31 シャルル ②

 静寂が僕らを包み込んだ。


 まさに祭りの後の静けさだった。城壁から聞こえてくる兵士の笑い声や町からの騒ぎ声も何も聞こえてこない。ここだけ、全ての時間が止まってしまったようだった。この静けさは苦痛だった。それでも、誰かが口を開くまで、耐えて待つことにした。


「じょ、じょうだんだよな? そう、なんだろ? ちょっとしたサプライズみたいな。な、だよな。ハハ。アレッサもほらなんか言ってやらないと、ホントみたいになるから」

 ユーグが引きつった笑みを浮かべながら言った。

 当のアレッサはまだ、地面を見つめたままだった。その白い表情からは何も読み取れなかった。


「そうか、そうだよな。うそだよな、シャル。じゃなきゃ、そんなこと言うわけない」

 ギルも狼狽えている。無理もない。

 ミラに至っては話すこともできなさそうだ。


「シャル。冗談だとしても、これはどうかと思うぞ。お前らしくもない」

 リックは至って冷静に言った。

 そうくることは分かっていた。


「冗談でも、嘘でもない。僕は本気だ」

「いや、そんなわけあるか。こいつらが裏切り者⁉ 十年も一緒に過ごしてきたんだぞ‼」

 ギルが怒鳴った。


「そうだ」

 ギルは僕の胸ぐらをつかんだ。


「どういうことだよ‼ お前、こいつらを疑うのか‼ 仲間だろ‼ 仲間が裏切り者だって本気で言ってんのか⁉」

「おいやめろギル! 落ち着け!」

 ユーグがギルの手を引き剥がそうとする。


「本気だよ。冗談でこんなこと言うわけないだろ」

「なんだとお前!」

「やめろよ、二人とも! ギル落ち着け!」

「落ち着いていられるかよ! 意味が分からない!」

「意味ならこれから説明する!」

「だったら早く話して見ろよ! ちゃんと納得できるんだろうな!」

「君がその手を放してくれれば、すぐにでも話す!」

 ギルの揺さぶる手が止まった。

 その瞬間に、ユーグが手を引き剥がし、ギルを下がらせた。

 ギルは肩で息をしている。


「説明しろよ。お前がこいつらを裏切り者だっていう証拠を」

 ギルは僕のことを睨みつけた。

 その目には戦場で見た悪魔が宿ってはいなかったが、獣のような鋭さはあった。

 僕はひどく傷ついている自分がいることに気が付いた。こんな視線をギルから向けられる日が来るなんて思いもしなかった。


「まず先に言わせてもらうけど、俺は裏切り者でも何でもない。シャル、お前は本気で信じ込んでるみたいだが、きっと勘違いだ。誰に何を吹き込まれた知らないが──」

「少し黙ってろ。それはシャルが話す」

 ギルはリックの言葉を遮った。視線は依然として僕に注がれている。されたことはないが、尋問されている気分だ。


 僕は今一度、話を整理した。間違いがあってはいけない。そして、全員に認めてもらい、提案を聞き入れてもらう必要がある。大きな障壁は、ギルとリック。この二人にかかっている。僕は二人に視線を向けた。


「フレインズ橋での争い。おかしかったって話したと思う」

「ああ。敵がどうやったって橋をとれないって話だろ」

「そう。そして、この前の暗室で一つの可能性が浮かび上がった。これはユーグには話したんだけど──」

 僕はユーグの部屋でした話を繰り返した。オズノルド軍の中には暗闇にも耐えられる訓練を施された兵士がいて、彼らが闇夜に紛れて橋を襲ったこと。これ以外には考えられないことを話した。


「だけど、この話だとまだ不十分なんだ」

「不十分?」

 ユーグが聞き返す。


「そう。橋にばれずに近づくことは簡単にできただろう。問題はそこからだ。彼らはどうやって塔を登ったのか。思い出してくれ、あの時、僕らが塔を登るのにどれだけ苦労したか」

「確かに苦労したが、俺でも登れたんだ。いくらでも登る方法はあっただろ」


 ギルが登れたのは、常人離れした度胸の持ち主だからだと思ったが、それは口にしなかった。登る方法がいくらでもあったのは事実だったからだ。

 僕がそれを認める前にユーグが先に話し始めた。


「梯子やロープがあれば簡単に登れたんじゃないか? 俺たちはあの時どっちも持ってなかった。だから大変だったんだ」

「そう。だけど、僕らが橋で見張りをさせられた時のことを思い出してほしい。先輩方がみんな不真面目だったとはいえ、持ち場を離れている人は一人もいなかった。

 それに、どの持ち場も最低で二人はいたし、複数の持ち場から互いの持ち場が見れるようにもなっていた。異変があれば笛を鳴らすようにもなってた。そんな中、窓や屋上に梯子やロープをかけて乗り込んでいけば誰かは気が付くと思わないか。最後の一人を殺すまで誰にも気づかれないなんてことがあると思うかい」


 ギルとユーグは同じように顔をしかめ、そして同時に首を振った。その二人の姿は僕が勉強を教えているときのままだった。


「気づいたんじゃないのか? 何で誰も気づいてないと思ったんだ」

 リックが言った。僕は今の言葉で疑いが確信に変わり始めた。


「なぜって君が言ったじゃないか。仮眠をとっていて、気が付いたときには侵入されてみんなやられていたって」

「あ、あー。言った、かもな……」

 リックはまた口元に手を持っていった。明らかに動揺している。

 ユーグのリックを見る目に鋭さが増した。ユーグも違和感を覚えたに違いない。


「確認だけど。笛が鳴らされれば起きるよね」

「起きた、と思う。でも分からない。俺が気づかなかただけで、実は鳴っていたのかも」

「それはないな。仮眠を一人ですることなんてない。一人も気づかないなんてことはあり得ないだろ。あれだけでかい音が鳴るんだ。それも眠れないで有名なあの場所で」

 ユーグはリックの違和感に完全に気づいたようだった。ユーグは問い詰めるようにして、さらに続ける。


「今思えばおかしいよな。何でお前ひとりだけ生き残ったんだ。仮眠室には他にも兵士がいたはずだろ。急に襲われてお前だけ逃げられたのか」

「うまく隠れたんだよ」

「どこに隠れた。あの部屋に隠れられる場所なんて大してない」

「どこって、急いで隠れたから場所なんて……。お前、まるで俺に死んで欲しかったみたいな口ぶりだな」

 リックは話題を逸らして、ユーグを責めた。


「そんなこと今はどうでもいいだろ」

「どうでもよくないさ。お前、いったい誰のおかげでアレッサと──」

「うるさい!」

 ギルが怒鳴った。

 僕が脱線する前に止めようと思ったが、ギルの方が早かった。そして、ギルの方が効果はてきめんだった。


「くだらないこと言ってんなよ。それで、奴らはどうやって入ってきた?」

 意外だった。ギルに話を混ぜ返されることを案じていたのに、逆にギルが話を導いてくれている。これは嬉しい誤算だった。


「僕は、正面から入れたんだと思う」

「正面?」

「うん。塔の二階にある上げ蓋の所。あそこは唯一他の場所から死角になっていて見えない。それに人数も二人だ。例えば、そこの見張り役の一人が、もう一人の隙をついて殺すことは簡単にできる。そして、後はロープを垂らしておくだけでいい。後は、仲間たちが上がってくるのを待つだけだ。

 そうやって橋を制圧した後、夜明けを待って、朝にやってきた交代の兵士に緊急事態を告げ、挙兵させる。これで、一つを除いて、あの日の謎が全て解ける」


 リックは親指の爪を噛んでいた。


「その仲間を入れたのが俺だと」

「そういうことになるね」

「生き残ったのは俺だけだ。何を言おうと怪しまれる」

 リックの言う通り、目撃者はもう誰もいない。

 兵士たちは身ぐるみを剥がされ、橋の上から川に落とされた。彼らは川に住む植物たちに食べられているか、湖まで流され、人類未到達の地に足を踏み入れていることだろう。だから、ここで何を議論しようと証拠は何一つ出てこない。


「アレッサは。アレッサはどうして……?」

 ユーグはアレッサの方に手を出そうとして引っ込め、僕の言葉をどう判断していいか迷っているようだった。アレッサを第一に信じる気持ちと、それでいてアレッサのその態度がユーグの心を揺さぶっている。


「あの日、端の方に僕らは誘導したのはなぜ?」

 アレッサは一瞬、目だけを動かして僕の方を見た。そして、また床に視線を落とした。


「戦う前に、整列した時のこと、か?」

 ユーグが震える声で聞いてきた。


「そう。アレッサは僕らの呼びかけも無視して、陣形の端まで進んだ。そのときは、直感だと言ってたけど、本当は塔の上から狙われることを知っていたんでしょ。ちょうど僕らの居た場所は、木がせりだしていて砲弾が届きにくかった」

 アレッサは唇を噛んで黙りこくっている。


「おい、アレッサ。どうして何も言わないんだ。俺たちは疑われているんだぞ。否定をしないと認めていることになる」

 リックが声を張り上げた。


「──ぐうぜんよ。ただ敵の真正面に居たくなかった。それだけ」

 アレッサはこの時初めて声を発した。そして、顔を上げて僕を見た。目が泳いでいる。まだ、どちらの態度をとるべきか決めかねているみたいだ。リックのように否定するか、認めてしまうのか。それがさっきのリックの声で、否定する方に少しだけ傾いてしまったようだ。だけど、もう遅いよ。


「あの日、本当は戦場には来ないはずだったんじゃないの? だけど、君は僕らを救うために──」

「そんなわけない! そんなわけ、ない……」

 アレッサはまるで懇願するようだった。


「あの日は集会場の脇にいた。鎧も着てなかった」

 ユーグがポツリと呟いた。


「それは……。あなたと同じで、恐れていたから」

 アレッサはユーグと視線を交わした後、口元を歪めてまた下を向いてしまった。


 それからしばらく、誰も何も言わなかった。

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