第9話

「あのぉ、もしもーし」


 画面は殺風景な背景画像だけで声しかなかったが、それは間違いなく俺のよく知る彼女の声だった。


「げっ。視聴者数もろくに見ずに入ってしまったっ。と、とにかく何か返さないと。無視すると不審に思われる」


 取り急ぎ「こんばんは」と入力したが――圧倒的迂闊!

 好奇心のあまり吸い込まれるように朝日向の配信を押してしまっていた。『配信中』の表示に体が勝手に反応してしまった。

 どんだけこいつのこと気になってるんだよ俺は。

 おかげでまずいことになった。

 登録者数の少ない配信者を見に行けばこうなることは容易に想像できたことだった。

 こうなるとは、いわゆる、過疎配信者との一対一の対談である。

 過疎配信者はひとりしかいないお客さんに対し「この人いなくなったらまた誰もいなくなってしまうよぉ」と必死だし、唯一のお客さんはお客さんで「ここで出て行ったら可哀そうだよなぁ」と慮って出ていけやしない。抜き差しならぬとはまさにこのことである。

 しかし、考えようによっては千載一遇のチャンスとも言える。

 すなわち、俺は正体を隠したまま彼女を独占インタビューできるじゃないか、ってことだ。ならば、この状況は渡りに船と評価できる。

 匿名の圧倒的優位さが、俺に冷静さを取り戻させていた。


「シャドウさん、でいいのかな?」


 一瞬、誰のことを言っているのかわからなかったが、俺のアカウント名だ。影山だからシャドウ。敬称をつけると図らずも俺の苗字みたいになる。


シャドウ「いいぜ。好きに呼んでくれ」


「私はひよりんです。現役女子高生の一年です。えっと、まだ始めたばかりで何かと不慣れですが、よろしくお願いしまーす」


シャドウ「へー、どおりで人が少ないと思った」


「えへへ、ふたりきりですね」


 ほ。

 ほれてまうやろー。

 なんでこれくらいのことでドキドキしてるのか俺は。

 あ、そうか、匿名のせいでバリアが緩んでいるんだ。

 自分のことを隠しながら身近な他人と話す――かつてない特異な環境に脳がバグってしまっている。


シャドウ「そうですねー」


 つまんなっ。返しつまんなっ。デレデレしてる俺死ぬほどつまんな。


「実はまだ方針とかも全然決まってなくて、指南本とか読んだり人のを見たりしてるんですが、いまいち方向性が定まらなくて。もしよければ相談とかしてもいい感じですか?」


 これが無理に探し当てた話題なのか、本当にいま困っているのかは判然としないが、俺に選択肢はない。


シャドウ「いいよー」


 やっぱり糞の見本市みたいな返し。


「じゃあ、何をやったら人がたくさん来てくれますかね?」


 ずいぶんと漠然とした質問だな。動機は自己顕示欲か? どうせ男どもにちやほやされて荒稼ぎしたいってところだろうな。

 お、ようやく俺らしさか戻ってきたか。


シャドウ「どうしてたくさん人に来てほしいん?」


 どうせ有名人になって楽して稼ぎたいとかそういうところだろ。あーあーわかってるわかってる。男を騙してスパチャだけで暮らしたいんだよな。知ってますから。


「ネットで有名人になって、クラスメイトのみんなをいつか驚かせたいから。だからいまは友達とかには秘密にしてやってるんです」


 めっちゃいい子ッ。

 この子すんげーいい子ッ。

 俺は両肩を震わせながら感涙する。

 そんな高尚な理由でこっそり配信していたのかお前は。


シャドウ「じゃあ俺も黙ってるよ。ひよりんのこと絶対に誰にも言わない」


「そうしてくださると嬉しいです。あはは」


 俺の本気に少し笑って彼女はこう続けた。


「シャドウさんは私にどんなことしてほしいですか?」


 どんなことしてほしいかだと。

 刹那――走馬灯のようにエッチなことだけが頭を通り過ぎて行った。


「今後の参考までに教えてくれたら嬉しいです。叶えられるものならいま特別に叶えますし」


 刹那――脳のシナプスの中をエッチな要求ばかりが駆け巡っていった。

 胸、尻、脚。その黄金ループ。

 だけれど。


シャドウ「ひよりんのことがもっと知りたい」


 俺の口をついたのはまったく別のものだった。 


「私のこと、ですか?」


シャドウ「ほら、ひよりんのことよく知らないと何に向いているとか向いてないとかアドバイスできないだろ」


 すぐ我に返った俺は慌てて誤魔化した。

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