第8話

 誰かが言っていたが、人の本性が出るのは決して追い詰められたときではない。安心しきっているときだ。

 デスゲームでいうなら、共に修羅場をくぐっているときではなく、自分だけが安全で優位に立っているときが該当する。

 日常で言えば、絶対にばれない状態。誰にも見られていない状態だ。

 すると以下のことを平気でやる。鼻をほじったり、屁をこいたり、唾を吐いたり、股間をかいたり。エトセトラエトセトラ。

 これがネットの中ともなると、誹謗中傷オンパレードだ。本音の坩堝と化す。

 逆をいえば、そのもっとも安全で、もっとも油断しきり、匿名の笠をかぶっているときを観察できれば相手の全てを知れることになる。

 優等生の裏の顔。

 仲のいいクラスメイトの本音。

 あるいは、恋している相手の本性。

 その機会を得た俺はパソコンの前で心臓を高鳴らせる。お風呂を上がったあたりから絶えず動悸が激しい。毎夜、体組成計の結果をアプリで記録しているが、今日だけグラフが跳ね上がっていて自分が正常じゃないことがはっきりわかる。

 心境はあたかも好奇心だけでパンドラの箱を開ける人間みたいだ。

 開けてはいけないからこそ開けてみたい。

 知りたい。

 中に何が詰まっているのか。

 たとえそれが希望に満ちていなくとも。


「さあ見せてもらおうではないか。お前が俺が求めていた聖女なのか、それとも俺をたぶらかす悪女なのかを」


 恋人検査最終選考、リモートで開始。


「まずはエックスからいこうかな」


 不要なメールアドレスで捨てアカを作り、さっそく特定していた朝日向のアカウントをフォロー。

 彼女のアカウント名は、ひよりん。本名のひよりをもじってつけたもののようだ。

 フォロー数はやたらと多いが、フォロワー数は百超。バズった痕跡もまるでない普通の女子高によるアカだ。


「最新の呟きはっと……」


 おしゃれなヘッダーと簡素な自己紹介文を適当に眺めたあと、その下に視線をやると――


『今日あんまり深く話したことない男の子といっぱい喋ってすごくドキドキした』


 瞬間、俺は両手で口をふさぐ。それから顔を何度もゴシゴシこすって、激しく椅子の上で悶える。

 くううううう。


「こ、これひょっとして俺のことじゃないか。うおおおおお」


 数秒後、俺は背筋を伸ばしすっと真顔に戻る。ちょうどいまコケシみたいな顔になっていることだろう。


「何をやってるんだ俺。まだそうと決まったわけじゃないだろ。他人はこうやって期待を持たせたあとに裏切ってくる。誰より知っているはずだろ」


 温かなホームに帰還しバリアが消失しかかっているからかも知れない。

 もっと気を引き締めねば。ネットを介しても他人は攻撃してくる。

 しかしそのポストのあとに続きがないので悶々して仕方がない。

 ドキドキした。そのあとに続く言葉は何だろ。


「好きになっちゃったかもかあああ。そうなのかあああ」


 俺は再度かぶりを振ってすっとコケシに戻る。

 一旦、ドキドキした素敵でかっこいい男子高校生のことが誰かは置いておいて、仕切り直そう。


「他は。普段どんな悪態をついてる。大事なのはこいつも他の奴らと同じ性悪かどうかわかるポストだ。過去を遡れば何かしら悪い一面が出てくるはず。そうなればこいつともこれで……」


 虫の居所が悪い日。嫌なことがあった日。そういうときにうっかり失言してしまうことは誰しもある。もろバレとはいかないまでも、本性の片鱗がそこからも十分に汲み取れる。

 たとえばネットだと口調が悪かったり、汚い言葉を多用していたり、誰かを中傷していたり。あと清掃員とかを底辺と差別していたり。

 匿名だから、安全だから、普段だったら絶対にありえないことを表に出してしまう。

 あの朝日向にだってそういうものが――


「ないだとお!」


 ない。

 ないないない。嫌味ひとつない。

 前半部分は時間をかけて調べ、後半は早めのスクロールながらざっと数か月分をあらってみたが、何も出てこない。

 学校のこと、家族のこと、友達のこと、勉強のこと、好きなものの画像、そんなものしか発掘されない。

 リアルとネットの中の人物像にまるでぶれがない。

 人としての軸がまったくぶれていない。

 これじゃあまるで、

 いや、俺の目はそうそう欺けはしないぞ。


「まさか裏アカがあるのか。そうなんだな。自動ログイン状態だったからわからなかったが、もうひとつあるんだ。そうに違いない」


 リポスト相手などを調査すると、すぐ親しい友達の何人かには教えていることが判明。親友の梨華がよくコメントしている。

 何らやましくないアカウント。

 これは、黒だな。


「まあこれは後回しにして、次はようつべでの活動をしたためさせてもらう」


 再び捨てアカを使い、彼女のユーチューブのチャンネルへ侵入開始。

 チャンネル名、こよりんチャンネル。うん、ひねりがない。

 チャンネル登録者数は十五人。始めたばかりなのでアーカイブも少ししかない。

 精査するべきデータは僅かだが、しばらく見れば何もかもわかるはずだ。

 何より俺には他人の嘘を看破する審美眼と慎重さがあるのだから。

 配信は、エックスとは違う意味での怖さがある。動画はともかくとして、生放送では失言がとにかく出やすい。語るに落ちるというのか、しゃべっているとつい余計な事まで口にしてしまうというのが人間なのだ。芸能人みたいにコンプライアンス研修なんて受けているわけがないので、当然といえば当然のこと。プロでもよく炎上しているほどなので、どんなに人がよさそうな聖人聖女キャラでも、いつかは必ずボロが出る。

 わかりやすいものだと、そう、キレたとき。

 コメントで暴言を吐かれてカッとなったときとか、対戦ゲームをしていて苛々しているときとか、そういうとき。

 前にチャンネル登録していたブイチューバーなのだが、対戦格闘ゲームでめちゃくちゃ柄が悪くなってるのを見て、俺は再び裏切られた経験がある。

 普段はあんなおしとやかだったのに、また俺を騙しやがってっ。

 まあそれはそうとして、朝日向にもそういうところがあるはずなのだ。

 聖女なんて。

 俺の理想の女の子なんて。

 この世界のどこにいるはずがないんだ!

 己を強く戒めていたそのとき、同時にふたつのことが起こっていた。

 ひとつはひよりんちゃんねるが配信を開始していたこと。

 もうひとつは脊髄反射で俺の指がその枠をクリックしていたこと。


「わ、いきなりお客さん来てる。こっ、こんばんはー。来てくれてありがとおー」


 その焦った声を聴いて初めて、俺は逃げ場のない状況に陥ったのだと気づいた。

 ああ、そうだ。

 潜入調査中なのに調査相手と初っ端からふたりきりだ。

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