第4話
いつしか時刻は熱気に沈んでいく夕暮れ時。オレンジ色の薄い雲の下、私と暁史、そしてアオは山に面した石畳の階段を登っていた。車はこの下にあった車庫に置いてきた。なんでも広大なこの山自体が所有地らしい。
どれほど登っただろうか……長い長い階段がずっと先まで続いている。果てしない長さだ。息も切らさず斜め前を登る暁史の顔が斜陽に照らされて茜色に染まる。後ろを振り向けば、下の方で立ち並ぶ街の家々が影絵のようにくっきりと浮かび上がっていた。
ここ霧絵町は、山間の特殊な形状を持つ比較的大きな町だ。こうして上から見ると円形に近く、町を囲むようにいくつかの小高い丘、山々が点在している。
目を細めて見上げた空は紅に金が混ざったような強烈な色合いだった。
「こんなところに家があるのか?」
足取り軽く階段を登るアオが尋ねる。重いカバンを抱えたためもあり体力自慢の私でも少し息が切れていていた。その点妖怪であるアオは見るからに体が軽そうだ。
「人がおらんくてええところやろ、ほら見えてきたで」
階段の上。木々の緑の中、和風建築の建物が悠然と佇んでいた。それを囲む堀には瓦が並んでいる。立派な門構えだ。暁史は鍵を開けると門を潜った。アオが潜ろうとしたその時。バチッという音がしてアオが勢いよく吹っ飛ばされた。
「アオ!!」
私はアオを受け止めるとキッと暁史を睨んだ。暁史は「ああ、」と今思い出したかのように頭を掻いて言う。
「堪忍な、妖怪除けの結界張っとったの忘れとったわ。あんさんが自由に出入りできるように登録しといたるから血もらえる? 必要なんよ」
「ッチ、しょうがねえなぁ」
アオは嫌がることなく長く尖った爪で手のひらを引っ掻くと暁史が差し出した小瓶にドバドバ溢れる血を入れた。暁史はそれを受け取ると懐に滑らせる。
「30分後にはできると思うから、それまでどっかで時間潰しといてや」
「いーや、断るね。オメーと晴を二人にするわけねーだろ。まだ信用してねーんだよ。今ここでやれ」
「フーン……ま、そこまで言うんやったらええけど」
暁史は肩をすくめると屋敷の中に入っていった。しばらくした後、紙や筆のようなものを持って出てくる。暁史はテキパキと筆にアオの血を含ませると、持ってきた紙に陣を描いた。そしてその紙を小さく折りたたみ手のひらに乗せるとふうっと息を吐いて飛ばした。門の外から中へ飛ばされるその紙は、端からジリジリと焼けつき屋敷の敷地内の地面につく前には燃え尽きてしまった。
「もうええで」
アオが門を通ると、今度は跳ね返されることなく通れた。私も恐々と門を跨いだがやはり何にも触れることはなかった。キョロキョロとあたりを見回しながら、周りに砂利が敷かれた石畳の小道を歩く。雄大で石の配置が美しい庭だった。北側の奥には裏庭と蔵があり、さらに奥には山が広がっている。
そして何よりもその屋敷。目の前に聳える屋敷は立派の一言にすぎた。屋根には黒々とした瓦が魚の鱗をこそいだように重なり合う。先導する暁史は慣れたように引き戸の扉を開けた。恐る恐る中に入ると広々とした綺麗な土間が出迎える。見上げれば美しい格天井が。
「何を惚けとるんや、行くで」
草履を脱いで廊下に上がった暁史が着物の袖に腕を突っ込んで呆れたように振り向いていた。私は慌てて靴を脱ぎ、その後を追いかけた。こんなにすごい……なんというか金持ちそうな屋敷に入ったのは初めてだ。まるで住む世界が違うとはこういうことを言うのだろうと、戦々恐々としながらも長い廊下を歩く。私は何気なく、左手にあるガラス戸から外を見た。窓枠にも細工が施されているガラス戸の外には、先ほど見た庭が広がっている。光が差し込む南側には縁側があるようだった。簾がかかり木々を通した柔らかい日差しが降り注いでいる。
「ここは和室やね。冬はこたつを出すとこや。この家は寒いからな」
暁史が細かな細工が施された引き戸を開けると、そこは若草色の畳が引かれた和室だった。縁側の向こうには中庭があるのが見える。障子の透明感のある薄紙から透ける柔らかな光が部屋全体を満たしていた。
「次、」と暁史はくるりと踵を返して歩き出す。また廊下を歩き出して立ち止まったのは扉の前。扉の上には竹細工の使われた意匠が施されている。
「ここは俺の私室やな。貴重な呪いやら絵具やらがあるから勝手に入るのは禁止や」
「はーい」
「……フン」
ここまでくると慣れてきてワクワクしてくる。私はニコニコと手を上げて返事をした。それに対して暁史は「よろしい」と一言。そして歩みを進めて、次に辿り着いたのは近代的な空間だった。テーブルと椅子が置かれ、格子状の細かな細工が施されった窓からは光が差し込んでいる。天井には雄大な黒の梁が存在を静かに主張していた。
「ま、見てわかる通り居間やな。食事はだいたいここや」
トイレと風呂場を簡単にこちらに示した後、暁史は手すりがついた黒く急な階段を上がり始めた。階段を登って正面には意匠が凝らされた格子のついた丸い窓が出迎える。長い廊下には中庭の吹き抜けだった。暁史が艶のある木目の扉を開けて振り向く。
「ここがあんさんらの部屋やね。一緒でよかったやろ?」
「アオと私の部屋?」
和洋折衷を感じる部屋だった。庭が見下ろせる大きな窓。若草色の畳が広がっていた。ドッシリと落ち着いた雰囲気が漂う、アンティーク調の机が深い味わいを醸し出している。窓際にはガラス張りの小さなテーブル。そして木でできた椅子が二組置かれていた。私は中に入るとくるりと部屋全体を見渡した。
「わあ! 私、自分の部屋を持つのは初めてだよ。ありがとう!」
不思議と、部屋に置かれだ家具のどれもがその部屋の持ち主を思って用意したように見える。あり得ないことだとわかってはいるがそれくらいの細やかな心遣いを感じたのだ。満面の笑みでそういうと、暁史はちょっと目を丸くした。
「喜んではるのならええんやけど」
気まずげに目を逸らして頭をぽりぽり掻いて、またこっちを見る。
「ちょお先風呂入ってきてくれる? 俺夕飯作るから。ああそうや、食べれんもんとかある?」
「いや、特にない」
「俺もなんでも食べれる」
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