Wonderwall

イグチユウ

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 状況を整理したいがとても整理できるような状況ではない。

 私はどうして自分がこの場所にいるのかが分からなかった。

 私はその場所の中央で仰向けになっており、白いシャツとジーパンというシンプルな姿。そして足には履きなれたスニーカー。

 自分の意思でこんな場所に来た覚えはなく、誰かからこんなみょうちきりんな場所に連れてこられるような覚えもない。今の世の中誰に恨みを買われているかは分からない。それは重々承知だ。きっと私も自分の知らないところで誰かに恨まれたりしているだろう。

 とはいえ、流石にこんな場所に連行されるほどの恨みの買い方をしたなら、覚えていないということはありえないだろう。

 私は四方を白い巨大な壁に囲まれた場所にいた。その白い壁で囲まれた敷地の形は真四角で、おそらく一辺が50メートル程の広さがある。そしてその敷地内には植物が何も生えていない地面が広がっていて、俺以外には何も存在してはいない。

 ここは何のために存在している場所なのだろうか。四方の壁はこの空間を世界から切り取るためだけにあるかのようで、それ以外に何かの目的を持った建造物であるようには感じられない。しかもその壁には扉や窓など、出入り口になりそうなものが一切ついていない。一体どうやって私はここに入ることが出来たのだろうか。

 私は頭上に目を向けた。そこには天井がなく、青い空と雲だけが広がっている。四方の壁によって切り取られたその空はまるで一枚の絵のようだった。

 私は自分がどうやってここに入れられたのかを考えてみることにした。

 可能性としては三つ考えられる。 

 一つは私が気づいていないだけで実はどこかに出入り口がある可能性。

 私がいるこの空間の中央からはそれらしきものを発見することが出来ないが、非常に巧妙に壁に溶け込ませてある隠し扉が存在し、そこから私をこの中へと運び入れたのかもしれない。

 二つ目は私がこの場所に運び込まれた後に、壁が造られた可能性。

 その様子を想像してみると滑稽だが、私が中央部分で眠らされている間にどこかの誰かがせっせと壁を作り上げたのかもしれない。私が眠りについているうちにそんなバカでかい壁を作ることが可能なのかと言われるかもしれないが、まず私は自分がどれだけ眠っていたのか把握していないのだ。数日どころか数カ月眠っていたのかもしれない。なんの意味があってそんなことをするのかは理解できないが、可能性は完全には否定できないだろう。

 三つめはヘリなどの空を飛ぶ乗り物によって上空から運び入れられた可能性。

 この可能性はかなり高いのではないだろうか? ここには天井がない。天井がないのはそこから連れてきた人を運び入れるためなのかもしれない。

 他にも方法はあるのかもしれないが私の頭ではこれが限界だ。

 しかし正解を示す手掛かりは皆無である。俺しかいないこの場所では誰かに意見を求めることもできない。どれだけ思考を進めたとしても、確認する手段がない以上ははっきりとした事実には辿り着けないのだ。

 自分の力で確認することが出来るとしたら一つ目の可能性――隠し扉がある可能性だけだろう。とはいえそれも立ちはだかる巨大な壁の内自分の手が届く範囲でしか確認することはできない。

 しかし、このまま何もせずにはいられないのだ。ここにずっといるわけにはいかない。ここには水も食料もなく、誰かが助けに来てくれるという保証もない。自力で脱出できる可能性があるなら、それを探ってみるべきだろう。

 私は確認するためにゆっくりと壁に近づいた。

 近づいてみても先ほどまでと壁の印象は変わらない。その壁は本当にただそこにあるだけで何の特徴もない白い壁だった。どこにもつぎはぎらしいものはなく、どこかに出入り口が隠れているような様子はない。分かったのは素材がおそらくコンクリートだろうということだけだった。

 視覚からは何の情報も得られなかったので、私は恐る恐る壁に手を伸ばした。

 するとそこには不思議な感触があった。手触りは間違いなくコンクリートのもので、冷たくて硬い。しかし、それだけではなく壁が手のひらにくっついてくるのだ。それはまるで吸盤でもくっつけたかのようだった。

 私が驚いて手を引っ込めると、すぐに手のひらは壁から離れた。

 私はほっとして胸をなでおろした。もしかしたらくっついた手は二度と壁から離れないのではないかと思ったからだ。壁がまるで食虫植物のように私を捕まえて離さず、私を消化していく――そんな想像をしてしまった。

 しかし、どうやら壁は私のことを捕えようとしているわけではないらしい。

 私の体以外もくっつくのかと疑問に思い、試しに足を上げて靴を壁に触れさせてみた。すると、靴が壁にくっついているのが分かった。どうやらこの壁は何でもくっつけてしまうらしい。

 私が足を引っ込めると、やはり簡単に壁から外れた。

 しかし、この壁は一体何なのだろうか? 見た目は単なるコンクリートでできた白い壁なのだが、明らかにただの壁ではない。どうやって作られ、何のためにこんな場所にあるのか――答えはどこにもない。私は何となくボブディランの歌を思い出した。答えは全て風の中にある、そう歌う彼の声が私の頭の中に響いた。

 ――もしかしたら、登れるんじゃないか?

 私はふとそう思った。なんでもくっつけ、かつ簡単に外すこともできる。ならば、もしかしたら可能かもしれない。ヤモリが壁を這うかのように、壁の終わりまで登っていくのだ。この奇妙な壁の特性も、登るためにあるのだとしたら納得がいく。

 私は試しにやってみた。まず右手を壁にくっつけ、左足を次にくっつける。私は右手と左足の力を使い上へと移動する。私の体の重さがかかっているが、右手が壁から離れることはなかった。外そうとさえしなければ、壁のくっつける力は結構強力らしい。

 私の胸の中は希望で溢れた。ついさっきまではこの異常な状況に一体どう対処したらいいのかが分からなかった。しかし、今はこの場所から脱出できるのではないかという希望が生まれ、心が高ぶっている。

 今私はマイナスの状態であり、ここから脱出出来て自分の家に帰ったとしても、それは元に戻るだけでしかない。いやむしろこの不可思議な場所にいて奪われた時間があるので、帰ったとしてもマイナスは残っている。それなのに、今の私は気分がいい。

 人はプラスになることではなく、前に進むことにこそ喜びを感じるのだろう。今私はこの理不尽な出来事から前に進もうとしている。それは本当に喜ばしいことだ。

 私は胸の高鳴りに合わせ、さらに壁を登っていった。ロッククライミングなどとは違い、登っているというよりは四つん這いで床を這っているかのような感覚だった。大した疲れもなく、少しずつではあるが進んでいく。私は心の中で歌を歌っていた。

 暗い歌ではない。明るく気分が盛り上がるような歌だ。

 しかし、ふと思い出した。

 私は今ここから脱出しようとしているものの、一体誰によってこんな状況にされたのかがはっきりとしていないのだ。

 私をここに連れてきたやつは、今のこの私の姿をどこかで見ているのだろうか?

 私はどこの誰かも分からない真っ黒い影のような姿をした人間が私が壁をよじ登っている姿を見ながら笑い声をあげている様を想像してしまった。その想像で私の心はざらついてしまう。よくない感覚が自分の中全体に広がっていき、私は壁を登るのを一時中断した。

 今の私はおそらくひどく滑稽だろう。壁をペタペタと登り、まるで虫か爬虫類になったかのようだ。自分がひどくみじめな存在なのではないかという思いが、私の中に生まれる。

 ――それでもしょうがない。前に進むのだ。

 もうすでに結構登ったので、地面からは離れてしまっている。なんとなく下に目を向けると、大分高いところまで登ってきているのが分かり恐怖で体が震えた。そうなるはずはないが、もしここから落ちたら私は死んでしまうだろうという悪い考えが私の頭を支配する。

 地面に降りたところでこの状況が進むわけでもないし、降りていけばきっとどこの誰だかわからないそいつは腹を抱えて笑うに違いない。そいつはどんな状況になろうと私を笑うのだ。ここに連れてこられた時点で、そいつが私を笑うというのは決定事項なのである。

 どうせ笑われるなら前に進まなくてはならない。私は再び動き出した。

 どれくらいの時間がたったかはわからない。時計がないので正確な時間の経過を知ることが出来ないのは当然だが、何より進んでも進んでも代わり映えのしない景色が私の感覚を狂わせる。何時間も経っているのか、数十分も経っていないのか。

 私はただただ体を動かし続けた。最早そうするしかない。同じ動きをひたすら繰り返す。永遠に続くのではないかと感じてしまうが、空は見えるし、壁の終わりが間違いなく存在している。

 永遠ではない。続けていれば確実に終わりが待っている。

 私はそう言い聞かせながら進んでいった。

 右手を動かし、左足の力で前に進む。左手を動かし、右足の力で前に進む。

 工場で流れ作業をするかのようにひたすら同じ動きを繰り返していく。最早私は何も考えずにその作業に集中した。余計なことを考えると精神がすり減ってしまう。なぜか体は疲れないので、もはやこれは精神力の勝負だ。登ること、壁の終わりに到達すること、それだけを考えるのだ。

 永遠に思われた時間を超え、ついに壁の終わりが見え始めた。今まで自分のしてきた苦労がもうすぐ実るのだという実感に胸が高鳴った。

 ただ壁を登ってきただけ。それだけだというのに私は涙がこぼれそうになる。


 あと五メートル。

 あと四メートル。

 あと三メートル。

 あと二メートル。

 あと一メートル。


 そして私はついに壁の終わりに手が触れた。私は力いっぱい自分の体を引っ張り、先ほどまで登っていた壁の上に立つ。


「え?」


 壁のまた少し先には同じ壁が、先程まで自分がいた敷地より少し広い敷地を囲っていた。そしてさらに先にはそれより大きい真四角の敷地を囲う壁。


 壁、壁、壁、壁、壁。 


 その壁の連なりは一体幾つあるのだろうか。終わりを確認することが出来なかった。


 ――気分はどうだい?


 誰かがそう笑った気がした。

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