第12話
シャドウ「いま何と申されましたかな?」
混乱しすぎて再起動に時間がかかり、挙げ句に復活しても俺の口調はおかしくなっていた。
「あれ聞こえなかったですか? ならもう一度はっきり言いますね。エッチなことで、再生数とか登録者数を増やそうかなぁって、いま考えてるところなんです」
今度こそ俺のタイピングが完全に息絶えた。ついさっきまで意気揚々としていたのに、石化したみたいぴくりとも動かなくなる。
血の気が引くとはこういうことかと、ぼんやり頭が勝手に考える。
沈黙。
何か書き込まないといけないとわかっているのに、何も言葉が出てこない。
文章として言葉はちゃんと認識できているはずなのに、なかなか話が呑み込めない。
一足す一がわからない。
「あり。黙っちゃった。まあいきなりこんな相談したらびっくりしますよね?」
びっくりどころか危うく死にかけたぞっ。
そこで俺は酸素を吸っていないことを思い出し、急いで深呼吸をする。
落ち着け。まだやったわけじゃない。ただ検討していると表明しているだけだ。殺したい人がいるんですよー、みたいなもんだ。つまり冗談みたいなものでまだ引き止められる。
だいたい何故そんなことになるのか、ひとまず状況を把握することに努めよう。
「私も内心はどうなのかなって思ってて――」
シャドウ「なんで?」
「何でって、何がですか?」
決まっているだろ。何故お前のような穢れなき聖女が自ら闇落ちする真似をしようとしてるのかってことだよ。
動機は。脈絡は。背景は。
シャドウ「えっとちょっと整理させてくれな。ひよりんはデビューして間もないJK配信者なんだよな。それでネットの中でインフルエンサーみたいな有名人になって、あとあとあれは私でしたーって驚かせたいと。だから顔も隠してるし仲のいいお友達にも秘密してると。ふむふむ。なーるほろね。で、そこから何がどうなってエロに走るんだあああああ」
俺のマイキーボードが過去最速の音を叩き出した。カチカチカチカチターンッ。
勢いがありすぎて後半はついノリ突っ込みみたいになってしまった。
「だから再生数とか登録者数とかを」
シャドウ「再生数とか登録者数を増やしたいのはわかった。聞きたいのは数字を増やすために何でいきなりエロに走るのかって聞いてんだこっちは」
俺の文字入力のほうが遥かに速い。こんな世迷い言などもどかしくて最後までとても聞いていられない。
お前は選ばれし者なんだぞ。
俺がようやく見つけた聖女なんだぞ。
「あ、そこですか。私、見ての通り映像もないこんな有様で、始めたばかりで右も左もわからなくて、こうやってリスナーさんにアドバイスをもらってるんです。そしたらそっち方面をおすすめしてくれた人がいたんです」
シャドウ「俺の前に先客がいて、エロいいよって勧めてきたと申すか」
「そうそう。人が誰も来ない私のことを気遣ってとても親切に」
言っておくがな、エロを勧めてくる奴は親切なんかじゃない。ただの変態だ。どうしてそれがわからない。
シャドウ「仮に親切な人がそう言ったとしても倫理観ってあるわけじゃんか。抵抗とかないの? さすがにエロは駄目でしょみたいな」
「私もそう思ったんですけど」
うん。だよな。ほいでほいで?
「みんなやってることだよって」
やってねーよ! 何を初対面の変態の口車にまんまと乗せられてるんだお前は。しっかりしろ。
あ、いや。
よくよく冷静に考えたらみんな結構やってるわ。すまん。
でもここは否定しておこう。そういうことにして、この話はなかったことにしよう、うん。
変態の話を信じる彼女なら俺の話もすんなり信じるはずだ。
シャドウ「それはその人の勘違いじゃないかな。ユーチューブは子供からお年寄りまで自由に視聴できる健全な動画サイトで、女の子がエッチことで再生数を稼いでるなんてことはないよ。少なくてもぼくぁ、聞いたことがないなぁ」
朝日向が「でもこれ」と呟き、何やら操作していると、しばらくして動画が流れ出した。
ひっ、と俺の喉が引きつる。
映し出されたのはグランドピアノ。そしてそこに座る女性ユーチューバーは演奏系のピアニストだ。ここまではいい。だが、着ているものがコスプレで、もっと具体的に言うと、肌の面積がやたらと多く、ほぼ半裸というか全裸なのだった。
動画の顔であるサムネもここから採取されていて、おかげで登録者数も再生数も桁違いとなっている。
何でこの一場面だけでそこまでわかるかというと、男性ホイホイに見事引っ掛かり拝見したことがあったからだ。『エロ、ピアニスト』で検索すればすぐヒットする。
言うまでもないことだが、誰も彼女のピアノを聴くために再生しているわけじゃない。その先は言わぬが花だ。
シャドウ「へー、こんな配信者が。初めて知った。でもこんなのレアケースでたまたまこういう人がいただけだよ。エロ売りなんて誰もやってないよ」
負けてなるものかと俺は全身全霊でフォローする。俺は彼女が道を踏み外し、間違った方向へ進まないように手を引く。
そっちへ行くな朝日向。
俺はいま人生でもっとも重要な場面に出くわしている気がする。
「でもこれも」
続く彼女の前置きと操作音に嫌な胸騒ぎを覚えていると、次に紹介してくれた動画は若い女の子のものだった。
どこにでもいる十代後半か、二十代前半の女性だ。さっきとは趣が異なり、服もしっかり着ている。薄いペラペラのキャミソールではあるが肌の露出は控えめだ。
問題はその配信者が取り出したアイテムだった。
『本日は搾乳機の使い方をご紹介したいと思いまーす』
再生されたそれは、搾乳機の仕様を多くの無知蒙昧な人たちに指導する、健全な教育動画だった。
子育ては大切で、母乳は育児に欠かせないもので、だからこの動画は卑猥なものじゃなくて、ふくよかなおっぱいを限界まで見せびらかしてくれる。
つまり卑猥ではないからこんなの普通なのだ。
んなわけあるかっ。
シャドウ「待たれい。たまたまこのふたりが稀有な事例というだけであってだな、みんなやっているは著しい誤解だ。はい論破っ」
またまた「でもこれ」、と来た。
続いて参考例として出してきたのは、普通のどこにでもいる色気が半端ない胸が大きい女性だ。
服は身に纏っている。むしろ生地の面積は一般人並みに多いほどだ。
これのいったいどこがエロなのだ、と俺が怪訝に思っていると、次の一言で全てがひっくり返った。
『ノーパンノーブラシリーズぅ。本日はヨガをやっていきたいと思います』
完敗だった。
彼女がミラーしてくれたのは、再生数を稼げる健全なエロ動画たち。
そういうことかと、もう反論の余地もなかった。ぐうの音も出ない。
ああそうさ、みんなやってるよ。女はイージーモードってこういうことを言われてるんだろうさ。顔を隠しても出来るし。
でもだからってよぉ、朝日向ぁ。
「ねっ♪」
ねっ♪ じゃねーです。
俺はどうにかして彼女を引き留めなければと知恵を絞る。
少しでも闇に染まれば、人はどんどん深みにはまっていく。
最初は「胸の谷間だけなら……」、そのレベルだったものが次第に領域を広げていって、あるとき引き返せなくなる。裸のセックスをさらしたあとに水着のグラビアに戻れないように。
売れないグラビアアイドルがみるみる過激になっていって、最終的にセクシー女優になった、なんて話がそのいい例だ。
だからここが分水嶺。天下分け目。
朝日向のエロコスプレ。
朝日向の搾乳。
朝日向のノーパンノーブラ。
どれも最強で最高だけど冗談じゃない。
朝日向。俺は。
絶対にお前を闇落ちなんかさせーねーぞ。
「俺が何とかしないと」
その言葉はこの世のどんなものよりも神聖だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます