第3話

 男は刀の血を払いながら私に視線を向けて言い放った。

 「あんさん、やっぱ妖怪混じりかいな」

 「……なんで分かった?」

 男はトン、と自分の額を指差した。私はそこであっと声をあげた。普段人間として生活する間は引っ込めている、ツノが出てしまっている。口には牙があるのだろう。戦闘の昂りと緊張で知らず知らずのうちに出てしまったらしい。

 「お陰様でいいネタになったわ。こんなに妖混じりを近くで見れるのは珍しいからなぁ。やっぱ取材はするモンやね」

 男はペラペラと話しながらこちらに歩みよると、私に刃を振るう。思わず目を瞑るが、気づけば糸がはらりと落ちていた。

 「ありがとう……」

 「いいでお礼なんか。対価は払って貰うつもりやから」

 「へ、対価?」

 私は首を傾げる。男はスケッチブックを拾い上げて、砂を払いながらも意地悪な光をたたえた笑みを浮かべる。

 「助けるとは言ったけど、もちろん対価があるのは当たり前よなぁ?」

 「は、はああああ?」

 信じられない、詐欺だこんなの! 男は迷惑そうに耳に指を突っ込んで言った。

 「うるさいねん大声出すなや。俺は姦しい女も嫌いなんや」

 「私、お金全くないよ。何も払えないって!」

 「安心しい、金で払ってもらおうとは言ってないやろ。こんな小娘に期待してへんわ。……まあ話は簡単やな、俺の助手になってほしいんや」

 「助手?」


 「普段は妖怪専門の絵描きしてるんやけどな、兼業で祓い屋やってんねん。ま、それの助手やな。バイト代くらいは出すで。最近忙しくてなあ、茶汲みが欲しかってん」

 「ふーん」

 

 私は正直、祓い屋は好きじゃない。祓い屋に捕まったり、祓われた友達もたくさんいる。しかし……私は考え込みながらも、ミサンガの残骸を摘んで見つめた。ため息を吐く。最後のミサンガも切れてしまったし。……どうしようか。これから、うじゃいじゃと妖怪が寄ってくるのを、この男に全て捌いてもらう? 祓い屋とはいえ現実的じゃない。……ん? 待てよ、祓い屋?

 「それに、あんさん妖怪を引き寄せる体質なんやろ? 俺にとってこんなに都合のいい体質はないで。俺はあんさんに群がる妖怪が描きたい……これは交換条件や。命助けたんやからこれくらい安いもんやろ、なぁ?」


 私はそこで顔をあげて尋ねた。

 

 「あのさ、アンタ祓い屋なんだよね?」

 「まあそうやけど」

 「これ、直せる?」

 私はミサンガを見せた。男は男はそれを受け取ると、眉を顰めてじっと見つめる。

 「妖の匂いを消す効果に、妖力を抑える効果。それとお守りがいくつか。複雑な術がこもってはるわ。直せはしいひん」

 「……そう」

 「でも、同じようなモンを新しく作ることはできるわ……作ったろか?」

 「本当!?」


 私は身を乗り出す。男は意地の悪そうな笑みを浮かべてニヤと笑った。


 「取引成立やな」

 「そんなこといって、もともと拒否権はないんでしょ」

 「分かっとるやん」

 男は目を細めて楽しそうに笑う。

 「ほな、今日からあんさんは俺の助手な。ちゅうわけで助手くん、荷物取りに行くで。家はどこや」

 「家?」

 男は片眉をくいとあげる。そして当たり前だろとでも言いたげな顔で言い放った。

 「あ? 住み込みに決まっとるやろ」

 「はああ?! 名前も聞いてないのに! 住み込み!? 信じらんない!!」

 私は男の着物の胸元を掴んで揺らした。男は私の腕を掴みながら怒鳴った。

 「やめんか怪力女が!! 俺の繊細な脳みそがシェイクされたらどうすんねん!」

 

 胸元を整えた男は咳払いをして告げた。

 

 「そうや、そういえば言ってへんかったな。俺は芦屋あしや暁史あきふみ。暁史くんって呼んでええで」 

 「暁史、私は紅露晴だ」

 

 ◇


 「なんやこんなボロいところに住んでるんかいな。うさぎ小屋やね」

 「うるさいなあ」


 ボロアパートの前に車を停めた暁史は、降りて開口一番にそう言った。私は車の扉を閉めながらじっとりとした目で言う。裏山から少し降りたところに止めてあった暁史の愛車はプライドが高そうな真っ赤なポルシェだ。ちなみに私は車に詳しくなく、この車種は知らなかったのだが、暁史が自慢げに”ポルシェ911”だと話していたのでそうなんだと思う。車なんて乗れれば同じだろ、と私は思うのだが。

 車高が低くピカピカと光を反射する。美しい流れるような曲線を描いていて、かっこいいという気持ちもわかる。さぞかし高かったのだろう、そんなに祓い屋の仕事が儲かるのだろうか。

 「晴!! おせーじゃねえかよ!」

 

 その時アパートの階段から飛び降りてきた影があった。アオだ。スタッと着地すると胡散げに晴の隣にたつ暁史を見る。そして暁史の周りをぐるぐる歩いてジロジロ眺めた。暁史はガンをつけられても顔色をピクリとも変えずに、アオを見下ろしている。

 「晴……こいつ誰だ? またなんか拾ってきたんじゃねえだろーな」

 「アオただいま。違うよ、なんていうか……まあ雇用主? かな」

 「はあ? 雇用主?」

 「なんか祓い屋でバイトすることになった」

 「ハア!? オメー何考えてるんだよ!」

 暁史は眉を上げると言った。

 「なんや、お前。晴の使役してる妖怪か」

 「ちげえよ、俺は、晴の”友達”だ」

 「は?」

 暁史は片眉をくいと上げて、本気で不可解な顔をした。そして晴を見て言う。

 「あんさん、妖怪を対等な友達だと本気で思ってるんか? どうかしてるんちゃう?」

 「あ゛あ゛?」

 アオに牙を剥かれて、ものすごい妖力の圧をかけられても一才顔色を変えず鼻を鳴らすその姿には、己の強者としての自信が見てとれた。間違いなく暁史は、アオと戦っても勝てると確信しているのだ。

 「随分おめでたい頭してんねんな……ハアまあええわ」

 そしてため息を吐くとスタスタと私に構わずアパートに入って行った。私はその背を慌てて追いかける。

 先ほどは勢いでこの交換条件を飲んでしまったが、私にもそれなりに目的があった。私が祓い屋の世界に足を踏み入れることで兄さんの行方について分かることがあるかもしれない。私をこの男が利用するように、私も目的のために彼を利用するのだ。

 私は、絶対に兄さんを取り戻す。


 

 「きったな!! どう言うことやねんあんさん、ほんまに女か?」


 暁史はズカズカと扉を開けて部屋に入った瞬間叫んだ。その小さなアパートの一室はさながらゴミ溜めだ。カップ麺などインスタント食品の空箱があちこちに落ちている。脱ぎ散らかした洋服もベットへの道すがら転々と落ちている。暁史は本当に驚愕したようにこっちを見ていて、私は居た堪れなくなって人差し指を合わせる。

 「兄さんがいつもは片づけてくれるんだ……」

 「ああ、お兄さん、行方知れずなんやてね……でも流石にこれはないわ」

 暁史は振り返って呆れたように言葉を紡ぐ。

 「己はゴミ溜めのゴミ人間のままでええんか? 恥ずかしくないん?」

 「えへ」

 「えへ♡、じゃねえんやわ。舐めとんのか、ああ?」

 

 暁史は私の耳とつねって引っ張る。

 「痛い痛い痛い、わかりました!!片付けします、させていただきます!!」

 「分かればええんや、分かればな」

 

 暁史は腕を組むとあれこれと指示をする。私はその指示に従い、部屋を片付け始める。アオは窓に腰掛けるとゆらゆらと尻尾を動かしてそれを不満そうに眺めていた。暁史に言われるがままに片付けと並行して家を出る準備もする。大きなカバンを引っ張りだしてきてそこに大事なものや衣類を押し込んだ。そうしていると暁史が叫んだ。

 「ぎゃっゴキブリおるやん、最悪や。晴! はよ退治しろ!!」

 「無理無理無理。私、虫無理!」

 「はあ? ゴミ屋敷で暮らしてて何抜かしとるねん、さっさと行けや」

 「アオ! 頼んだ!!」

 「……しょうがねえなぁ」

 

 今度は鼻をつまみながら、鍋を持った暁史がおぞましいものを見るかのように視線を寄越す。

 

 「なんでクローゼットに鍋があるんや、そしてこの黒い物質はなんなんや悪臭がするんやが」

 「なんだろう……あ、やめて私にそれを向けないで! 私鼻が敏感なんだよ!!」

 そうこうして何時間かかけて部屋が片付き、ピカピカと光るフローリングの床が見えた。私は部屋を見渡してふう、と汗を拭う。

 「すごいこんなに綺麗な床を見たの一ヶ月ぶりだ」

 「信じられへん……どう言う神経してたらここで生活できるんや」

 私はカバンを肩にかけると綺麗になった部屋を振り返った。もちろんアオもついていくことになったので、この部屋には誰もいなくなる。

 「じゃあ行くで」

 「うん」

 

 ……バイバイ兄さんと私の家。

 

 

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