらい責任感とか身につけたらどうなん?」

 暁史は低い声を出して嗤った。

 「ハハッ責任感とか死んだ母ちゃんの腹ん中置いてきたわ」

 「……おもろいと思っとるんかそれ」

 それには答えず、暁史はふと宗一郎へ視線を送る。

 「ああそういや、宗一兄さんに頼みたいことあってん」

 「何?」

 「ちょっと何人か借りてええ? この子に鍛錬つけたいんよ。祓術も教えたいし。もちろん、ここにおる間だけでええから」

 「それくらいなら、別に構わへんけど。ただ、僕やお前はしばらくドタバタするから手の空いてる妹、弟たちに限定されるけどな。お前が頼めば一も二もなく頷くやろ」

 部屋の前にやってくると、宗一郎は振り返り側に静かな声で言った。

 「暁史。油断すんなよ」

 「分かっとるわ……裏切りもんがおる。この家のどこかに。あの妖を招き入れた奴がおるんは間違いないねん」


 ◇

 

 お昼を食べた後。祓術の訓練の時間。私は半泣きになりながら指南書を見ていた。隣で暁史がコツを伝授しとうと言葉を連ねる。

 「ええか? 祓術が使えんと話にならへん。こう、丹田のあたりに力を込めるんや。熱くなってくるやろ?」

 「いや……蒸し暑いなとは……思うけど」

 情けなさに言葉の最後が微かに消え失せる。

 「アホかお前、霊力は必ず人間なら持っとるんや。妖怪以外の動物ならなんでも持っとる。もちろんお前にもある」

 「そうは言われても〜」

 私は焦っていた。”能力があるのとないとでは、天と地ほども違う”とは暁史の言葉だ。何か掴む感覚が欠片でもあればいいのだが……皆無だ。昨日から何も成長した気がしない。暁史は私が真剣に悩んでいるのを見て、ふっと少し肩を落とし、額に手を当ててため息をついた。

 「ほんなら、これでどないや?」

 彼は、視線を私の手のひらに誘導するように見つめた。暁史の長い指先がすっと私の手に触れて握る。その瞬間、なんともいえないひんやりとした感覚が指先から伝わってくる。

 「ここが霊力の通り道や。分かるか?」

 「……冷たっ!」

 思わず声をあげてしまった。暁史が笑う。

 「これが霊力が流れとる感覚や。冷たく感じるのは、お前がまだ馴染んでへん証拠やな。けど、こうやって触れると意識はしやすいはずや」

 暁史は私の手を離し、再び丹田を意識するように促す。

 「手のひらから丹田まで、一直線に筋が通っとるイメージや。そこに意識を集中させるんや。ゆっくり息を吸い込んで、その筋に霊力が流れていくのを想像してみ」

 再び私は息を整え、集中を試みる。手のひらの冷たさがかすかに残り、さっきよりもわずかに意識を丹田へ向けやすくなったような気がする。しかし、それでもまだなにか足りない気がして、私は半ば諦めのような気持ちで目を開けた。

 「……ダメだ、やっぱりうまくいかない」

 「こんな才能ない奴は初めてや。というかこんな初歩で躓くやつなんかおるんか?」

 私は唇を噛み締めた。「強くなれないかもしれない」と、暗鬱とした思考が浮かぶ。何度も振り払おうとするが、身を焦がすような焦りは一層強くなるばかりだった。呼吸が早くなり、喉が乾いて仕方ない。

 「基礎すぎて下手なアドバイスも出来ん。そうや、アオは雪貞さんの使い魔やったんやろ? なんかアドバイスないんか」

 「雪貞は所詮天才ってやつだ。なんでもできたし、……こんな基礎で躓いたりしなかった」

 祓術の才能は遺伝しなかったらしい。こんなので、本当に鏡火を倒せるのか。情けなさと不安のあまり胸が締め付けられて、体の中が痙攣するようだった。

 「はあ……どうするか」

 そして暁史は私以上に思い悩んでいるようだった。頭を掻いて、しばらく黙り込んでいたが……顔を上げた。

 「ええわ……時間がもったいない。次、行こか」

 

 ◇

 

 少しの休憩を挟み、次は実際に戦う実践だ。訓練場に向かう。そこには、私と同い年くらいの二人の女の子と男の子がいた。

 「紹介するわ、この子が次女の桔梗。札を使った封印術と結界術、そして治癒の術が使えるんや。治癒の術は使えるやつが滅多におらん。安定感のあるオールラウンダーや。今回は治癒として参加してもらった」

 紹介される間、彼女は腕を組んで私を眺めていた。少し背が高めで腰まである長い黒髪。鋭い目つきをしている。涼やかな印象を受ける美人だ。白に牡丹の柄が描かれた綺麗な着物を着ていた。

 「こっちは、三女の楓。影遁術っちゅう術を使う。敵なら手強く、味方なら心強い能力や」

 私に釘を刺しに来た子だ。肩下までの黒髪。可愛らしい顔立ちをしているが、私を鋭く睨んでいた。一人だけ、洋服のTシャツと短パンを身に纏っていた。この家で初めて洋服を着ている人を見た。どちらかというと小柄な方だろう。

 「最後、末っ子の朔太郎。弓矢を使って霊力でできた霊撃矢を放つ。威力は注ぎ込む霊力の量で自由に決めたれるんやけど、威力はなかなかのもんや」

 短髪の黒髪。顔に浮かべるのはすんとした無表情。背は高く、体格は細めだ。暁史に比べると華奢な印象を受ける。薄緑の着物を着ていた。黒塗りの弓を持っている。


 「じゃ、一対一で戦ってみようか。祓術はありや、そうじゃないと訓練にならんからな」

 

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