第10話

 私の乗っている新幹線がゆっくりと京都駅のホームに滑り込む。車内アナウンスが流れてドアが開く。

 私は肩にかけた鞄をかけ直すと、暁史の後にアオと共に続いて新幹線から降りた。駅はガラス張りの大屋根が印象的で、明るい日差しが内部を照らし出している。ホームには観光客がごった返して、さまざまな声が響いていた。蒸し暑い湿った空気が肌を舐める。

 「さあ行こか」

 暁史が少し前を歩きながら振り返る。

 「これからどうするの?」

 「タクシー拾って実家まで行く。ハア、憂鬱や」

 本当に嫌そう。今日はずっとため息を繰り返していた。 

 「そんなに嫌なら断ればよかっただろ」

 とアオが頭の後ろで腕を組みながら言う。

 「宗一郎兄さんの頼みやったからな」

 「お兄さんがいるの?」

 「兄が一人と姉一人、妹二人に弟一人。多分会合やから姪っ子と甥っ子もおるで」

 「大家族だね」

 「無駄にデカい家やねん」

 エスカレーターを降りて駅構内に出た瞬間、外には京都らしい風景があった。和の要素を取り入れた現代建築が並び、遠くには緑豊かな山々が見える。駅の外に出るとカッと日照りが暑い。湧き返るような観光客や地元の人に混じり、さまざま妖怪が闊歩しているのが見えた。暁史は、迷いのない足取りでタクシーが並ぶ列の方へ向かう。私とアオはその後に続いた。

 しばらく順番待ちの列を待って、ようやくタクシーが捕まる。もうその頃には私の背はびっしょりと濡れていた。乗り込んだタクシーが京都の石畳の細道を進んでいく。歴史を感じさせる古い街並みを通り抜け、やがて街の喧騒が遠ざかるとタクシーは市街地から徐々に郊外へと向かった。舗装された道路が少しずつ狭くなり始める。車窓から見える道沿いの風景が、現代的な建物から自然の風景へと変わり、緑豊かな山道が広がっていく。両側に生い茂る木々が覆い被さるように密集し、自然のトンネルのようだ。その道は、霧がかったような薄暗い雰囲気を醸し出し始めた。

 「懐かしいわ。ここ秋になると一面紅葉して綺麗なんよ」

 「へえー!」


 やがてタクシーが古めかしい木造の門の前で止まる。暁史が代金を払い、外に降り立つ。アオと私も続いて車外に出ると、夏だというのにひんやりした空気が頬に触れる。蝉の声が絶え間なく響いていた。周囲には木々が立ち並び、葉の間から差し込む陽光が木漏れ日となって道を照らしている。タイヤが砂利を踏み締めながら回転し、タクシーは走り去っていった。

 大きな木製のその門は、風雨に晒されて年季が入っており、重厚感がある。門の両側には立派な柱があり、古びた家紋や文字が刻まれている。敷地の周囲をぐるりと囲む石垣の上には、苔むした瓦屋根が延々と続いていた。この石垣の先が見えないほどだ。本当に、馬鹿でかい敷地なのだ。

 「ここが芦屋家……?」

 「そうや。うちは代々祓い屋としてこの土地に根付いてる。まあ、ちょっと古臭いかもしれんけどな」

 重いため息をついた暁史が懐から紙や筆を出した。そして小瓶をアオに渡す。アオは心得たように手のひらに切り傷を作り、小瓶に血を垂らす。暁史は赤黒い血が入ったその小瓶を受け取ると筆を浸した。地面に紙を置くと慎重に何やら文字を書き、その周りに複雑な紋様を描く。そして、その紙を紙飛行機の形に折る。

 「ええ、紙飛行機……?」

 「これでええねん。ま、俺流やな」

 そして門を押し開け、中に向かってそれを投げた。それは敷地内を飛ぶうち焼け付くようにチラチラと焔を上げて燃え尽きた。二回目となると慣れたものだ。暁史は傍に置いていた鞄を肩に下げると振り返り言った。

 「ほな行くで」

 「オウ」

 そして私たちは先に続く道を進んでいく。庭園の小道は砂利や石で敷かれており、一歩一歩踏みしめるたびザクザクと心地よい音を立てる。道沿いには、紫陽花が見事に咲き誇っている。蝉の声が響き渡る中、涼やかな水の流れるせせらぎが聞こえた。小川だ。また、広大な池の中では鯉が悠々と泳ぎ、時折ししおどしがカポン、と気の抜けた音を立てる。梅の木が植えられ、時折吹き抜ける生温い風は、湿り気を帯びた夏の空気を感じさせる。すんと鼻をならせば、土の香りや木々の芳香が鼻に香った。

 近づくにつれてその全貌が見えてきた屋敷。どっしりと構えるのは、まさに歴史を感じさせる巨大な屋敷だった。暁史の家も大きかったが、規模が違う。重厚な木造建築。柱や梁は太く、漆黒の木材が年月を感じさせる。屋根は複雑に折り重なる伝統的な入母屋造りで、黒光りする瓦がしっかりと葺かれている。屋根の角からは、雨樋がまるで鱗を持った蛇のように曲線を描きながら、地面まで流れ落ちる。瓦の隙間に少し苔が生えていた。


 この家は祓い屋として代々続いてきた名家の象徴、時代を超えてこの芦屋家を守り続けてきた堅牢な砦なのだ。

 その優雅で広大な日本庭園の中、屋敷の前で一人の子供がサッカーボールを蹴っていた。その子供は肩まで降りた黒髪で、天使の輪のように艶めいて光っていた。子供用の袴姿で、髪を靡かせて器用にサッカーボールをリフティングしていたが、こちらに気づいて目を大きく見開かせた。ボールが転がり落ちる。そして叫びながら屋敷に向かって走っていった。

 「暁史にいや!! 暁史にいが帰ってきよる!!」

 「何!! ほんまか!?」

 屋敷の中からそれに応えるように声が聞こえる。

 「しかも、女連れて来よる!!」

 「ハアーーー!?」

 私は肩をすくめて暁史に尋ねた。

 「あの子が弟?」

 「いや、あれは甥の颯馬。見ての通りサッカー小僧や」

 暁史は引き戸を開ける。両開きの木製の引き戸は年季が入った色合いで、艶やかに磨き上げられている。戸には家紋が刻まれていた。ふわっと木の香りが漂い、丁寧に手入れされた床が音もなく迎え入れる。

 やがてワラワラと屋敷の奥から人が出てくる。みんな、袴や浴衣を着ていてあっという間に囲まれた。誰もが私の姿を目に入れると、ジロジロと上から下まで観察する。特に女子供は、私を見てひそひそと話を交わした。かろうじて聞き取れたのは「妖混じりや」という言葉のみ。着物を着流した背の高い男が言った。

 「暁史や、本物やんけ」

 「どうしたんやお前」

 「うるさいねん、宗一兄さんに頼まれたから仕方なくや」

 一際熱心に私の顔をジロジロ眺めていた私より少しだけ背の低い女の子が、意地悪そうに眉をくいとあげた。

 「なんや妖混じりやないの。ペット枠かなんかやろ、安心したわ」

 その眉を上げる仕草は暁史そっくりだった。飴を煮詰めたような瞳は大きくクリクリとしている。黒髪は乱れなく整えられ、肩下まで伸ばしていた。着付けもきっちりしている。

 「ぺ……何で妖混じりだとわかったの?」

 「自分で気づいとらんの? あんた妖臭いんよ」

 

 私がショックを受けている間に男たちと話していた暁史は、振り返って私たちを紹介する。

 「助手の紅露晴、その使い魔のアオや」

 「オイ! 俺は使い魔じゃ……!」

 噛みつこうとしたアオの耳元で暁史は囁く。

 「そういうことにしとかな、家の中には入れへんで」

 「……チッ」

 私のことを助手と言ったことに、その場にいた女子供たちはひとまずは納得したようだった。

 「ふーん。紅露って言うたけど、紅露雪貞と関係あるん?」

 「娘や」


 彼らは、「それなら……まあ……」という顔をした。暁史はにっこり笑って釘を刺す。

 「正式な客やから、俺に恥かかせんといてな?」




 

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