第7話

 下校時刻、各部活に勤しむクラスメイトと軽くふざけあってから帰路につく。

 何か不自然じゃなかっただろうか。

 うっかり顔がにやついてなかったか。

 あとからそう心配になったほど内心テンションはどこかおかしかった。


「ついに手に入れた」


 歩きながらぐっと握りこぶしを引いたのは何事もつつがなくうまくいったからに他ならない。

 俺は朝日向のスマホに侵入できたし、彼女がトイレから戻ってくる間にエックスのアカウントとユーチューブのアカウントを特定した。さらに彼女が戻った頃には何事もなかったように口笛を吹いていたほどだ。


「何事もなかったよ」

「当たり前でしょ」

「そりゃあ俺が見張ってたからな」

「そうじゃなくて、そんな悪い人なんかいないってこと」


 朝日向は苦笑していたが――

 いるんですがここにっ。

 罪悪感はある。良心の呵責もある。それでも必要なことだった。本当の彼女のことを知るためにはどうしても。

 何を考えているのか、頭の中は覗けない。

 白なのか黒なのか、腹の中も覗けない。

 なら相手を測るためには裏側の活動を覗くしかない。そこから推し量るしかない。

 無論、精査はまだできていない。時間的にアカウントを突き止めて記録するだけで精一杯だった。

 でもゲットした。

 いつでも彼女の裏の顔を眺めることが出来る魔法のカギを。


「悪いがパソコンでじっくり調べさせてもらおうじゃあないか。お前が『本物』なのかどうか。まあ期待してないけど」


 逸る足を自覚して、おっと、と俺は反省する。背後にサラリーマン風の人がいたのだ。警戒を怠るなんてらしくない。

 俺は後ろに人が立っていると落ち着かない。

 理由は言わずもがな。口にするまでもない。

 そんなの、いきなり背後から襲われるかも知れないからだ。バールのようなものか、クマの木彫りみたいなものでいきなりドンッとこられたら、下手すると即死する。そんな危険な状態で泰然自若でいられるほうがどうかしてる。頭がおかしい。

 だから俺は夜道では特にチラチラと何度も振り返りながら歩く。

 以前、友達とディベートの練習をしたことがある。テーマは『幽霊と人間どっちが怖いか?』

 俺は完全に人間派だった。

 理由は簡単、実害があるから。

 それに対し相手は幽霊も悪質さによっては実害があると主張してきた。要は恐怖で精神状態がおかしくなったり、わかりやすいものだと金縛りにあったりするというものだ。

 結局、話は平行線を辿って俺は負けたが、彼は何もわかっていない。

 お前さんは何もわかっちゃいない。人間の底すらない悪意を。

 他人に比べれば幽霊なんて屁でもないぜ。

 俺は本日も全方位に気を張り巡らせながら自宅に五体無事に到着する。

 玄関に入る前に険しい顔と鋭い眼光を辺り中にたっぷり照射してから、ドアをそっと閉める。

 瞬間、家の中で俺を待っていた妹を見つけて頬が落ちる。


「おお、つむぎただいまー。お兄ちゃん帰ったぞー」


 すぐさま感動の再会シーンみたいに駆け寄って妹を抱きしめる。

 それからまずひとしきり激しいハグをする。


「おかえり。お兄ちゃん」

「うんただいま。どうだ、今日はいじめられなかったか?」


 はや小学五年生になったが、俺が気にしているのは成長のことはでなく、目下そこらへんだ。彼女が世間の荒波にもまれていないか常に気が気じゃない。

『外』とはそれだけ恐ろしい世界なのだ。


「そんな毎日聞かなくてもいじめられてないよ」

「毎日いじめられる可能性があるんだから聞くに決まってる」

「私は大丈夫だよ」

「なら今日はなんて素晴らしい日だ!」


 妹とイチャイチャしていると、暖簾の奥から顔を出した弟がうげっ、と表情を歪めている。中学生になったというのに照れ屋さんなのである。


「凪、お前もハグハクチュッチュッしてやるからこっち来い」

「オレはいいわ。ふたりで勝手にやっててくれ」


 俺がせっかく両腕を広げたというのに素っ気なく凪はトイレに入っていく。

 

「むー、すっかり反抗期だな」

「だねー」


 影山つむぎと影山なぎ。目に入れても痛くも痒くもない可愛い妹と弟だ。

 他人という存在と決別をしてから幾星霜、俺の愛情の全ては家族に注がれている。心から信用できるのも心から愛せるのも家族だけだ。

 そのせいか俺には反抗期というものがなく、シングルマザーの母親とも良好な関係なまま今日まで来ている。


「勉おかえり。ご飯にする? お風呂にする? それとも」


 暖簾をくぐってリビングへ行くと、スーツ姿の母親が仁王立ちで待っていて話しかけてきたので、俺は遮る。


「まずはお風呂掃除。それから夕飯。そのあと掃除」


 母こと、影山りんは仕事でほとんど家にいないのでこれらは俺の仕事だ。おかげで家事全般は息を吐くようにできるようになっている。このテンプレートの返しだって慣れたものだ。


「冗談。久しぶりに早く帰れたし全部やっておいたぞい。さすがわたし」

「ただしクオリティは保障しない、か」

「いや掃除は行き届いているはず。お風呂だってトイレだってしっかりやったよん」

「いや、料理の味の話」

「まあそこはご愛敬」

「まあ愛嬌だけはあるからな」


 ご多分に洩れず軽く親子の掛け合いをして、リビングの椅子に座る。たまには母親の不慣れな料理も悪くない。俺のほうが確実に美味しいけど。


「あれれ」


 俺がバッグを足元に置いてお茶を飲んでいると、母が素っ頓狂な声を上げて凝視してきた。


「ん」

「あれあれ」

「んと、何?」

「もしかして好きな子が出来た?」


 水分を溜めた口が一瞬で噴水となった。


「げほげほ。そんなわけないだろ」

「あやしい」

「適当なこと言うなよ」

「親をなめてもらっちゃあ困るな。ま、いいけど。もし彼女出来たらすぐ連れてきてね。そろそろひとりやふたり連れてきてもいい歳でしょ、男子高校生」

「俺に相応しい女がいたらな。まあいるとは思えないけど」

「見つかるといいね、そういう子」


 母が妙に優しい感情の籠った言い方をする。


「仮にいてもすぐ連れてこない」

「なんでさー?」

「もし親に紹介して意気投合して仲良くなってとして、そのあとで浮気されて破局したらみんなつらいだろうが。だから確実だと言えるまで絶対紹介しない」

「そんな先まで考えてるんかーい」

「だから連れてくるのは結婚してからだな」

「逆ぅ逆ぅ」


 母親がこいつマジか、というリアクションをとっていたが、俺は何も間違ったことは言っていない。何かおかしいだろうか。順番はこれが正しい。


「それに俺には紡と凪がいるから、どこの馬とも知れない女なんかいらないよ。そうだよな、つむぎぃ?」

「うんうん」


 紡も高速ウンウンで同意してくれたところで、俺たちはみんなテーブルを囲んで夕食をすることにした。

 早めに腹ごしらえをしたのは、とうとう朝日向ひよりの最終審査がこのあと待っていたからだ。

 魔法のカギはこの手の中にある。

 朝日向は、もしかして今日配信するだろうか。

 みんなと楽しく話している間も彼女のことがずっと頭から離れなかった。 

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