第2話

 やがて春色の美しい、豪華絢爛な桜の数々が見えてきた。風が吹くたびに花吹雪のように薄ピンクの花弁がひらひらと舞う。どこか妖艶なのは、この桜たちが妖力を吸うからか。ここの万年桜は名前のように年中咲いている。あの赤提灯が細々と妖力を注いで育てた、いわば妖怪の木だ。妖怪が見える者にしか見えないから、季節外れの桜が咲いていると人間の中で話題になることは一切ない。

 その桜の木の一つ、根元で座り込んでいる者が一人。その背に私は問いかけた。

 「ここを無理やり奪い取ったのはアンタ? 悪いけど返してやってくれないかな。赤提灯が育てたんだ、その桜」

 「ふざけたことを言うな? 人間よ。ここはもう俺の縄張りだ。大体、妖怪の世界は力が全てなはず」


 ゆっくりと振り返ったのは一つ目の目玉がギョロリと大きい、二メートルはありそうな妖怪だ。手をかざし見上げるとまたぐんと大きくなった気がした。私は腕組みをして唸る。

 「そうなんだけどさー……私、友達なんだよ、そいつの。赤提灯が一生懸命、少ない妖力を分けて育てたんだ」

 「知ったことではない。お前がこの地を奪うと言うなら食い殺してやるまでよ」


 巨体に似合わない細長くヒョロリとした手が伸びて、こちらに迫ってくる。私は顔を傾けてそれを見切った。その長い爪のついた手はものすごい勢いで地面を抉る。なかなか殺傷能力は高そう。理性はあるみたいだし話は通じそうだったんだけどな。半端に力を持っているためプライドも高いのか。妖怪に多いタイプだ。

 まあしょうがない。穏便に済ませられないのなら、こちらも実力行使に出るまで。

 私は唇を舐めると瞬間、地面を蹴って駆け出した。足に爆発的に力がこもる。靴で踏みしめた地面がへこみ、クレーターに似たヒビが入る。私の身体能力は普通の人間のモノとはかけ離れている。ちょっとばかり丈夫な体を持っているのだ。

 伸びてくる腕と地面の合間をすり抜け、身を低く屈めて一気に懐へ潜り込むと拳を振り抜く。急加速に妖怪は大きな目をギョッと剥くが、その直前には拳を構えた私が迫っている。顔だけをこちらに向けたその妖怪の腹めがけて拳を叩き込む。中段からの拳。ガラ空きの脇腹あたりを狙う。

 カハッと息を吐いた妖怪は咄嗟に私の心臓を抉り抜こうと爪を伸ばした突きを放つ。しかし私は体をしなやかにひねりながら横にステップを踏み、軽々とかわした。遅い遅い。自分の筋肉が収縮しているのがわかる。体を自在に操り、トップスピードで加速する。

 身を屈めながら軸足を斜め前方に捻りながら移動させ、そこから軸足を返しながら放つ渾身の上段回し蹴り。

 妖怪は勢いよく吹っ飛んで桜の幹に体をぶつけた。

 私はさらに拳を大きな目玉に叩きつける直前で止めた。とめどなく汗を流す妖怪に、私はニッと笑う。

 「どうする? これ以上は一方的な蹂躙になるけど」

 「分かった! ここは諦める、諦めるから見逃してくれ!」

 「そう、よかった」

 そのほうが心も痛まなくていい。ひいこらと汗を浮かべて逃げていくその背を笑顔で見送っていた、その時だった。粘りのある愉快そうな声がしたのは。 

 「美味しそうな匂いがしたと思ったら……小娘か、いい妖力じゃ」

 「うまそうな妖力に匂いがぷんぷんする……」

 「この匂い……極上の獲物だな」


 嫌な予感した私は振り向く。妖力が溢れんばかりの妖怪たちがふらふらとやってくるところだった。空気がビリビリと張り詰めて異様に重くなる。澱んだ空気を放っており、肌がひりつく。

 大きな翼を背中に生やし、ゆったりと頭上ではばたくのは……赤ら顔の鼻の長い天狗が二体。山伏とよく似た装束を見にまとい、大きな羽根のうちわを手に持っている。そして私を挟んでその反対側にいるのは虎の胴体、蜘蛛の手足、鬼の顔を備えた軽自動車ほどの巨体の、土蜘蛛。

 彼らは舌なめずりをしてこっちへ寄ってくる。重苦しい圧だった。とてもじゃないがそこらへんにいるような弱小妖怪とは格が違う。

 私は唇を噛み締めて睨んだ。これほどの強さを持った妖怪が仲良くつるんでいることは珍しい。強さを持った妖怪はそれ相応のプライドも持っているためだ。おそらく私の妖力に釣られて集まったため、私に取っては運の悪いことだが、たまたま一緒になって連携しているだろう。

 私はあることに思い至り、サッと顔を青ざめさせて手首を確認した。

 「やっぱり、切れてる!」

 地面に落ちているミサンガを慌てて拾うもその残骸にもはや効果はない。先ほどの戦闘の際に切れてしまったのだろう。祖父譲りの莫大な妖力を抑え、匂いまでも誤魔化す効果のあるミサンガ。その効果が切れたということは……その匂いに釣られてさまざまな妖怪が私を狙いに来るだろう。

 冷や汗を浮かべながら思考を巡らす。逃げるか、戦うか。こいつらから逃げられるのか……? ぱっと見、隙はない。もはや選択肢は残っていない。私は全身の神経を研ぎ澄まさせた。ダン、と地面を力強く踏み込み前傾姿勢をとると、曲げたままの右足を蹴り付け前へと一気に加速する。上半身の動きは最小限に、膝の溜めだけで放つのは渾身の回し蹴り。ふいをついたその攻撃に土蜘蛛はギャンと鳴いて軽く吹っ飛ぶ。

 「おのれ小娘が!」

 土蜘蛛はすぐにひっくり返っていた体勢を立て直し、こちらをギョロリと睨む。その時だった。


 「ええなあ、今のポーズ。もう一回頼むわ」

 「は……?」


 見れば、座り込んでスケッチブックを抱え込む男が一人。目が覚めるような夕焼け色をした癖のある赤毛を伸ばしていて、藤色の着物を着ていた。脇には刀が置いてある。使い込まれた鉛筆を指先に挟んだ彼はこちらを見てニヤリと笑った。鋭いナイフのような冷たさの滲む酷く美しい男だった。バイオレットフィズの瞳が私を見る。

 「よそ見してる暇あるんか? ほら来たで」

 ハッと前を向くも、もう遅い。天狗がうちわを振ると突風が吹いて私は桜の幹に叩きつけられる。そしてすぐさま、土蜘蛛が白く粘つく糸を吐き、私の体を幹に縫い留めた。

 「あーあ、ちっとは気張れや。弱っちいな」

 「誰のせいで!」

 私は噛み付くが、男は飄々と今も私に視線を送りながら鉛筆を走らせている。土蜘蛛と天狗は男と私を順番に見たが、すぐに性悪な笑顔を浮かべる。

 「なんだ、お前同族に見捨てられたのか。かわいそうになぁ」

 「邪魔をしないなら、ぬしは見逃してやろう。ホホホ」

 「そじゃな。ほれ小娘、絶望した顔を妾に見せてみよ」

 「お? 泣くか? 別に泣いてええで。腹の底から笑ったるから」

 

 この男。妖怪の仲間かと見間違えそうになった。なんなんだよ!

 

 「助けてほしい?」

 男がスケッチブックと鉛筆を置いて立ち上がるところだった。刀を手に持っている。紫水晶のような目の覚めるように美しい瞳がこちらを見て笑う。

 目の前では土蜘蛛と天狗が「妾が一番じゃ」「お前が後に決まっておろう」「一口ずつ齧って回すのはどうだ?」とか口論を始めている。この野郎。

 「だ、誰が……アンタなんか……」

 「ほな、俺は帰ろかな。いいもんも描けたし」

 「助けてくださいお願いします!!」

 「さよか」


 次の瞬間。


 土蜘蛛の顔に草履がめり込み、吹っ飛んだ。

 一瞬だったが、スローモーションのようにその動きは私の目にはっきりと写った。あの男が土蜘蛛を蹴り飛ばしたのだ。私は口をあんぐり開けるしかない。男は土蜘蛛の上に立っていた。刀を持つ手とは反対の手首をぷらぷらとさせながら、嘲笑うように口を開く。

 「でかい図体しとる癖に随分トロいんやね、あくびが出るわ。それで本気なん?」


 己の立場が有利であることを知っている者の、余裕の声音だ。そしてため息まじりに土蜘蛛の鬼の姿をした顔を蹴り飛ばす。


 「ガッ……き、貴様」  

 「でも俺はなぁ、よく勘違いされるんやけど、雑魚は大好きやで。なんせいじめがいがあるからな」


 男はゆっくりと土蜘蛛の顔の前にしゃがみ込む。にっこり笑って首を少し傾けると、挑発するように指をくいと曲げた。妖怪を嘲り、からかい、罵倒することを楽しんでいるのが見てとれる。

 天狗と共に、土蜘蛛は飛び上がって身を起こすと糸を吐きながら襲いかかる。男は最低限の所作でそれらをかわしている。のけぞって糸を交わしたと思ったら、次に刀を咥えると逆立ちするように地面に手をついて天狗の同時の攻撃を避け、「よっと」と声を出してちょうどあった天狗の顎を蹴り抜く。天狗が吹っ飛んだ。

 「弱いものいじめは好きやけどなぁ、流石にこれはないで。お前ら弱すぎてなんかかわいそうになってくるやん。……もっと楽しませろや。俺はな、つまらんことは大嫌いやねん」

 「お、おのれぇぇええ!!!!」

 

 男は刀を抜くと、飛びかかった土蜘蛛を縦に叩き斬る。真っ赤な血潮が飛んだ。そしてそのまま地面を力強く蹴り付けた男は天狗に向かって切り掛かった。天狗が慌てて翼を広げ、空に逃げようとするが、男の方が早い。

 目にも止まらぬ速さで刀を振われる。しかし私にははっきりと見えていた。白色にギラリと輝く刀が右から左へ横一文字に一閃する。一瞬でその刃は天狗の首を斬った。首の落ちた天狗はぐらりと傾き地に落ちる。私は息を呑んで、ただ眺めていた。美しい才能だと思った。

 「貴様よくも同胞を!!」

 頭に血が上ったのか、残った天狗は上空から襲いかかってくる。しかしそれは悪手だ。男は鼻で笑うと、肩から脇腹に向かって斜めに斬り下ろす。それを肘の装甲で受け止められると、男は一歩引いて右に刃を向け突きを放つ。天狗はその攻撃を分かっていたかのように左に身を捩り避けるが、男は突きの型をそのまま横薙ぎの一閃に変えた。天狗の胸が裂かれ、血が飛沫をあげて飛び散る。

 私はいつしかその戦闘に魅入っていた。男は戦いを楽しんでいるようにも見えた。その顔には意地の悪そうな薄笑いを浮かべている。余裕なのだ、この程度の敵は警戒するほどでもないということなのだろうか。天狗は顔に焦りを浮かべると飛び上がり、大きな羽根のうちわを振る。

 激しい突風が男を襲った。私は目を細めてただ男を見ていた。男は素早く身を屈め、その影響を最小限に抑える。そして手をグッと握った。

 私はハッと目を凝らす。その手には妖力が集まっていた。涼やかで張り詰めた妖力が満ちる。

 ────しゃらん、と音が鳴った。燦々と太陽の光を反射し銀に輝く鎖が現れる。キラキラと光り輝きながら宙をうねる。


 綺麗だと思った。私は状況も忘れて息を呑んでいた。おそらくは祓い屋に伝わるという祓術。


 男が腕を振ると鎖があっという間に男の手元から伸び、天狗に巻き付く。天狗は身を捩り天に飛び上がろうとするが、鎖の方が強い力がかかっているようだ。男は鎖を握ると乱暴に引っ張った。落ちてくる天狗に足をかけると、男は冷たい瞳で手早く首に刀を滑らした。

 

 余裕すら滲むその姿に背筋が震えた。

 間違いなくこの男は強い。目の前で繰り出される、洗練され美しいその一打一撃に焦がれる。

 


 

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