📖魔法の書◆石師と屑石の精霊◆

風雅ありす

◆石師と屑石の精霊◆

一、石師と私

 石の中には神様がいる、とその男は言った。


 ただの黒い屑石を一つ一つ丹念に磨き上げては、卓上ランプの中にある魔光石の灯りに透かしてじっと視る。その目つきは真剣で、まるで愛しい誰かを探しているかのように切実としていた。ごつごつとした皺だらけの手は、高価な魔晶石を扱うが如く丁寧で慎重さをもち、そして、愛があった。人生で一度も笑ったことのないような顔をしているのに、その手先にだけ込められた温かい感情が見ているだけで伝わってくる。


 そんなものを磨いてどうするの、と私が聞くと、聞こえなかったのか無言で作業を続ける男に多少むっとはしたが、邪魔をするつもりもなかったので黙っていた。


 退屈だったので、部屋の中を静かに歩きながら棚に陳列されていた石を見つけて近づいた。どれも大きさはまちまち、色は黒か灰色、茶色などで明らかにぱっとしない屑石だとわかった。あの暗くて窮屈な坑道で見た屑石から比べると、小奇麗に形を整えられ、表面もつるつると磨かれている。三角のものや四角いもの、丸いものや水晶型のものまである。


 それでも所詮、屑石は屑石だ。魔力を持つ魔晶石と違って、何の役にも立たない。掘り起こされても捨てられるだけの屑石を拾い集めている奇特な男がいると噂には聞いていたが、一体何のためにこうして屑石を集めているのだろう。


 ちらりと男の様子を伺うと、先ほどと変わらず机に向かって石を磨き続けている。まるで私の存在などここにはないかのようだ。それならそれで勝手にさせてもらう、と部屋の中を物色することにした。


 六畳半ほどの広さに大きな木造の作業台が一つ部屋の真ん中に陣取り、窓はなく、天井の真ん中からぶら下がる石灯が、作業台の上で無造作に転がされている石たちと薄暗い部屋を優しく暖かな色に染めている。まだ手を加えていない切り出したばかりの石のようで、やはり屑石ばかりだ。それらの石に埋まるように何枚かの地図と本が開かれたまま置かれていた。


 そして、それらを囲うように、大小様々な金槌やノミ、先の尖った金具や曲がった工具、刷毛、その他見たことのない工具がたくさん天井からぶら下がっているせいで、周囲の壁に怪しい影を映しだしている。壁には一面棚が取り付けられており、先ほど見た屑石が陳列されている棚、引き出しのたくさんついた棚、何に使うのかわからない大きな器具が置かれた棚に、男が使っている小机と、残りの空いた隙間は全て書籍で埋め尽くされていた。それらは綺麗に整理整頓されているとは言えず、開いたままの引き出しがあったり、棚からはみ出るように紙片の束が顔を覗かせていたり、取手のとれた引き出しすらあった。


 一体どうやって使うのだろう。試しに開けてみようと試みたが、どこにも指を引っ掛けられる隙間はなく、どうやら開かずの引き出しと化しているようだ。諦めて取手がついている他の引き出しを開けてみると、やすりや刷毛、黒炭、研磨剤、その他細々とした小道具が分類されて入っていた。


 部屋には、男の石を削る音だけが響いていた。床石が素足にひんやりと冷たく、思わず身震いをする。生きている。


 別に、死んでも良かったのに。


 心の中で思っただけのつもりが、声に出てしまっていたようで、それに答えるかのように石を削る音が止んだ。


「なら、何であんなことをした」


 男の声はしゃがれていて、ざらざらとしたまだ研磨されていない石の表面を思わせた。


「あんなことって……あぁ、石を盗んだことか。

 脅されて、仕方なくやったんだ。自分のためじゃない」


 それは、自分でも不思議なほど、どこか他人事のように聞こえた。それは男も同じだったようで、ちらとこちらに視線をやると、何かを諦めたようにため息を吐いて立ち上がった。その拍子に、座っていた木製の椅子が床石にぶつかり、かこん、と小気味良い音を立てる。


 男の固い表情に、叱られると肩をすくめていた私の前を男は素通りし、陳列棚から幾つかの石を手に取ると、作業台の上に散らばっている石ころを寄せて場所を作り、そこへ石を並べた。灰色の立方体、黒色の球体、花の形を模した石まである。


 男は、手のひらを石の上にかざすと、ぐっと力を込めた。何をしているの、と私が聞く前に、石がぼうっと光りだす。魔法を使っているのだ。


 それは一瞬のことだったが、暖かな白い光が私の目に焼き付いた。


「どれか好きなものを一つ、手に取ってみろ」


 男が場所を譲ったので、私はそれらの石と正面から向き合って見つめた。どれも先ほどと形状は変わらないが、見えない内側に確かな光の存在を感じることができた。少し迷った末に、花の形をした石を手に取った。壊れそうに見えた花弁は、意外としっかりと中心で繋がっており、ほんのりと温かい。


「それが屑石に見えるか」


 私は、はっと男の顔を見やった。


「おじさん、魔法使いだったの」


 その時はじめて私は、男の顔と正面から向き合った。顔に刻まれた皺は深く、意志の強そうな顎に、幾分大きすぎる鼻が顔の真ん中で自己主張している。白髪と声から、もっと年寄りだと思っていたが、その黒い瞳は力強いエネルギーに満ちていた。突然、男が大きく口を開けて笑った。


「わしゃあ石屋だ」


 聞き間違えかと思い、部屋の中をきょろきょろと見回す。


「お医者さんなの」


 首を傾げて見上げた先に、存外暗い男の瞳があった。


 だが、それは一瞬だったので、私の気のせいだったかもしれない。何せその部屋には窓もなく、唯一の光源である石灯は頼りなく、周囲にぶら下がる工具が余計に邪魔をして薄暗いのだから見間違えたとしてもおかしくない。


「ちがう、だ。主に墓石なんかを彫って生計を立てている。魔法は初等学校で学んだ程度しか使えん。魔法使いでも、マジシャンでもなければ、詐欺師でもない」


 でも、と私は部屋を見渡した。


「ここには、クズしかない」


 男は、私が言わんとしていることを察して頷いた。


「魔石屋とはちと違う。採掘された魔晶石の形を整え研磨するのが魔石屋だが、石屋というのは、建造物に使われる石材を削って加工する。で、なぜここには屑石しかないのかというとだな」


 男は、言葉を探して頭を掻いた。


「…………まぁ、わしの趣味だ。話せば長くなる」


 少し気にはなったが、長い話は苦手だ。


 私は手の中にある石を見た。やはり変わらず暖かい。


「それはお前さんにやる。何の魔法も使えないけどな。お守りくらいにはなるだろう」


 だから生きろ、と言われた気がした。私は何も言えなかったが、そっとお守りを握りしめた。


「お前、名前は」

「…………ない」

「ないこたぁないだろ。あだ名でも何でも、仲間うちからは何て呼ばれてんだ」


 私は仕方なく、小さな声で自分の恥ずべき名を呟いた。この国の言葉で〝屑〟という意味だ。もちろん親につけられた名前じゃない。物心つく頃には周囲からその名で呼ばれていた。親の顔など見たこともない。


「レナトゥス」


 私は、はっと顔をあげた。


「〝蘇りし者〟という意味だ。いい名だろ」


 それが自分に与えられた名前だと気づくまで少し時間がかかった。あまりにも立派すぎて自分には不釣り合いな気がしたからだ。


「行くとこがないんなら、うちに置いてやる。その代わり、しっかり働けよ」


 その時、私はうんと言ったのかどうだったか、何も答えなかったような気もするが、今となっては覚えていない。ただ、その日から私は、男の元で石屋見習いとして働くことになった。

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