エメラルドちゃん
あがつま ゆい
エメラルドちゃん
「何だよぉ。予報じゃ降るなんて言って無かったのに……」
空は晴れて太陽が出ているにも関わらず、雨がザーッと降って来た。しかも降り出した、と思ったら5分もしない内に「叩きつけるような」雨になるいわゆる「ゲリラ豪雨」って奴だろう。
何が「今日は梅雨の晴れ間で1日中スッキリとした晴天が続くでしょう」だ、ふざけやがって。
……いや訂正しよう。天気予報士にあたるのは彼らにとっても酷だ。それに雨は降っているとはいえ、晴天なのは確かだ。
とにかく雨宿りとでも言おうか、どこかの店に入らなくては。背中のリュックに入ってタブレットが水に
幸い、目の前に喫茶店を見つけたのでそこに飛び込むように入っていった。
「あらいらっしゃい、お兄さん。どうしたのそんなに慌てて?」
「いやぁすみませんね。突然雨が降ってきたものでして」
「あなたで4人目ね。まあゆっくりしていってね」
「そうさせてもらいます。とりあえずアイスコーヒーを1杯お願いします」
「はいかしこまりました。少々お待ちくださいね」
偶然たどり着いたその店は個人経営らしき小さな喫茶店。良い感じに年を取った旦那がマスターを務めてその奥さんがウェイトレスを担当して、夫婦二人三脚で経営しているのだろう。
長年地元に愛された隠れた名店、とでも言うべき
外では雨が降っているにも関わらず、エアコンで除湿や温度調整でもしているのか店内は快適な温度で
虫対策なのか蚊取り線香の香りが鼻にとまるが、そこも店に合ったノスタルジックな雰囲気を
店内には常連と、俺と同じように雨に降られて雨宿りするために来たであろう客が数名いる。俺で4人目、って事は店にとってはこの通り雨は良い話だろう。
開いていた席に座ると背負っていたリュックをテーブルに置き、中に入っていたタブレットを取り出す。幸い
電源ボタンを押すと何一つ問題なく動作する。
2年前まで会社勤めをしていたのだが「1日8時間、5日で40時間も働くなんて嫌だ! 辞めてやる!」と思って独立したら「24時間365日仕事を続ける」羽目になってしまった。
有給休暇はもちろん無いし、いつ仕事が無くなってもおかしくない。営業、経理、製造、販売、といった
「会社の全てをたった1人で回さなくてはいけない」のを事前に知っていれば、思いとどまったかもしれないがもう後の祭りだった。
仕事をしていると、猫がすり寄って俺の右手に前足を伸ばして抱きついてきた。
その猫はごく普通の猫だった……全身の毛がエメラルドのような濃くて清んだ緑色だった事以外は。
聞いた話では、遺伝子改造で十数年前に生み出されたばかりの新たな品種で、繁殖に成功して値段はだいぶ下がったとはいえ、今でも新品の自動車並みの値がするはず。
こんないかにも町喫茶な場所でいるなんて何かの事情があるのだろうか?
「お待たせしました。アイスコーヒーです」
奥さんらしきウェイトレスがアイスコーヒーを持ってきた。本当はここで「ごゆっくり」とでも言うべきところだったが、
猫が右手に抱き着いているのを見て別の会話が始まった。
「あら、お客さんと来たらエメラルドちゃんに随分と懐かれたようねぇ」
「エメラルド……? この猫の名前ですか?」
「ええそうよ。毛がエメラルドみたいに綺麗でしょ? だからエメラルドって名付けたのよ」
彼女は笑顔、それも営業スマイルではない本物の笑顔で話してくれた。
「そ、そうですか。ところで何でこんな高級猫がこの店に?」
「ええ、良く聞かれるんですよ。身内の事なんで何回かお店に通ってくれる人にしか教えないんですけど」
肝心の話は教えてくれなかった。
「エメラルドちゃん、仕事の邪魔はしないでくれよな」
俺はそう言って猫を右手から引きはがして抱きかかえ、床へと下ろす。すると今度はイスに座ってる太ももの上に乗って来た。
(……しょうがねえな)
ちゃん付けで呼ぶという事はおそらく雌なのだろう。彼女に懐かれるのは悪いことではない。取り合えずあと5分だけ付き合ってやることにした。
5分経ったが、降りる気配は一切ない。あと5分だけ付き合ってやることにした。
10分経ったが、やはり降りるつもりは無いらしい。あと5分だけ付き合ってやることにした。
15分経ったが、どうしても降りるつもりがないようだ。あと5分だけ付き合ってやることにした。
結局1時間経っても降りないため最後は床に下ろして店を後にした。
コーヒーも香りが良いし味も良かったからいい店なのだろう。時間があったらまた来ようか。そう思って俺は店を後にした。
また来てくださいね。と奥さんから声をかけられつつ、同時に猫にもバイバイして外へと出た。
雨上がり特有のじめじめした嫌な空気はあったが、カラリと晴れた梅雨なかばには珍しい青空だった。
エメラルドちゃん あがつま ゆい @agatuma-yui
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます