32 シャルル ③
耐えがたい静寂が僕らを覆った。僕はこの続きを何と切り出そうか思案に暮れていた。話せば話すほど、みんなの表情を見れば見るほど、考えが離散してしまう。
「それで、残っている謎はなんだ? リックの話だ。一つを除いてと言ってた」
ギルは腰の横で拳を震わせ、感情を押し殺しているようだった。僕はまたギルに感謝をした。おかげで話すべきことが見つかった。
「うん、そうだね。それは、君がどうして父さんを救ったのかだよ」
「それは……、当然だろ。城の主が逃げていたんだ。身を挺してでも守るのが兵士の役割だ」
「そうだね。でも、父さんはどうやって君の所まで行けたのかな? 塔の中は敵だらけだった。父さんは敵に囲まれていたはずだ。なのに、捕まりもせず、殺されもせず、逃げ延びた。あの状況ではあえてそうされたとしか思えない」
父さんは生きて帰れるはずはなかった。指揮官は殺しておくか、生け捕りにしないわけがない。逃がすのだとしたら、有能な指揮官をいなくさせる以上の利益が無ければならない。
「ここからは僕の想像になるけど、父さんを逃がすように説得したのは君なんじゃないのか?」
「──なにを、ばかなことを。例え俺が敵だったとして、何の得があるんだ。あのファーラル公だぞ。殺しておいた方がいいに決まってる」
リックのその言い方はまるで父さんがオズノルドでも有名だと言っているようなものだった。
「向こう側ではそう評価されているんだね」
「いや。あれだけの人物だ。そう噂されていてもおかしくないと思っただけで──、それで俺に何の得があると」
「きっと君はこう言ったんだと思う。ここでファーラル公を救えば、より中枢に近づける機会が増えるってね。直接作戦を知ることができれば、もっと言えば、作戦を組むことができれば、敵にとってそれ以上の利益はない。それに、君がファーラル公の息子である僕と友人関係にあるってのが後押しになったんだろう」
「妄想に過ぎない」
リックは吐き捨てるように言い、さらに指を僕の胸に突き立てた。
「お前の言う証拠はそれだけか。どの証拠も全て完全じゃない。どれも欠陥だらけで、お前の妄想が隙間を埋めてる。こんなんで、裏切り者呼ばわりされたらたまったもんじゃない。そうだろアレッサ」
アレッサはリックの顔と、そして次に僕の顔を見た後、首を上下に小刻みに揺らすようにしてうなずいた。
まだ迷っているようだった。
「もう帰ろう。お前がそんな奴だとは思わなかった」
リックは僕とギルの間を通り抜け、戻ろうとした。
「待ってよ、まだ──」
リックは足を止めた。そして、ギルの方を見ている。横にずれて見ると、ギルがリックの腕を掴んでいた。
「放せよギル。それともお前もこんなくだらない話を信じたわけじゃないよな」
ギルはリックの顔を見なかった。ただひたすらに真っすぐ、何もない虚空を睨みつけていた。
「まだだ。シャルの話はまだ終わってない」
ギルを見下ろすリックの目には、恐怖の色がうっすらと浮かんでいるように見える。リックはギルの腕を力ずくで振り払った。そして、しばらく睨み合った後、リックは一歩下がった。
「さあ続けてくれよ。またろくでもないこと言いやがったら俺は部屋に帰る」
「分かった。でもそんなことにはならないと思うよ」
「期待しておく」
リックは柵に腰掛け、余裕そうに振舞っている。
「僕は数日間、とあることに時間を費やした。資料室に籠って記録を端から端まで読み漁ったんだ」
「なんの記録?」
ユーグが聞いた。
「この町の転入記録だ。あの植物大氾濫の後のね」
僕はリックとアレッサの動きを注意深く観察した。
暗がりとはいえ二人の表情が一変したのが分かる。リックはズボンのポケットの中でしきりに手を動かし、アレッサは挙動不審に手をあちこちに動かしている。
「まずは二人の名前を探した。そこには名前しか記載がなかった。どこから来たのかが書かれていなかった。でもこれは、当時は混乱の真っただ中だったから、珍しくもなんともなかった。そこで、二人の出身地の名前を探した。ペルジュ村とヴァール村」
「それであの時俺たちに出身を聞いたのか……」
リックは小さく舌打ちをして、悪態もついた。
「どちらも小さな村だ。だいたいそういう村は住人全員が顔見知りであることも少なくないし、そうでなくとも名前ぐらいは知っていることがほとんどだ。だから探した。同じ出身の人を見つけて、二人のことを知っていたか聞くために。
出身者の名前を見つけ、今度は戸籍から今何をしているのかを探した。かなり時間はかかったけど、五人見つけた。ペルジュ村が二人、ヴァール村が三人。そして、全員に話を聞けた。みんな口をそろえてこう言ったよ。
『そんな奴は知らない。村の人間のことは顔や性格まで全て知っていた』ってね」
ユーグはそれを聞いた途端にアレッサを振り返った。そして、その横顔は絶望していた。
リックは反論しようと、何度も口を開けては閉じを繰り返した。
ギルは恐ろしいくらい微動だにしなかった。
「ほんとに村の出身者だったのか。嘘だった可能性もあるだろ」
リックが苦し紛れに言った。
「彼らが嘘をつく必要があったかは疑問だけど、仮にそうだったとしよう。でも、この場で確認できる。ミラのお祖母ちゃんはヴァールの出身だと言っていた。行ったことがあるんだよね?」
「──うん。何回か、だけど……」
ミラの声は消え入りそうだった。
「村の様子は覚えているかい?」
ミラはおずおずとうなずき、上目でリックを見つめた。
僕は尋ねる。
「リック、ヴァールはどんな村だった?」
「覚えて──」
「覚えてないとは言わせない。数度しか行ったことのないミラが覚えているんだ。そこに住んでいた君が覚えていないわけがないだろう」
「──覚えてないんだ。村を襲われたショックで。信じられないだろうが」
リックは言葉を詰まらせながら言った。
「それならそれでもいい」
まだ、最後に残された証拠がある。僕はミラに視線を向け、頷いた。ミラもその意味を理解したようだった。ミラは薄手のカーディガンのポケットに手を伸ばした。
「ミラに頼んでアレッサの持ち物を確かめてもらった」
「え」
リックとアレッサは同時に驚きの声を上げた。
そして、ミラに視線を注ぐ。
「ごめんね、アレッサ。でもシャルにどうしてもって、頼まれたから」
ミラは眉間に皺をよせ、涙ながらに言った。そしてポケットから手をだした。
「これ」
ミラの手の平の上には豆粒ほどの焦げ茶の種が一つあった。
「それが何の植物か分かるかい?」
ミラは一度逡巡するように僕を見た。僕が頷いて見せると、ミラは震える手をより高く上げ、見やすいようにした。
「これは、レイデンっていう植物。
これは種のように見えるけど、これが成形した姿で、今は乾眠状態にあるんだと思う。この渦巻の特徴はオスで、メスは球状で地面に根を張り、体の半分を占めてる口を上に向けてる。オスは成形すると、シダのような細長い二対の
そして、オスはメスを見つけるとメスの口の中に着地して交尾をする。レイデンで重要なのは、オスがメスの口に入る瞬間にオスを捕まえて遠くに引き離しても、そのメスのフェロモンを追って何キロ先でも飛び続ける性質にあるの。
だから、交尾の直前のオスを捕まえて乾眠状態にして、例えば手紙なんかを括りつければ、郵便屋さんの役割を果たしてくれる。メスの場所にしか飛ばないけど、そこに仲間がいればどこに居ようと情報は伝わる。だから、養殖をしようと長い間試みられてきた。だけど、こっちの国ではまだ成功していない。
なぜなら、原産国がオズノルドだから。サンプル数が少なくて、研究が進められていないの。
だから、これはまだこっちの国にあるはずがないの」
ミラは最後まで言い切ると、泣き崩れた。
手にレイデンを持っていることを忘れて、顔を覆う。ミラの涙がそれに触れたのか、長い眠りから解放されたレイデンが飛び出してきた。
それは指ほどの大きさで、頭部は丸く、胴体部分に行くにしたがって膨らみ、尻尾に行くにつれて細長くなっている。尻尾は二股に別れ、その先には鋭い葉が二股についている。背中には上部と下部にそれぞれ一対の羽が生え、それらを器用に動かし、その場に滞空していた。羽は動くたびにカサカサと音をたてている。その姿を遠くで見れば、間違いなく妖精と見間違えてしまうだろう。
レイデンはしばらくその場で、おそらくはメスのフェロモンを探して動き回った。そして、ピタリと動きを止めると、頭を倒して前傾姿勢に入り、羽を後ろに真っすぐ伸ばすと、弾丸のように南に向けて飛んでいってしまった。
この小ささでこの速さか。これまで誰も気が付かないわけだ。
背後から呻き声と倒れ込む音が聞こえた。振り返ると、アレッサが床に座り込んでいた。
「アレッサ……」
ユーグが傍らに立った。けれども、いつものように彼女に触れることはなかった。
「俺には物的証拠がない」
リックはボソッと呟いた。
「まだそんなことを……」
ユーグが言った。
「証拠がないんだ! お前らは信じても他に誰が信じるっていうんだ、こんな話を」
リックが吠えた。こんな姿を見たのは初めてだ。
「そうだろ。なあシャル、お前には分かっていたはず。俺は認めない。決っして──」
「もういいじゃない!」
アレッサはほとんど悲鳴に近い怒鳴り声を上げた。アレッサは大粒の涙を流している。
「もう、私たち十分苦しんだ。もう、十分尽くしたはず。終わりにしましょう」
「アレッサ。何を言ってる」
「どうせもう限界だったのよ。認めてしまえば──」
「死ぬことになるんだぞ! ここで拷問されて殺される。運よく逃げ出せても、行く当てもない。一生、他人に怯えて逃亡生活をすることになる。
頼むお前ら。このことはまだお前らしか知らない。誰にも言わないでくれ。あと半年。兵役の義務が解かれれば俺たちはここを出て行く。それまでは黙っていてくれないか。頼む……!」
リックは僕に縋りついた。
僕はギルを見た。ギルは初めから変わらず、その場に仁王立ちしていた。けれども、ギルは何も見ていなかった。僕に縋りつくリックも、座り込むアレッサも何も見ていなかった。放心していた。
ギルの思いが痛いほど伝わってきた。仲間を信じる思いと悪魔への復讐心の、真っすぐすぎた二つの思いが初めてぶつかって、心が折れかけている。ギルに何か言ってあげたいけれど、今はまず二人を優先しないと。
「リック、アレッサ」
リックとアレッサが顔を上げた。二人の顔には悲痛の叫びが刻み込まれていた。
思いが込み上がってくる。
二人はどれほどの苦しみを抱えていたのだろう。耐えてきたのだろう。僕には想像も及ばない。仲間と敵との間でどれほど揺れ動いてきたんだろう。
二人が敵国の人間だったとしても、僕らの過ごしてきた思い出が変わるわけじゃない。二人を開放する方法は一つしかない。大公たちに気づかれる前に、城を抜け出す。それしかない。
「二人のことは今でも仲間──」
部屋の扉から誰かが出てきた。
兜と鎧が黄金色に輝き、白いマントをつけている。そして、胸元には
「全員その場を動くな!」
黄金の鎧を纏った兵士が怒鳴り、その後ろから続々と兵士が現れた。そして、その間に一人だけ鎧を着ていない男がいた。
「ジョルジュ大公……!」
どうしてここに……。
「なぜって顔をしているね、シャルル君。実は君のことをつけさせてもらっていた。あの日、君と君の父君の部屋で会った時から。
我ながらこの目には驚かされる。そう思わんかね」
大公は自らの碧眼を指さし、笑った。
僕は礼儀も何もかも頭から抜け落ちていた。今はどうやって二人を逃がすか、そのことを考えるので必死だった。
僕は足に縋りついたまま呆然とするリックを何とか立つように仕向けた。
「この目が、君が実はスパイが誰かに目星をつけているのではと告げてきた。私はそれに従うことにした。これまで、何度もこいつに救われてきた。戦場でも王都でもね」
大公の周りは兵士が剣を携え並んでいた。まるで、黄金の巨大な壁のように聳え立っている。
彼らを出し抜くのも、勝つのも不可能だ。彼らは王族直下の護衛団。金の鎧を纏えるのは最強の証だ。
どうする。
僕はリックをかばっているように見えないよう気をつけながら下がらせた。一方で、ユーグはアレッサを立たせ、彼らから遠ざけようと試みている。
「それにしても、君は実に優秀だ。名君とうたわれる父君に負けずとも劣らない。実に素晴らしい才能だよ。だが、君はまだ若い。若すぎる。
君の才能と若さに免じて、さっき君が言おうとしていたことは聞かなかったことにしよう。そして、君たちが我々から二人をどう逃がそうか考えていることについても不問にしよう。さあ、奴らを捕まえろ」
大公は兵士たちに命令した。同時に巨漢の兵士たちが向かってくる。
ユーグはアレッサを僕の方に押した。
「アレッサ。逃げろ!」
「でも」
「いいから!」
アレッサはリックの方へ走り出した。
ユーグは兵士を止めようと重心を低くして構える。
「殺すなよ。全員生け捕りだ」
兵士の一人がユーグと取っ組み合いになった。しかし、ユーグはすぐさま取り押さえられ、床に押さえつけられた。
「ユーグ!」
アレッサが立ち止まった。
「だめだ!」
僕はアレッサを引っ張った。
「来い! アレッサ」
リックは怒鳴り、ポケットから何かを取り出した。
やはり脱出手段があるんだな。
僕はアレッサの前に進み出た。僕と相対した兵士は躊躇いを見せた。
「シャルル殿。どいていただけませぬか?」
「ごめん。それは無理だ」
その間、僕の脇を兵士が走り抜けた。
それと同時に、背後から何かが割れる音と、樹木が急速に成長する音が聞こえた。
兵士は立ち尽くしたままのギルを壁の方に突き飛ばし、アレッサに手を伸ばす。
「やめろ!」
僕は振り返ってその兵士の腕に飛びついた。
兵士は僕が誰であるか見ることもせず、頭から床に叩きつけた。
僕は揺れる頭で、意識を保ち、リックとアレッサを見上げた。
そこには、巨大な龍のような生物がいた。体は焦げ茶色で、背中には四つの濃緑色の翼を持っている。
おそらくレイデンの改良種だ。
リックがそれの尻尾に掴まり、アレッサがリックの手を掴む。
行け! 逃げるんだ。こんな場所から、国から解放されるんだ。君たちはもう自由に生きていい!
レイデンが緑の翼をはためかせると、風が吹きあがった。そしてゆっくりと柵を離れ上昇し始めた。よかった。これで二人は逃げられる。僕は安心して目を閉じた。
「そう簡単に逃げられると思ったのかな」
大公の声だった。
僕は目を開ける。傍らには、月光を反射させて輝くブーツがあった。見上げると、大公が柵に乗り出し、手を伸ばしている。その先の手は、アレッサの足首を掴んでいた。
「おい。撃ち落せ」
大公の命令と共に、兵士たちが返事をする。
そんなだめだ。
僕は力を振り絞った。しかし、抑えつける力が強すぎて体が持ち上がらない。
「バルドリック、みんなごめんね」
アレッサの声だった。
僕ははっとして顔を上げた。
次の瞬間、アレッサが宙に浮いていた。リックの手を放したんだ。アレッサは勢いよく落下し、大公が辛うじてアレッサの足を離さないでいる。
「おい、手伝え!」
兵士たちはすぐに駆け付け、アレッサを引き上げた。
頭上で風を切る音が聞こえた。弓が放たれ、リックに向けて飛んでいく。そして、上空で爆発した。しかし、レイデンは素早く上昇して黒い煙から抜け出すと、南へ向けて飛び去った。
体をくゆらせ飛ぶ、その姿はまさに龍そのものだった。
僕はようやく解放され、アレッサの元へ駆け寄った。アレッサは腕が血まみれになり、気絶しているようだった。落ちたときに壁に叩きつけられたらしい。
「アレッサ……」
アレッサの傍らに座り込もうとしたとき、僕は顔に鈍痛を感じた。そして、体は宙を浮き、後ろに突き飛ばされていた。
顔を上げると、大公がハンカチで手を拭きながら立っていた。ハンカチは赤く染まり、頬を触るとズキズキ痛んだ。鼻血が流れている。
「これは立派な反逆だ。しかし、一度言ったことを取り消すようなことはしない。だが、君たちにはそれなりの罰を受けてもらおう。連れていけ」
兵士たちは僕らを両脇から抱え上げた。誰も自分の足で歩く気力がなかった。兵士の腕の中でぐったりとしているアレッサを見つめる。
ごめん、僕のせいだ。ごめん……。
視界が大きく歪み始めた。
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