第11話

 「客間一つくらい空いてるやろ。誰か案内したって」

 「……こっちへ」

 案内するように前を歩くのは先ほどの女の子だ。ピンと背筋が伸びていて、綺麗な子だなと思った。広大な土間から廊下が複数に分かれて、まるで迷路のように続いている。私はアオと共に、その長い長い廊下を歩く。床は磨き上げられた木材でできており、そのひんやりとした感触が足元から伝わってくる。張り詰めた静寂が家全体を覆っているようだった。廊下の側には白い障子がずらりと並び、開け放たれた向かいには外の庭園が一望できる。苔むした石畳が静かに敷かれ、池のほとりには灯籠が控えていた。

 時折、忙しそうに使用人と思われる女性が足早に横を通り過ぎる。そして、ある部屋の前で女の子が立ち止まり襖を開ける。彼女の後に続くように入ったその部屋は畳張りで、間取りがゆったりとして清潔感があった。手入れが行き届いているのが分かる。小さなテーブルと揺り椅子がある。

 忙しくキョロキョロしている私を見て、彼女が馬鹿にしたように鼻を鳴らした。

 「お上品な方やなあ。うちにはちょっと合わんかもしれんけど」

 「え? そうかな? えへへ」

 「……えらい可愛らしい子が来たんやね。それにしても、よお芦屋家に来られはったなあ。ほんま根性ありますわ。私にはとても真似できへん」

 なんだろうめちゃくちゃ褒めてくれる。自己肯定感上がる。そこでアオが呆れたように言った。

 「こいつに回りくどい皮肉は通じないぞ」

 皮肉だったのか。彼女がピクリと眉を動かすと、意地悪な薄笑いを浮かべた。

 「ほんなら……あんたら風にはっきり言わしてもらいますけど。あんさん、勘違いして調子に乗らんといてな? 妖混じりに兄さんが付き纏われたら、芦屋家の名に傷がつくんよ」

 冷ややかな薄笑いを浮かべながらもその瞳には鋭い敵意があった。彼女はどう言うわけか私が心の底から気に入らないようだった。

 「これ以上兄さんの手を煩わせずに身の程を弁えて消えてくれる?」

 ドスの効いた声で言い放つ。

 「え?」

 「……兄さんはな、才能があるんや! 当主になれる才能が!」

 彼女は目をぎらつかせていた。羨望と嘲りの混じりあう声で叫ぶ。

 「誰よりも強くて、誰よりも優れてる……けど、お前みたいな妖混じりが兄さんの隣におったら、兄さんは当主の座を逃してまう! 兄さんは誰よりすごいのに、お前のせいで当主になれへんなんて、私が許さへんから!」

 

 それだけ言うと、彼女は背を向けて去っていった。私は何が起こったのか理解できずに固まって呆然としていた。ひどいことを言われた気がするのに何も言い返せなかった。こんなに激しい嫌悪と怒りを、人に向けられたのは初めてのことだった。何秒も遅れてから、やっと自分の心が沈むのを認識した。

 「あんな奴の言うことなんて間に受けるなよ、晴。暁史のいないところでわざわざ言ってくるような臆病者だぜ」

 「……うん」


 その時、暁史がやってきた。

 「なんや、そんなところで立ち尽くして……そろそろ会合が始まるから行くで」

 どこまでも続くかのようにまっすぐに伸びた廊下を歩く。廊下の横には大小様々な部屋が連なっている。

 「この会合は三日間続くらしいわ」

 「会合ってよくあるの?」

 「あるで。普通は、祓い屋同士の連携や情報交換の場やね。全国から大小合わせて大体、十二の家系が参加するんや」

 その家々は、祓い屋の中でも特に古い伝統や強い祓術を受け継ぐ家系で、それぞれが地域ごとの伝統や異なる系譜を持っているのだと暁史は言った。なんと、毎年総勢五十人から六十人ほどが集まるらしい。

 そして、一番奥にある大広間についた。

 開け放たれた襖をくぐれば、その瞬間目の前に広がったのは、異様な緊張感が漂う光景だった。着物を着た何十人もの男たちが畳ばりの広々としたその広間に、ずらっと並んでいる。この場にいるのは誰もが名家の祓い屋たちなのだ。

 見上げれば天井は高く、古い木彫りの細かな装飾が施されていた。

 四方に障子が設置されており開け放っている今、庭の景色が一望できる。

 私は勝手知ったる様子で歩く暁史の後ろから続くと、何人かがこちらに視線を寄越す。それぞれの姿は一様ではなく、荒れた顔つきの者、そして無言の圧を放つような筋肉質の者まで、多種多様だった。共通しているのは、みんな只者ではないような雰囲気を纏っていることだ。ざわざわと人の囁きが満ちていた。その時、低くもよく通る声がした。

 「蒼月か?」

 「……銀二!」

アオは振り向くと明るく顔を綻ばせた。キラキラとたなびく自銀の髪に狼のような獣の耳を持ち、鮮やかな金色の瞳が輝くような青年の姿をした妖怪がいた。首には桜の花弁の模様が走っている。ふさふさとした尻尾が眩しいくらいの白さを誇っている。自動販売機くらいあるかなりの長身をかがませて、カラッとした笑みをこぼしながらアオの肩に手をまわす。

 「お前、元気そうでよかったよ。雪ちゃんが死んでから、随分憔悴してたから心配だったんだ。今は……」

銀二と呼ばれたその妖怪は私を見た瞬間、固まってしまう。言じられないと言う声色で囁くように呟く。

 「雪貞……?」

 「娘だよ、晴って言うんだ」

 「ああ! 本当にいたんだな。オレぁてっきり雪ちゃんの妄想だとばかり」

 「……なあ、黒羽は?」

 「それがな……何の情報もねえんだ。雪ちゃんが死んだあれからそれっきりさ。……オレもさ、今も使い魔やってんだ。なんか人間と暮らすのが性に合ってるんだよなぁ」

 父さんに仕えてた妖怪か。アオにとっては懐かしい仲間との再会。邪魔しちゃ悪いよね。アオも心なしか顔が明るくて楽しそう。

 「アオ、私暁史とあっちに行っとくから」

 「え、ちょっと待て、オレも行く!」

 「いいよ、話してなよ」

 アオは迷ったみたいだったが結局銀二と話していることにしたらしい。話のタネには困らないだろう。長年降り積もったものがあるだろうし。 

 「後ですぐ行く!」とだけ言われたが私は肩をすくめて手を振った。

 

 広間の端から座り込む人の間を縫うように歩き、会合の主催者である芦屋家が座る上座に暁史は進んでいく。その際、上座のすぐ下の右手に座っている男が声をかけてきた。

 「おう暁史じゃねえか、久しいな色男」

 威風堂々とした立ち振る舞いの、どこか迫力のある男だった。無精髭を撫でながら飄々と笑っている。無造作に伸ばした髪を高めに結んでいて、飄々と笑っていた。漆黒の着物を見に纏い、帯には家紋の刺繍が施されている。荒々しい印象を与える容姿だが、よく見れば整っているのがわかる。

 「龍虎家の当主、アズマさんや。東京の方の家やね」

 暁史はそれだけ囁くように教えてくれると、口端をクッとあげてアズマに向き直る。

 「ほんまお久しぶりです。そちらもお変わりないようで、何よりですわ」

 「ま、うちも何人か殺られたけどな。そこの娘っ子は、半妖か?」

 「助手の紅露晴言います。一応、四分の一妖混じりですわ」

 「強いのか?」

 「まだまだですわ。でもま、今後の成長に期待っていうところです」

 暁史は微笑んだ。それが思ったよりもずっと優しい顔で、ちょっと心臓が跳ねた。それに対してアズマが放ったのは信じられない言葉だった。

 「いいな、俺のところにくれよ」

 そんな、ものみたいに。私はギョッとした。暁史はおかしそうにケラケラ笑う。

 「またまた、アズマさん冗談きついですわ。もっともっと強い方なんてそちらに十分いてはるでしょう?こんなんもろうてもええことあらへんですよ」

 「ふーん。じゃ、気が変わったらな。な? 嬢ちゃん」

 

 暁史は「じゃ、これで失礼させてもらいますー」と言って、私の背中をぐいぐい押して立ち去る。そして少し離れたところに来ると、疲れたようにため息を吐き言った。

 「お前変なんに好かれたな」

 「ええー」

 「言っとくけど、あのおっさん愛人山ほどおるから。期待せんほうがええで」

 「してないわ!」

 

 上座にたどり着いた。真ん中に座っていた男が暁史を目に入れると呆れたように言った。

 「暁史、聞いたで。ギリギリに着いたんやってね。もっと余裕もって行動せえや。いい年しとるんやから」

 「へえへえわかっとるって。今回はたまたまや。あ、そうや紹介しとくわ。新しく雇った助手の紅露晴や」

 「お前が助手ねえ……芦屋宗一郎いいます。僕はこんななりでも当主代行を任されとります。ま、よろしゅう頼みます」

 深緑の高そうな着物を着ていた。癖のない艶めいた黒髪を三つ編みにしていて肩に垂らしている。柳眉が垂れて、にっこりと目が細まる。あまり暁史には似ていない。

 「あ、紅露晴です。よろしくお願いします」

代行?当主はいないのだろうか。その疑問に答えるように、暁史は肩をすくめて教えてくれた。

 「親父は腰悪くしてな、最近はもっぱら寝たきりや。それで宗一兄さんが代わりに仕事こなしてくれとるんよ。今回も会合の主催と進行を担当するんや」

 上座は正面に位置し、会場を一望できる場所に置かれている。私は暁史の隣に座るしばらくするとアオもやってきて隣に座った。


 そして会合が始まる。


 

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