第7話
山姥も一番弱いとわかる私を先に殺すつもりらしい。ニタニタ嫌な笑みを浮かべている。パサパサとケバついた白髪を靡かせて威圧感から痩せた体が大きく見えた。彼女の血走った黄色い目には爛々とした狂気に満ちた輝きがある。目があった途端、背筋を電流が通り抜けたような、氷が撫でた感覚がした。──強い。普段なら絶対に勝負を挑まない相手だ。山姥はカサついた唇を釣り上げた。
「ひひっ、まずはお前から殺してやるよ。そのあとはあの猫又、次があの腹の立つ赤髪だよ。今から考えるだけで楽しみだねえ」
私はたらりと汗をこぼす。ふっと息を吐くと拳を曲げて水平に構えて、地面を蹴る。一気にその懐に飛び込んで、拳を叩きつけようと拳を振り抜く。目的は急所の顎。これで脳を揺らして意識を刈り取る。が、わかっていたように頭を左に逸らして軽々と避けられる。紙一重で伸びてくる腕をかわしながら、そのまま体を縮ませて蹴りを放つ。私の会心の一撃は髪を掠めただけだった。
重心が崩れて無防備になった懐へ今度は相手の拳が飛んでくる。打撃が重い。頬を掠った攻撃で血が垂れるのを感じた。
「何やっとんねん、腰引けとるで! もっと食らいつけや! そんなもんか晴!!」
ヤジを飛ばす暁史に「うるさい」と怒鳴る余裕はない。上段回し蹴りを叩き込もうとしたところ寸前に足首を掴まれた。山姥は気味の悪い笑みを浮かべてそのまま投げ飛ばされる。木の幹に叩きつけられた痛みと共に、肺の中の空気が押し出される。
「ひひひひ、お前を味見するのが楽しみだよ!!」
山姥は両手を広げて地面に叩きつけた。すると、周囲の大地が揺れ、地面から黒い根が伸びてきて、私の足元を掠め取ろうとする。慌てて地面を蹴って飛び退くが、根は素早く動き私の右足を捉えた。足を掴まれた私は思いっきり引きずられる。やばい。私は焦って、足の拘束を取ろうとするが解けない。痛みに備えるように目を綴った時。
「ったく、しゃーないな。──幽鎖操」
ため息混じりの暁史の声がした。銀色に輝く鎖が伸びる。宙をうねる。その鎖の先についた刃が根だけを叩き切った。私は気がつけば地面を転がっていた。見れば、暁史の手元から鎖が伸びて山姥を拘束していた。祓術だ。
「ほんまに、かわいそうになるほど弱っちいな、晴」
底冷えするような声だった。私は尻を地面につけて呆然と暁史を見上げた。
「今のところお前、何もおもろくないで。あんまがっかりさせんといてな?」
笑みがゾッとするほど冷たい。山姥に巻きついていた鎖がしゅるしゅると解かれていく。
「さ、もう一度や。できるよな?」
私はその時確かに恐怖を感じた。
それから何度も、何度も負けそうになるたびに山姥を暁史が拘束して、また始めからと言うとんでもない苦行を強いられた。山姥は次第に青ざめて、疲労困憊の様子を見せた。皺の数が増えたようにも見える。
「ひえ、もうやめてくれ、降参する、降参するから」
「は? 降参? サムいこと言うなや。ちゅうか、どっちにしろ生きて返すわけないやろ。人を殺しすぎたんや、もうお前は殺処分。死ぬまで俺のおもちゃになるしかないねん」
「そんな、悪魔かお前は」
「残念、人間サマや」
そう吐き捨てると暁史は振り返り、私を見る。
「いいか? 晴、お前の身体能力ならもっといい動きができるはずや。一回俺がやったるからそこで見とけ」
髪を振り乱してボロボロになった山姥は暁史が近づくにつれて顔を青ざめさせて「嫌じゃ」と繰り返し呟く。そんな彼女に、暁史は言った。
「この戦闘にお前が勝ったら、見逃したるわ。霊力でできた鎖も使わへん。武器も持たへん。素手や」
「え、それまずいんじゃ……」
しかし、暁史の思惑通り、それを聞いた山姥はみるみるうちに元気を取り戻した。勝利を確信したらしい。生き生きと唇を釣り上げて「ひひひ」と笑いながら暁史を見ている。
暁史は軽く地面を蹴ったり、手首をぷらぷらさせて念入りにストレッチをすると、次の瞬間一気に駆け出して加速する。その勢いのまま飛び蹴りをかますが、山姥はそれを軽くかわす。暁史は地面にザザ、と足をつけるとそれを軸にとんでもない速さで体が旋回した。そのまま蹴りを放つのがかろうじて見えた。それを山姥は四つん這いで飛び上がって避ける。
暁史は山姥の隙をついて、背後に回り込む。山姥の肩を掴むと引き寄せると同時に膝で強烈な一撃を放つ。山姥は背後によろめいた。そのまま山姥は暁史から距離をとって地面に手をつける。私は「あ、」と声を漏らす。あの根が出てくる攻撃だ。
暁史は綺麗なフォームで地面を蹴る。地面から無数に伸びる根たちを、紙一重でかわす。駆ける。跳躍する。
暁史は笑っていた。いつものニヤとした意地悪そうな皮肉のこもった笑みじゃない。口角を上げて楽しそうに。根が激しく交差する隙間から宙を躍って、着物の裾がひらひらと靡いた。根の根元を蹴って、空中でも根の攻撃を躱す。そしてみるみるうちに山姥の元へ近づいていく。
山姥はヒイッと声を漏らすが、暁史はあっという間に山姥の胸元を掴むと投げ飛ばした。山姥は弧を描いて飛んで、何度か地面にバウンドして転がった。私は目を疑った。暁史は、妖怪の血なんてないっていない。男性としては普通の範疇の身体能力のはずだ。
暁史は振り返って言った。
「な? こんな感じや、いけるやろ?」
「こんな感じって……」
「お前はなぁ、勝とうとしすぎやねん。殺意が分かりやすすぎる。もっと潜ませるんや」
「わしがこんな目に遭うとは……くそっ……!!」とうめきながらも山姥は襲いかかってくる。暁史は顔をそちらに向けずに慣れたように後ろ蹴りを叩き込む。山姥の鳩尾を強く蹴り抜いたため、山姥は胃液と共に肺から全ての息を吐いて仰向けに地面に叩きつけられる。それまで見守っていたアオが口笛を吹いた。
「あとビビって一気に勝負を決めようとしすぎ。もっと余裕を持って全体を把握する視点を持てや」
「はい……」
「ほんまに分かったんか? ま、ひとまずはこんなもんでええか。ほな祓うのは晴がやってみよか」
「え?」
腰に刺していた刀を渡された。アオが顔を顰めて口を開く。
「オイ……それ以上は──」
「お前が甘やかすから、能力はあるのにこんなに腑抜けなんや。この妖力で弱いままなんて、いつまでも通用せえへん。晴にも慣れてもらわなあな」
私が戸惑っているうちに山姥は逃げようと腰を上げた。暁史が腕を振るい鎖が巻き付く。そのまま引きずられながら山姥は血を吐くように叫んだ。
「おのれ、許さんぞ……この恨み、忘れんからな……!!」
「お前に喰われた子供たちの恨みも忘れんといてな。ま、俺は地獄に行く予定のお前なんか明日には忘れてると思うけど」
山姥は言葉にならない金切り声を発した。
どうしても、誰かがやらなくてはならないのなら。なるべく苦しまないところがいい。私は気乗りしない心を押さえつけ、山姥の首に狙いを定めた。中途半端な力や、躊躇をしてはかえって苦痛を長引かせてしまう。私は渾身の力で振り下ろす。寸前で山姥は叫んだ。
「覚えておけ!! わしたち夜行衆が、……いや、悪五郎様が!! この日の本を支配する!!! お前らなんぞ────」
首が飛ぶ。山姥は完全に沈黙した。
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