狂人訪問
沼モナカ
第1話
紅葉したイチョウが並ぶ深夜の街道。闇が降りた車道には当然のごとく通る車はなく、人影のいない歩道には黄色い落ち葉が積もりささやかな絨毯を広げていた。
街道沿いにはあまり建物はなく、あるものといえば夜の闇にぼんやりと浮かぶ白い建物と、対比するかのようにその向かいには小さな交番がぽつんとあるだけだった。
その交番に私は勤めていた。
交番は主に二つの部屋で構成され、一つは外からデスクが見える交番としてのイメージが強い、軽い取り調べ等を行う部屋と、その奥にある小さな調理場や寝袋、さらにトイレが設けられた部屋がある。その奥の部屋でラジオを聴きつつ夜食用の弁当をレンジで温める。隣の部屋のデスクに座っている相方が欠伸をし、顔を両手で覆うように擦っていた。少し賑やかさが欲しかったので、レンジの前を離れ私はラジオの音量を上げる。
「おい、音が大きすぎないか。」
相方は顔をこっちに向けてたしなめた。
「そうかな、この位でもいいのでは。」
そう言いながらも、私はラジオの音量を下げた。陽気な会話で盛り上げていたラジオの進行の声が小さくなり、それが私に心細さを招いた。
「俺は起きているからお前は少し仮眠しておけ。今のお前はなんか危ういからな。」
私の様子に気付いたのか、相方は気にかけた様子で私に休むよう促した。
「いいや、平気さ。なんでもない。」
そう言いながらも、私は知らずに自分の右手で左の二の腕を何度もさすっていた。私がその事に気付くと同時に相方は溜息まじりに手をひらひらさせ、私はそれに頷き寝袋へと入ることにした。
しかし、寝袋に入っても睡魔は一向に訪れることはなく、何故だかそのことで焦りが生じる。私は必死に眠りに就こうとする一方で、この様な状態を招いたあの出来事を脳裏に思い返していた。
それは私がこの交番に勤務し始めて二,三ヶ月しか経っていなかった頃である。私はまだ仕事に慣れておらず、夜勤の間についうたた寝をしてしまうような新米もいいところであった。
ある晩、相方が夜の見回りに出かけ、私は一人で留守番をしていた。そろそろ警察官としての自覚をしっかりと持つべきだ、と決心しコーヒーを飲みながら一人デスクに座り、人通りのない暗い通りを眺めていた。通りからふと目線を上に動かすと、そこには闇の中にぼんやりと浮かぶ白い建物が建っていた。それはこの地域では唯一の精神病院であり、ここら一帯で気をおかしくした者を親族縁者から切り離し、世の中から隔離させる場所である。
かく言う私も無関係ではなかった。幼い頃に双子の弟がある日突然に発狂し、どこかは知らぬがそのような施設へと連れて行かれた。それ以来、弟には会っていない。親に一目でも良いから会わせてくれるように懇願しても取り合ってもらえず、今はどうしているのかさえもわからない有様であった。そこまで会いたいのであれば自力で会うべきなのかもしれないが、結局学生の内は会うことは叶わず、社会に出てからは仕事の忙しさで時間もなかった。己の意志の弱さを痛感しながら外の建物をぼうっと眺める。今頃、私の弟はどうしているのだろうか。兄としては酷い考えかもしれないが、死んだ知らせはないので、まだこの世のどこかにいるのではあろう。
カップが空になったのに気づき流しに持って行き、洗ってから戻ってくるといつの間にやら入り口に男が一人立っていた。明かりの下で顔を俯かせているため何者なのかはわからず、向こうも何も言わずに立ち続けている。
その様子を不振を感じつつもどうしたのかと声を掛けた。すると、男は体をびくつかせ恐る恐る顔をこちらに向けた。
「お巡りさん、わたしは・・・・」
震える唇を懸命に動かして、言葉を紡いでいく。その必死な顔にどこか見覚えがあった。いた、その顔は覚えがあって当然のはずだ。何故ならば、毎朝毎晩鏡に映る顔であり、写真を撮られれば、必ずそこに写る顔であったからだ。その顔が口からやはり聞き慣れた声を伴って言うのだ。
「わたしは人を殺しました。」
私が内心混乱していると男はいきなりそのような告白をした。急なことに私はとまどい、ひとまず先を話すよう促した。ひとまず冷静になることに努めていると、男はぽつり、ぽつりと話し始めた。
「わたしには妻がおりました。このわたしにとっては不釣り合いな程にそれはよくできた妻が。その妻をわたしは誇りに思い、妻もわたしを愛してくれました。わたし達夫婦はそれは仲睦まじいものでした。何が原因でそうなったのかは覚えておりません。ある晩、わたしは妻に疑問を持ち始めたのです。何故、妻はわたしにここまで良くしてくれるのか。考えても考えても、一向に答えが見いだせません。そして急に、わたしは不安になったのです。もしかして、妻は、わたしを愛してはいないのではないかと。」
私は胃にこみ上がるモノを必死に押さえようとした。この私の顔をした男が言いたいことが何であるのかを想像してしまったからだ。止めて欲しいと思った。もしそうであったならば私は自信にある何かが壊れてしまいそうだ。ああ、もうそれ以上は何も言わないでくれ。
「わたしは妻に問い正しました。妻は何を言うのかと笑うばかりです。なおも問い詰めるわたしに段々と怒り始め、終いにはあなたはそれほどまでに私を信じていなかったのかと泣き崩れてしまいました。そして、そんなことを言うあなたとはもう一緒に居たくないとまで。その時、わたしは確信したのです。妻はわたしを愛してなどいなかったことを。そして、わたしは台所へ行き、一振りで殺せる物を手に取り妻の背後へ立ちました。妻はわたしには気付いておらず、わたしはそのまま振りかぶり、結果として妻は息絶えました。わたしの心は絶望に満たされておりました。どうして、どうしてわたしを愛してくれなかったのでしょうか。わたしはこうも思いました。一体妻は何故今までわたしと一緒に居たのかを。知りたくてももはや妻は答えてくれません。ですが、この衝動的な思いは押さえられるものではありませんでした。居ても立っても居られなくなったわたしは気付いたのです。妻の口から聞けぬのであれば、妻の頭に聞けばよいと。そう思うが否やわたしは直ぐに先ほど使った鈍器を再び手に持ち、妻の頭に何度も何度も打ち付けました。やがて頭が割れその中が見え始めた時、わたしは興奮さえ覚えました。わたしは妻の頭の中が見えるのですから。そうすればきっと妻の考えが理解でき、わたしの何処を好いていてくれたのかを理解できるからです。」
男はもはや私の事を気にもせず興奮した面持ちで話し続ける。その目は狂気じみており、顔も薄ら笑いを浮かべている。私はこの男に関わっていることを激しく後悔していた。ここまで何とか堪えている自身に感心しながら話を聞き続けていると急に、男の顔は初めて見たようなうつろな表情へと戻った。
「ですが、わたしの願いは叶いませんでした。頭からは汚らしいものしか出るものはなく、わたしが求めていたモノは無かったのです。そこで我に返ったわたしは己が何をしていたのかに気付き、深い後悔に包まれながらここへ来たのです。」
見回りに行っていた相方が戻って来たのは男の述懐が終わってから少しの事だった。
私は目を覚ました。寝床から抜けた私は相方と交代して机に向かった。少しは眠れたようだなと、相方は笑って寝床へと向かう。私はぼんやりと外の白い建物を見つめる。あの時まさかと思ったが、やはりあの男は生き別れの弟であった。それも目の前にある病院で暮らしていたのだ。どうやってかは不明だが病院から抜け出し、歩き回っているうちに私の所へたどり着いたのだという。丁度戻ってきた相方のおかげで何事もなく送り帰せたが、それ以来私は不安を抱えて日々を過ごすようになった。あの日のことを両親に電話で話したところ、両親は歯切れの悪そうに語った。どうやら成人を迎えてから私に言ったことを両親にも何度も言っていたらしい。そんなことがあってから両親もあまり行かなくなった。
今の私の様子を相方は仕事に慣れてない内にあんな目に遭えば当然だと気休めを言ってくれるが、そうではないと私は思っている。あの時、弟の目を見た時、弟は私にこっちへ来いと言っているような気がしたのだ。目の前にいる人間が私であることに一向に気付かずに話し続け、己の妄想のみが支配する世界に浸り全く別の人間と化してまった弟が。そう、私が不安に思っているのはいつか私もあの様になる気がしているからだ。私そっくりの顔を持ち、私そっくりの声で話すあの姿。あれはひょっとすると未来の私の姿なのでは。ああ!私はそんなではない!決して成るものか!私は、私は正常だ!
狂人訪問 沼モナカ @monacaoh
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