第三章 善悪の悲願
第22話
カメラの向きは部屋の片隅を映し出すように壁側。
被写体は地べたにぺたんと座っていて、妙に肉付きのいいムチムチした下半身が映っている。
それらのシチュエーションは何やら閉鎖的で、淫靡な空間を彷彿とさせる。
しかし響いた声はこれ以上ないくらい純朴で屈託がなかった。
「はーい、ということでですね、今日は黒ストッキングの穿き比べをしたいと思います」
ストッキングやタイツは「はく」と表現するが、靴を履くとズボンを穿くの中間にあるものはどう書けば正解なのか、出来るだけそんな真面目なことを考えて俺は理性を保つ。
名付けて、疑似賢者タイム。
履物に置くことを履く。穴に通すことを穿く。ならばたぶん後者が正しいだろう。
あと少子化問題を解消するために移民政策に取るのは是か非か。
それと同じくらい、ストッキングを手に持って紹介してくれる朝日向も大真面目だった。
「一応よっつくらいデニールが違うものをご用意しましたー」
デニールとは端的に述べるとストッキングの濃度を表す単位だ。数字が大きければ濃くなり、少ないと薄くなるという認識で概ね合っている。要するに肌をどれくらい透けさせるかを任意で決められる物差しだ。
「えっと何で私がこんなことをしているかというとですね、えっと、何でしたっけ?」
ドヤキング「世間一般の方々にストッキングの造詣を深めてもらうため。あとイラストレーターさんの参考資料のため。現役女子高生のサンプルは貴重だからねー」
あたかも準備をしていたかのような手際の良さでドヤキングがフォローを入れる。彼女を天才的かつ狡猾にそそのかしただけあって抜かりがない。
そこにはある種の執念を感じる。
「それではさっそく現役女子高生ユーチューバーの私がデニールの濃さについて検証していきたいと思いまっす。先に謝っておきますが足太くてごめんなさい。わー緊張するなぁ」
緊張するのもむべなるかな。視聴者に見極めてもらうためにも制服のスカートを着用しているし、丈は普段より短めだし、両脚は最初から生足全開だ。
ドヤキング「がんばれーひよりーん」
「あ、応援ありがとー」
どこか微笑ましい光景であるが、とんでもない。
何が悲しくて俺はこのストリップショーみたいなけしからんものを、指をくわえて眺めているのだっていう。
よりによって栄えある、俺の好きになった女の子だぞ。
もう二度とこんないい子いないかもだぞ。
「まずは濃い80デニールから挑戦してきます。うんしょうんしょ」
プライベートでよく穿いているからなのか、慣れた手つきでするすると黒いストッキングで脚を包み込んでいく。
ドヤキング「パンツが見えるとアカウントがバンされて凍結されるかも知れないから気をつけてー」
「心配してくれてありがとー。ドヤキングさんってやっぱりいい人。大丈夫だよ、スカートの下に競泳水着着てるから」
またしてもどこか微笑ましい光景であるが、とんでもない。
そこはありがとうじゃないし。
全然大丈夫じゃないがっ。
「デニール数は厚みを表しているので、だいたい80はこれくらい黒いです。どうでしょおかぁ?」
最後あたりは苦戦していたが、無事パンチラのようなハプニングもなく、装備完了。着用後は足裏を向けたり、立ち上がって回転してみたり、至って真剣にレビューしている。
「では続いてデニール数を順に下げて違いを見ていきましょー」
そしてくるくるとうまい具合にストッキングを脱いでいき、また素足になる。途中つっかかって、太ももが楽しそうに揺れていた。
ドヤキング「いやあ最高だね。これから登録者数百万人も夢じゃない。視聴者もだんだん多くなってるよー」
「うー、嬉しいけど、やっぱり恥ずかしいような」
弟子とコーチのようでどこか微笑ましいが、冗談じゃない。
ライブの同時接続者数もここのところ増加傾向にあって本人は喜ばしいかも知れないが、返す返すも冗談じゃない。
俺は断じてこんなこと認めないぞ。
このままだとそのうち感覚がマヒして、もっと過激なことをさせられてしまうに決まっている。
そうなったらもう朝日向ひよりは朝日向ひよりではなくなってしまう。
聖女から一般人に格下げになってしまう。
ドヤキング「あれ、シャドウ静かだけど、生きてるかー」
シャドウならとっくに死んでるよ。
シャドウ「あ、ちょっと席を離れてました」
ドヤキング「ほんとかなぁ。ひょっとして見とれて興奮してたんじゃ」
シャドウ「何を仰いますやら。単なる女の子ストッキング姿ですよ」
ドヤキング「わっはっはっ、こやつめ」
シャドウ「わっはっはっ」
こっちはまったく笑えないのだが、彼は本当に笑いが止まらないのだろう。
俺がまったくにこりともしないのは、この複雑に絡み合った事情ないし事態のせいだ。
言わずもがな、ひよりんは恋する相手だ。主観だと最近なんだかちょっといい雰囲気。
問題はこのドヤキングという変態おっさんの権化みたいなユーザー。こいつは何を隠そう、俺の親友なのである。
つまり同じクラスの高校生でこの場は成り立っている。
そんなご都合主義な展開あるかいな、と思うし俺も思うが、これがなかなか必然的だった。
俄かに信じられなかったが、彼から真実を打ち明けられたのはつい先日のことだ。
「落ち着いたか影山。もう一度言うが、朝日向ひよりは最近ユーチューバーになったらしくて、いまひよりんっていう名義で活動してる」
「待てよ。どうしてそんなことがわかるんだよ。有名人ならともかく、始めたばかりなんだろ。それにそんなこと公言なんてしてないはずだ」
「ご名答。朝日向はこのことについて誰にも言っていない。親友の梨華にすら教えてないご様子だ。ぶっちゃけこっそりやってる。知られたらやりにくいだろうし当然だわな」
「ならますます、何でだよだ」
「それがな、あいつエックスやってて、それについては別にそこまで隠してないんだよ」
「ああ、うん」
「実は、オレはあいつの裏の顔を見つけるためにしばらく監視してたんだ」
「最低だな。人のアカウントをこそこそと調べるなんて」
「まあそう言うなよ相棒。あいつに騙されている男子がいるかも知れない、と思えばこその正義の行動だった。オレのような被害者を二度と出さようにな」
「そこからどうやったらようつべのチャンネルまでたどり着けるんだよ」
「まあそう思うよな。それこそスマホに不正アクセスしない限り知りようがない」
「そんなことする奴いねーよ」
「ああ出来ない。本人の目をかいくぐってロックを解除するなんてこと不可能だからな。だから何か裏アカと間違えてさ、まずい誤ポストしないかなぁって監視してたらさ、なんと奇跡が起きた」
「奇跡?」
「これは勝手な憶測なんだが、ユーチューブでチャンネルを作って配信したはいいが、まったく人が来なくて凹んでたんだと思うよあいつ。ほらいまさら新規参入したって誰も見てくれないだろ。それこそエロの力を借りない限りはな」
「もったいぶるなよ。それで何なんだ?」
「それでうっかり人恋しくて秘密のチャンネルを宣伝してしまった」
「馬鹿なのかっ」
「思い直したらしくすぐそのポストは削除したみたいだが、おかげで俺だけは朝日向のチャンネルに辿りつけたというわけだ」
「それでかよ……」
「ふっ、朝日向のやつああ見えて馬鹿だよな」
「おいっ、馬鹿って言うなっ」
「うっ苦しい。お前が先に馬鹿って言ったんだろうが」
「あ、そうだった。すまん」
「とにかくいま俺はうまく朝日向に取り入って闇落ちさせようとしてる」
「そんなこと、する必要ないだろ。元から悪い人間ならともかく」
「影山、これは粛清じゃなくて啓蒙だ。女とはこんなに股がゆるくてひどい生き物なんだと知らしめるためのな。学校の男どもが朝日向の落ちっぷりを目にしたら二度と女を好きになったりしないだろ」
「そのための、闇落ち計画」
「影山だって好きになった清楚な女の子が裏でエロいことやってたら醒めるだろ。百年の恋も冷めて嫌いになるに決まってる」
「……だな。そうなったら二度と口もきかないし見たくもないだろうな」
「朝日向はそのための尊い生贄になってもらう。女にうつつを抜かす世の男性のためだ。必ず落としてみせる」
「できるものならやってみろよ。でも朝日向はそんな簡単じゃないと思うぜ」
朝日向は俺が守ると意気込んで強気な態度で締めくくったものの、どうも雲行きが怪しかった。
シャドウ「ひよりん大丈夫? 恥ずかしいならいつでもやめていいんだぞー?」
「顔出しはしてないし、クラスのみんなは知らないから大丈夫」
うん、やっぱり全然大丈夫じゃない。
クラスメイトふたりいるし。
あとちょっと顔の一部が映り込んでるし。
「では最後、これが20デニールの黒ストです。なんかスケスケでエッチな感じがしなくもないですね。さて今日はいかがでしたかー。何かのお役に立てたのなら光栄です」
人の気も知らないで、朝日向が黒ストッキングに包まれた足裏を振ってバイバイしていた。
人間不信の俺は聖女の闇落ちを防ぎたい 折瀬理人 @manakariho
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