第20話

 女子に呼び出されて告白されたので喜んでいたら実は罰ゲームで、しかもそれをその子の友達が笑いながら見ていた、という事案を鬼塚から聞いたことがある。都市伝説とかじゃなく。

 こういうのを本当にあった怖い話と言うんだろう。

 したがって、受動的な形で他人とふたりきりになるという流れは自発的なものとはリスクが違う。裏にどんな思惑が潜んでいるかわからない。

 それでも応じたのは、大抵の危険はバリアの強度を上げれば解消できるという自負があったからだ。

 自身を点検するために俺は自問自答する。

 自分はいったいどんな人物だ?

 家に友達は連れてこない。何か盗まれるからだ。

 外で出された飲み物には口をつけない。毒が仕込まれているかも知れないからだ。

 非通知の番号は絶対に出ない。出たら詐欺に遭うからだ。

 仮に自動車免許を取ったらウインカーは出さない。後続車に俺の行き先を読まれたくないからだ。

 いくらか反芻し、納得する。

 うん、俺は問題ない。オールグリーン。

 彼女がどんな色仕掛けやぶりっ子をしたところで何ら俺の判断には影響がない。

 むしろガードはいつもより万全だ。


(いい機会だ。改めて彼女のことを見極めてやる)


 と、自分の冷静さと安全性を確かめつつ朝日向と下校の帰路についていた。

 夕暮れ時に隣数センチ先を彼女が歩き、俺も釣られて歩く。

 ちらちらと視線があり、もうすぐ何か話しかけてきそうなタイミングだが、いまなら何を言われても万能に対処できる自信がある。

 さあ何でも来い。こっちはバリア全開だ。


「影山君ってちょっと壁があるよね」

「うえっ」


 予期せぬその奇襲というか夜襲に俺は大きく仰け反る。

 そして想像を遥かに超えていた話題に戦慄する。

 まさか、朝日向には俺の不可視の万能バリアが効かないとでもいうのか。

 いや落ち着け。

 対して親しくもない、親しくもしてこなかった他人如きに、俺の本質が理解できるものか。

 動きを止めるな。不自然に思われる。

 とにかくいまは歩き続けるんだ。


「壁なんかないっすけど」

「なぜ敬語っ」

「ないけど」

「むー、そうかなぁ」

「俺はみんなと等しく仲良くしてる。友達いなさそうな奴とも分け隔てなく接してるし、朝日向ともこうして楽しく話してる」

「うん、そうだね」

「だろ。俺とお前の間に壁なんかないよ。手を伸ばせばいつでも触れられる」


 足を止めてあえて芝居がかった感じで俺が手を伸ばす。

 すると信じられないことに、朝日向が急接近してきてそれを迷わず両手でぎゅっと掴んだ。


「確かにこうすればれられるけど、うーん、でもやっぱりさわれてない気がする」


 俺は吃驚してそれを振りほどく。

 その行動で彼女がちょっと傷ついた顔になった気がしたので、俺は間髪容れず話題を広げる。


「それってしゃべってるけど話してないとか、そういう話か?」


 何だよそれ。

 朝日向ってこんな大胆でぐいぐい来る系だったのかよ。

 さんざん調査したはずなのに、学校の姿でもない、配信の姿でもない、知らない朝日向がいる。


「実は私ずっとそのことが気になってたんだよねー。でもみんなは全然そんなこと気にしてなくて、そんなの私だけで、私の勘違いかなぁ、って思ってた。そしたら少しお話してくれたでしょ。それでああそっかって、はっきり気づいたんだ」

「何に?」

「遠いなあって」


 瞬間、心臓を槍で射抜かれたような衝撃があった。

 因果はわからないが、確かにそんな感覚があった。


「意味が、分からない」

「変かも知れないけど、近づこうとして初めて遠いことに気づいた」

「ずいぶん哲学的だな」

「で、そのときこうも気づいたんだ。あー、私って影山君のこと何も知らないなって。クラスメイトでよく挨拶を交わしたりするのに、知ってるようで何も知らないなって」

「何だそれ。考えすぎだろ」

「私もそう思って親友の梨華とかクラスの友達の何人かに聞いたの」

「おいおい。何を?」

「影山君ってどんな人だろって」

「みんな何て答えてた?」

「いい奴だって」


 一瞬ぎょっとしたが、周囲の評判を聞いて俺は安堵する。万事、ちゃんと自衛できていてる。ちゃんと溶け込めている。

 風景のように。液体のように。そこに摩擦はない。


「そりゃ光栄なことだ」

「でも、それだけだったんだよね。悪いことも何も言われてない代わりに、他の良いこととかもあんまり出てこないんだ。でね、それって影山君が教えてくれてないからなのかなって思ったり、してみたり」


 後半は自信がないからなのか、尻すぼみになり、朝日向が俯きがちになる。

 そんな儚げな姿など意に介さず俺は歩行を再開する。


「仮にそうだとして、知る必要ないな」

「私は知りたいですけどっ」


 一転して、勢いよく朝日向が三つ編みをバウンドさせながら追いかけてきた。

 はためく長いスカートとばたばたとした足音がおよそ優等生とは程遠い。

 初めて見たオーバーリアクション。

 これは何かの演技で、何の甘言なのか。


「どうして他人のことなんか深く知りたがるんだ?」

「他人だから知りたいんでしょ」

「俺は知らないほうが幸せだと思うけど」

「知らないほうがいいの?」

「みんながみんな相手を深く知らないほうが世界は平和だ」

「何でそう思うの?」

「いい奴は希少だから。知れば知るほど全ては幻想だったんだなってつらくなる」


 事故でひしゃげたままのガードレールを曲がり、大きな橋の上を通る。思えば互いの家がどこにあるのかわからないまま前へ進んでいる気がする。

 朝日向の自宅はどこらへんにあるのだろうと考えるともなし考えていると、彼女がいきなり逆走を始めた。

 反射的に振り返ると、朝日向も俺を振り返っていた。

 息を弾ませている。


「いつか私に話してね」

「話してって何を?」

「そう思うようになったわけ」

「何で?」

「影山君に変わってほしいから」

「は?」

「じゃあ私の家あっちだから、また明日ね影山君」


 振られる手と、暗く小さくなる背中。

 どれだけ遠回りをしてたのかわからなかったが、彼女にとって遠回りをしただけの価値はあったのだろうか。

 翻って俺はどうだ。あったような気がする。


「変わってほしいって、無理言うなよ」


 朝日向に変わってほしくない俺とは正反対だなと思って、ふとおかしくなった。

 そしてどうしてかその全てが愛おしく思えた。


「やっぱり好きかも」

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