牛丼屋さんでサンタに会う話

七草葵

牛丼屋さんでサンタに会う話

 牛丼屋でサンタに出会った。


 クリスマスの夜、上司に押し付けられた仕事を片付けるために散々残業をした帰り道。23時45分。家の最寄り駅に着いて、駅前の牛丼屋の明かりに吸い寄せられた。店に入って、入り口すぐ横の券売機で牛丼の並を注文する。

 クリスマスなのに牛丼か。俺に仕事を押し付けてきた上司は今ごろ、温かい家で奥さんが作ったごちそうなんて食べて、子どもが寝た後は夫婦でワインを開けたりして、きっとクリスマスらしいクリスマスを過ごしているんだろう。その温かな光景を実現したのは、上司の代わりに残業をしたこの俺だ。全く達成感はないが。

 コの字型のカウンターテーブルの、空いた席を探そうと店内を見回す――まあ、探すまでもなく客はまばらだ。どうでもいいから、適当に座るか……。

「え」

 店の奥に、派手な赤い服を着た女性が座っていた。背中を丸めて、わびし気に牛丼を食べている。不思議と興味をそそられた。せっかくのクリスマスだ。サンタを肴に牛丼を食べるのも悪くない。俺はサンタから一席開けた席へと腰を下ろした。

 食券をカウンターに置くと、店員がそれを覗き込む。注文を復唱し、調理に入る。待っている間、横をチラッと見る。

「……何?」

 チラチラと見ていたからか、サンタが横目で睨んできた。

「すみません」

 面倒ごとはごめんだ。サンタとはいえ女性だし、騒がれたら警察沙汰になるかもしれない。クリスマスプレゼントが手錠なんて笑えない冗談だ。

「お待たせしました」

 その時ちょうど、けだるげな店員が目の前にどんぶりを置いてくれた。助かった、と思いつつ箸に手を伸ばす。

 ちょうど箸が入っている入れ物の側に、サンタのものらしい食券が置きっぱなしになっていた。どうやらサンタが頼んだのは、牛丼特盛り、みそ汁付きのようだ。だいぶ華奢な身体をしているのに、特盛りなんて食べるのか。

 ついまたサンタのことを見てしまった。真っ赤な三角帽のてっぺんに白くて丸いふわふわのポンポン。縁取りはふわふわの白いファー。赤いワンピースの首元や袖、スカートの裾にも白いファーがあしらわれている。腰に巻かれた黒いベルトは、その体の華奢さを際立たせるかのように赤いワンピースをきゅっとくびれさせている。ワンピースから伸びた脚は色白で細く引き締まり、とても牛丼特盛りを深夜にかっこむような体型ではなさそうに見える。

「だから、なんなの?」

 サンタは完全にこちらへ顔を向け、俺を睨んでいた。

「……すみません、あの」しどろもどろになりつつ、最善の答えを探す。「俺も量増やせばよかった、と、思って」

「あ……っ!」

 俺が食券を指差したのを見て、サンタは頬を赤くした。『特盛り』の文字が燦然と輝く食券を慌てた様子でつかむと、ポケットにつっこもうとして――ポケットが無いことに気付くと、お尻の下にぐいぐい押し込んだ。

 なんだ、その反応は。ちょっと可愛くて、こっちまで照れてしまう。

「分けてあげないから。自分で追加注文しなさいよ」

「いや、いくらサンタ相手でも、分けてもらおうなんて発想ないですよ」

「あ……う、サンタいじりするとはいい度胸ね」

 サンタはどこか挑戦的に笑う。

「いや……すみません。でも、ほら。まだあと7分くらいは25日じゃないですか。最後の最後でクリスマス気分が味わえてよかったなぁ、なんて思って」

「深夜に店の片隅で牛丼を食べてるサンタを見て、クリスマス気分を味わってるわけ?」と、サンタはくすくす笑った。「変な奴」

「変……はは、そうかも。最近残業続きで、まともに頭が働いてなくて」

「それで、クリスマスに牛丼? しかも並って」

「憐れむような目で見ないでくださいよ……」

 300円かそこらの違いで、こんな負けた気分を味わうことになるとは。

 会話が途切れた。憐みの目で見られた並盛を、もそもそと食べ始める。汁がしみ込んだ米粒を口いっぱいにほおばると、ささやかな幸福感と、なんともいえないわびしさで胸が詰まった。筋張った牛肉が、口の中でほろほろと崩れていく。舌のうえで、タレと油が混ざり合い、食欲をそそる香りが鼻から抜けていく。黙って牛丼を半分ほど食べた時、ふと我に返った。そういえば、昼から何も食べていなかった。俺は結構腹が減っていたのか。水を飲み、追加注文すべきかどうかを少し悩む。

 電車が停まったのだろう、客が4、5人立て続けにやって来た。店員がにわかに忙しそうにカウンター内を歩き回る。タイミングを失した気分で、俺はサンタを横目で見た。サンタは特盛を三分の一ほど食べ、みそ汁で口を潤しているところだった。

「サンタさんはどこから来たんですか?」

「は? それ、どういう質問? バカにしてる? それともサンタ信じてる危ない奴?」

「いや、普通に疑問で」

「……隣町の駅前のケーキ屋。あそこでケーキ売ってたの。店長がコンビニに対抗するとか言って、すごい遅くまで外に立たされて……」その時の寒さを思い出したかのように、サンタは身震いした。「私の呼び込みと営業スマイルの甲斐あってケーキは全部売れたんだけど、バイトの前に『クリスマスケーキ支給』って約束だったのに売り切っちゃったからケーキがなくて。代わりにこの服を貰ったってわけ。悔しいから、着たまま帰って来てやったの」

 サンタは険しい表情で、みそ汁の椀を置いた。

「本当ならホールケーキを思う存分ほおばって、ストゼロ飲んで、生クリームに胃もたれしながら気絶するように眠って、それなりにいいクリスマスだったじゃんって思いながら明日の朝には気持ち切り替えて、穏やかな生活に戻るはずだったの。それなのに牛丼屋で特盛って何? みじめすぎて気持ちなんて切り替えらんない」

 サンタは怒りを呑み込むように、持ち上げたどんぶりに口をつけ、箸で牛丼を掻っ込んだ。

 その姿はたしかにクリスマスらしい穏やかで温かなものではなかったが、したたかで力強い美しさがあった。

「すげーかっこいいです、サンタさん」

「はあ?」

「俺なんて、上司に仕事押し付けられて、さんざん残業して。今ごろ上司は家族でクリスマス祝ってるんだと思ったらなんかしんどくなっちゃって。並盛以上食える気しないぐらい気力がなくなって……だから、堂々と怒って胸張って牛丼食ってるサンタさんはかっこいいっすよ」

 言葉にだして、やっと自覚した。俺、疲れてたんだ。怒る気力もないほど疲れて、だからうじうじ上司を呪うことしかできなかった。

「別に、そんな風に言われても嬉しくないし」

 サンタはちょっと頬を赤くして、目を逸らした。

「褒めたって、分けてあげないから」

「分かってますって」

「……悪いわね」

 サンタは不意に、眉根を寄せた。

「何がですか?」

「こんなかっこしてるのに、愛想がなくて」

「いや、そんなこと……」

「サンタさんには、人に振りまけるような夢なんてもうないのよ。自分のことで精一杯なんだから」

 そう言って、はあ、と深いため息を漏らす。

 俺はカウンターにある、紅ショウガの箱を開けた。

「いりますか?」

「……? ええ」

 俺はサンタの特盛牛丼に、紅ショウガを気持ち多めに盛った。

「サンタにだって、そういう日はありますよ。自分を優先したからって、それに罪悪感を覚える必要はないでしょう」

 上司の顔が、一瞬チラついた。自分の幸福なクリスマスのために俺へ仕事を押し付けたんだから、せめて、楽しい時間を過ごしていてくれたらいい。まあちょっとくらい俺に申し訳なく思ってほしいけど、それはクリスマスが終わってからでもいいや。今はなんだか、不思議と穏やかな気持ちでそう思えた。

「……まあ、そうかもね。だってクリスマスだもの」

 サンタは笑うと、俺の手から紅ショウガ用のトングを奪った。そして、俺の牛丼へ盛り盛りと紅ショウガを載せていく。

「でもサンタとして、紅しょうがくらいならプレゼントしてあげてもいいわ。乗せ放題って、なんだか幸せな響きだし」

「ありがとうございます」

 その後、俺たちは紅ショウガ味になった牛丼を食べ、店の前で別れた。


 いまだにあの時の事を思い出し、くすぐったいような幸福な気持ちになる。

 牛丼屋でサンタに出会い、残業の原因を作った上司を許せるほど心穏やかになったことは、まぎれもなくクリスマスの奇跡だった。



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