第13話

 暁史が距離を詰めるのを見て、私は地面を蹴った。地を押し返すように踏み出し、足に電流が走ったように力がみなぎる。鋭い振り下ろされた木刀が私の肩を狙って迫ってくる。私はギリギリのところで身体を捻って避けると、暁史の間合いに飛び込んだ。暁史が瞬時に木刀を横薙ぎに返し、腹部を狙う。私は片足を後ろに引き、しなやかな身のこなしでその一撃を避けた。

 再び懐へと潜り込む。拳を握り、下から上へ突き上げる。腰と踏み出す足を回転させ、流れるように素早く打ち込む。しかし暁史はその動きを見切ったかのように避け、木刀の柄を使って私の肘に軽く当ててバランスを崩させた。くるくると器用に木刀を回して身体の一部かのように持ち替える、一閃の速さだ。

 そのまま目にも止まらぬ突きが目前に迫る。その刹那、私は手を使って木刀を横に受け流した。が、そのま斜めに鋭く走る一撃で払われる。酷く打ちつけられた右腹の痛みが爆破するかのように、全身に響き渡る。

 私は腹を押さえ、洗い呼吸で痛みを抑え込む。十秒もたたぬうちに、私はまた地を踏み締めよろよろと立ち上がっていた。暁史の目は冷たく、その表情には微かな感情も浮かんでいない。息を吸い込むと、私は地を踏み締め、暁史に向かって駆け出す。右足を曲げて膝を上げ、一歩踏み出して前方に勢いよく蹴り出す。暁史はそれを木刀を使って容易く防御。私は蹴った足を元の位置に戻し、着地する。その瞬間を暁史は見逃さなかった。踏み込み、息を呑むほど鋭い横へ滑るように振り払う斬撃が迫る。

 私は地面を蹴り付けた。足元が宙に浮く感覚と共に、跳躍し木刀の刃に一瞬乗り上げる。私の体重で暁史の姿勢が前方に崩れるその瞬間、その隙に首元を狙い飛び掛かる。暁史の目が一瞬わずかに見開かれる。暁史の首元に組み付かんと、筋肉が引き締まりしなやかに腕を振りかざす。

 しかし暁史の冷静さはこれでも崩れない。私が飛び掛かる瞬間、わずかに体をずらした。素早く腕を伸ばして私の腕を掴む。気付けば私は地面に叩きつけられていた。

 肺の中の息が漏れる。全身に衝撃が走り、激しい痛みが稲妻のように駆け抜ける。苦しさに肩が震え、肺が痛む。

 しかし私はまた、震える腕で体を支えどうにか身を起こしていた。暁史が問いかける。

 「そろそろやめるか?」

 私は痛みに眉を顰めつつも首を振った。暁史はなんの感情も浮かべず、「そうか」と呟いた。

 一気に間合いに潜り込んで放つのは、体を旋回させた鋭い蹴り。暁史は木刀を水平に構えてそれを防ぐ。渾身を込めた一撃だったので衝撃が重く脚に響いた。その刹那、余裕そうな視線とぶつかる。暁史はわずかにも後ろへ退く事はなく、その圧倒的な余裕と言える冷静さに息がつまる。

 ──勝てない。脳裏によぎった言葉を私は必死に押し殺す。私は、勝たなきゃいけないのに。こんなところで立ち止まるわけにはいかない。

 暁史は木刀の柄を素早く握り直し逆に持つと、私の足元を狙って瞬きする間もない一撃を放つ。足を強かに打たれる。

 でも、まだ立てる。ふらつく足を支えにゆっくりと立ち上がる。一応手加減してもらっているからなのかもしれないが、まだ気合いで耐えられる。痛みに唇を噛み締めて、また構える。

 「強くならなきゃ……」

 私には今強くならなければならない理由がある。その様子を見ていた暁史は目を細めた。

 「強くなりたいんか? お前」

 暁史の問いに私は痛みを堪えながら頷いた。彼はその答えを受けると、僅かに片眉を上げた。

 「ふーん、なんでや」

 「……悪五郎を……鏡火を倒すため」

 暁史は眉をピクリと動かした。

 「なんでお前が悪五郎を祓う必要があるんや」

 「兄さんの仇を討つため」

 暁史は眉を少し顰める。考え込むように静かに顎を撫でると、今度は私の目を見てはっきりと言った。

 「ほーん……じゃ、その復讐やめろ」

 「は、」

 暁史は木刀を立てて、寄りかかった。そして唇に薄い笑みを浮かべる。

 「復讐なんて、なんもおもろくないで。そんなことさっさとやめろ」

 冷ややかな、意地の悪い微笑みを口元に浮かべて暁史は言う。飄々とした声だった。だがどこかピリピリとした威圧感のようなものを感じる。私は下から睨めつけるようにはっきりと言葉を放った。

 「……やめない」

 「あっそう」

 冷たい声だ。暁史は凍てつくような目で私を見下ろし、容赦無く木刀を叩き込んだ。バシンという打撃音と共に骨の髄まで突き抜ける痛みが襲う。唇を噛んで耐える私の肩を暁史は蹴り飛ばした。体が地面を転がる。

 「うっ……」

 私は痛みで歯を食いしばって蹲った。暁史はそんな私に向かって強烈な一蹴り。体が軽く浮き上がって吹っ飛ぶ。砂を巻き込んで私は何度か地を跳ね転がった。

 「弱い。弱すぎる。ほんま可哀想になるくらい弱いな、晴」

 毒を含んだ、嫌に甘い声だった。見上げた暁史の顔には何かを見透かすような笑みを浮かべている。そしてゆっくりとした歩みで、私の側にやってくる。私の手をギリギリと踏み締めた。その容赦のない痛みに私は呻きのような悲鳴をあげる。

 「そんでお前、その程度で勝てるとでも思っとるんか? ……そうやもんなあ、勝てると思ったから復讐したいって言ってるんやもんなぁ」

 彼は低い声を出して嘲笑う。

 「その弱さで? ……ハッ舐めとんのか」

 鋭い語気だった。もう一度暁史は私の腹を蹴った。私は迫り上がった胃液を吐く。

 「お前。そんな権利ないねん。勝てるわけないやろ。復讐はある程度の強さを持った奴が持つ権利や」

 非難を含んだ断固とした声だ。ゆっくりとしゃがみ込んで、暁史は私の胸ぐらを掴む。私は体を持ち上がられて、暁史と至近距離で目があう。鋭く突き刺す視線が私を見下ろしていた。

 「弱っちいお前が、一体何を成し遂げられるんや。是非とも教えてほしいわ」

 私は溢れる涙を止めることができなかった。痛みと、情けなさで、胸が引き絞られるように苦しかった。

 「どうせ無駄死にが関の山や。な? 諦めろ。別にそこまで執着することでもないやろ。賢いお前ならわかるはずや」

 冷たい声から一変、今度は優しい猫撫で声で私を嗜める。でも、私はボロボロと涙をこぼしながらも決して視線を逸らしたりしなかった。暁史はなおも続ける。

 「復讐なんざやらへんって言え。一言言ったらもう終わりにしたる」

 私は叫んでいた。

 「やめない……!!」

 私は嗚咽を漏らし、泣きながら暁史を睨みつけた。

 「諦めろ」

 鋭い声が放たれる。暁史の見下すような冷徹な視線が突き刺さる。

 「お前には無理や。甘ったれなお前にはな」

 「あ、諦めない……!! 絶対!!」

 嗚咽で声が上ずる。恐怖で体が強張る。でも、諦めると一言言ってしまったら全てが終わる気がしていた。それだけはしてはいけない気がしていた。だって、復讐しか……それしか私にはない。

 「わ、私は、兄さんを奪われた!! それを許すことなんてできない!!」

 沈黙が続いた。私はその間も暁史から目を逸さなかった。必死だった。

 「諦めへんか」

 静かな声だった。

 「絶対、諦めない!」

 「お前が死ぬまで、か?」

 暁史がこの世で一番の馬鹿を見た顔で嗤う。私はきつく睨み据えながら言い放った。

 「鏡火が死ぬまで……!」

 「……鏡火だけ祓うのは無理や。お前の実力がどうとかそういう話ちゃう。もちろん、それもあるけど……鏡火は夜行衆の側近や。それも悪五郎に一番信頼されとる」

 暁史は淡々と語った。

 「鏡火を祓ったら、間違いなく夜行衆全部が敵になる。あの強大な組織、全部を敵に回すことになるんや。並大抵の敵ちゃうで。それでもやるんか?」

 私は涙を拭うことも忘れて頷いた。

 「……そうか」

 暁史は低く響く、落ち着いた声で言った。そして胸ぐらを掴んでいた手を離す。

 「お前はこのままやと突っ走って必ず死ぬ。それは間違いない。だから……」

 暁史はため息をこぼすと頭をガリガリと掻いた。そして、まっすぐ私の目を射抜いた。

 

 「しゃーない。俺が守ったる」

 暁史は、実に晴れやかに笑った。まるで春の日差しのような声だった。

 「え?」

 驚きと動揺を隠せない私に、暁史はあたかも揶揄うかのように笑みを浮かべる。

 「お前、ほんまにどうしようもないくらい、アホやな」

 その声は不思議なほどに皮肉な響きのしない、優しさを飽和いっぱいまで含んだ穏やかな声だ。

 「夜行衆から俺が守ったるって言ってんねん」

 その言葉に、なぜか胸の奥がじんと熱くなる。彼の冷酷さの奥に見え隠れするその温度。

 「安心せえ。こんなアホな奴、ほっとけへん」

 笑いながら髪をくしゃりと撫でられる。

 

 「もう決めたんや。どうせ俺も悪五郎を追ってる。小娘一匹守るくらいどうってことないわ」


 自信満々の笑み。目が合った瞬間、胸がきゅっと締めつけられるような感覚に襲われた。今の今まで私を叩きのめして足蹴りにしていた暁史の冷たい瞳の奥に、ほんのわずかに揺れる温もりを感じた。


 

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