10

 ギルは信じられない思いだった。まさかこんなところにリックがいて、つい数秒前まで互いに殺す気で戦っていただなんて……。


 取り乱すギルに対し、リックは奇妙なくらいに落ち着き払っていた。まるで全てを受け入れているようだった。この先にどんな未来が待ち受けていようと。


「どこにいようが俺の勝手だ。敵であるおまえには、なんの関係もない」

「何言ってやがる! おまえ──」

「馬鹿のおまえのことだから! きっとまだ、仲間なんじゃないかとか子供じみたこと考えてるかもしれないからな、一つ言っておく。俺はおまえたちのことを仲間だと思ったことは一度も無い。あれはただの任務にすぎなかった。それ以上でも、以下でもない」


 ギルは兜を脱ぎ捨てた。兜はカランと音を立てて転がる。


「俺たちは仲間だと思ってた」

「演技さ。俺にとって必要だったのはシャルルからの情報だけだった。あいつから、国の情報、次の戦争の計画、兵器や食糧の種類と数。いろんなことを聞き出した。あいつは、疑いもせずに秘密だよと言いながらペラペラと話した。こんな近くにスパイが、しかも二人もいるとは知らずに。あいつも馬鹿なやつだった。おかげで、橋での戦いは大勝利だったろ」


 表情一つ変えず淡々と話すリックに、ギルは腸が煮えくりかえる思いだった。なによりも、シャルのことを馬鹿にされたことが許せなかった。だが、同時にあの夜のことが頭によぎった。


「火祭りの夜。あれも演技だったのか」

 リックは初めて一瞬だけ表情を強ばらせた。


「当然だ。ああすれば、またおまえらは騙されて、俺を逃がしてくれると思ったからな。途中までは良かったが、大公の登場は予想外だった。だが、それ以外はうまく──」

「アレッサは地下牢だ。多分毎日、拷問を受けてる」

 ギルは最後の期待を乗せてアレッサの事を話した。

 しかし、期待に反して、リックはアレッサの事を蚊ほども気にしていないように見えた。


「──だろうな」

「なんとも思わないのか。俺たちはそうじゃなくても、あいつは仲間だったんだろ」

「──あいつは、あろうことか敵国の男に恋をして、本分を忘れ、うつつを抜かした馬鹿女だ。そうなって然るべきだった」

 リックは自らの剣先を見下ろしている。


「おまえ、冗談でもそんなこと許されねえぞ」

 ギルの体を突き動かそうとする激情は、嘘であってほしいという願いの壁に寸前のところで止められていた。


「言ったろ、俺たちはもう仲間でもなんでもない。だから……。


 構えろ、ギルバート・スフィルド‼」


 リックから放たれた闘気に、ギルは反射的に身構えた。そして、同時にギルを押さえつけていた壁も取り払われた。


 覚悟は決まった。


 先に動いたのはやはり、ギルだった。先程までの躊躇いなど、嘘であったかのように放たれた強烈な一撃は、リックを大きく後退させた。


 リックはギルの猛攻に防戦一方だった。ギルは感情のままに剣を振るい、壁にぶつかろうが、床を斬りつけようが構わなかった。

 リックは勢いに負けて後退し続け、ついには尖塔の上を一周した。


 疲れが見え始めたのはギルの方が早かった。攻撃と攻撃の間に隙ができ始めたのだ。


 リックは当然その隙を逃さなかった。


 ギルが何十回目か、剣を振り下ろし、床に窪みを作る。


 リックは胸壁に飛び上がり、片足で壁を蹴る。そして、がら空きのギルの脇腹に向けて、剣を払った。

 ギルは呻きながら、横に飛ばされ壁に激突する。衝撃で突っ伏し、思わず剣を落とす。


 ギルの上を影が覆った。ギルは瞬時に首をねじり、上を向く。

 キラリと光る剣先が落ちてきた。


 まずい……‼


 ギルは即座に地面を蹴り上げる。

 勢いのままに前転し、途中で落とした剣を掴む。


 背後で岩が砕ける音がした。


「あぶねえ……」

 ギルは思わず安堵の息を漏らしつつも、すぐに背後の危機を感じ取り、走り出す。

 直後に、後ろ髪にブンッと素早い風を感じる。


 ギルは振り返りもせず走ると、手近の入り口から中に滑り込む。そして、急転回すると、その回転力を剣に乗せて、思い切り振り上げた。


 お返しだ、クソ野郎。


 ギルの予想通りに現れたリックは、攻撃を間一髪で受け止めると、大きく弾き飛ばされ、背後の胸壁に背を打ちつけた。


 リックはほんの数秒固まってもがき、ギルは続けて斬りかかる。

 リックは胸の前で剣を受け止め、ギルの剣が徐々に首元に迫る。


 額に青筋が浮かび、歯がギリギリと音を立てる。


 ついに剣先がリックの首に触れ、鮮血が剣を伝う。


「降参しろ。そしたら、見逃してやる」

 それはギルの本心だった。

 しかし、それを聞いたリックは低い声で笑った。


「馬鹿言え。俺が屈するのは太陽の前だけだ」

 リックはいつの間にか左手を束から離し、ポケットをまさぐると、何かを取り出した。そして、それをギルの腹部に押し当てると、拳を作って殴りつけた。


 その刹那、激しい閃光と爆音とともに、ギルは吹き飛ばされた。


 ギルは室内のさらに奥の壁にあった棚に激突し、プランターが次々に割れた。


「なんだよ……。いったい」

 ギルには何が起こったのか理解出来なかった。鈍痛のする腹部をさすると、鎧には真っ黒な焼け焦げた跡があり、指一本分くらいの穴が開いていた。


 あいつ、何しやがった。


 ギルは剣を支えに立ち上がる。激しく体を打ち付けたせいで全身がきしむように痛む。


 爆発によって生じた灰煙が室内に立ちこめ、その色に反して、果実や花のような爽やかな甘い匂いが漂っている。

 煙が風に流されるに従って、巨体のシルエットが見えてくる。そして、露わになったリックの姿に、ギルは驚きを隠せなかった。


「おい、おまえ……。それ、何のつもりだよ‼」


 ギルの視線の先には、リックの左手があった。いや、正確には左手だったものがあった。それは黒く焼け焦げ、親指と人差し指だけが辛うじて原型を留めていた。


「なにって。もしものための切り札ってやつだよ。殺されそうになったときの……」

 リックは額から大粒の汗を垂らし、顔は雪よりもさらに白かった。


「いい加減にしろよ‼」

 ギルは腹の底から怒鳴った。腹部が火傷でじりじりと痛み出していたが、全く気にしなかった。


「なんなんだよ‼ どうしてそこまでする⁉ 意味わかんねえよ‼ もう、訳分かんねえんだよ、何もかも‼」

 ギルは頭を抱える。

 頭の中では、ここ数ヶ月に起きたことが、考えたことが、想像したことが、断片的に顔を出し、ぐるぐると回り回っていた。


 リックはそんな様子を見て、フッと笑った。


「ばかな、おまえには、複雑すぎたようだな。だけど、単純な話だ。俺が、おまえらにとっては悪魔で、おまえが、俺らにとっての服従させるべき人間たち。つまり、敵だからだ。単純だろ」


 ギルは言葉が出てくるたびに、つっかえ、飲み込んだ。自分でも何を言いたいのか分からなかった。


 そのとき、階下から多数の爆音と、石が砕かれ崩れ落ちる音、兵士たちの叫び声やどよめき声が聞こえてきた。

 何だろうかと階段を見下ろすギルに対し、リックは訳知り顔だった。


「始まった、ようだな」

「──どういうことだ?」

「何も、策略を巡らしているのは、おまえらだけじゃ、ない」

 リックは痛みにあえぎ、ようやく立っていた。


「何をしやがった?」

「この城には、大むかしの、植物が、ねむってた。おれたちは、そいつらを起こしただけさ。拠点だったわりに、兵士の数が少なかったろ。罠にはめたのは、おまえらじゃない。おまえらが、罠にはまりに来たんだ」

 リックの言うように、城内はよりいっそう兵士たちの阿鼻叫喚の声が響いてきていた。


「まずいな。ユーグたちに知らせねえと」

 ギルはそう言って階段へ向かおうとする。


「待て」

 ギルはその声で振り返ると、立つのもやっとだったリックが襲いかかってくるところだった。


 もう戦えないだろうと高をくくっていたギルは驚愕し、すぐに剣で受けた。その力はあまりにも弱かった。しかし、ギルも万全ではなかったため、押し返すことはできなかった。


「何のつもりだ」

「まだ戦いは、終わってない」

「終わっただろ。そんなんで勝てると思ってるのか」

「ああ」

「──馬鹿はどっちだよ」

 城内が大混乱に包まれる中、二人の決闘が再開した。


 響き渡る喧噪の音を背景に、鉄の弱々しくも甲高い音が、小さな、二人だけの円形闘技場に鳴り響く。

 観覧客はプランターで朽ちた植物たちと、染みついた黒い影だけ。どちらが勝とうと、歓声も、賞賛の声も、褒美の品も何もない。そこにはただ、残酷なまでに抗いようのない事実だけが待っていた。


 勝負は目に見えていた。


 ギルに腹を蹴られたリックは仰向けに倒れた。剣はリックの手を放れ、壁際まで飛んでいく。

 リックに向けられた小さな剣先が、顔めがけて降り注ぐ。


 ──ガンッ‼


「──なにを、してる?」

 リックは馬乗りになって自分を見下ろしているギルを絶望に満ちた目で見上げた。

 ギルの剣はリックの顔のすぐ横の床を貫いていた。


「殺せよ‼ 殺せ‼ 目の前にいるのは悪魔だぞ」

 リックは叫び、激しくむせた。そして、大量の血を吐き出した。それは明らかに異常な量だった。


「なっ、おい、なんだよこれ──」

 リックがギルの腕を掴んだ。


「殺すんだ。おまえは、俺を殺さなきゃならない」

「無理だ。俺には……」

 リックは剣から手を離し、首を振る。


「ギル。俺の顔を見ろ」

 リックはギルの胸ぐらを掴み、引き寄せた。

 ギルはそこであることに気がついた。リックの右頬を何かが這っていたのだ。それは苔や地衣類のように張り付き、網目状で暗緑色をしていた。所々に黄色い蕾のようなものを作り、それは急速に広がり続けていた。


「何だよこれ」

 ギルは後退り、リックから降りた。そして、リックの全身がそれに覆われつつあることを知った。


「下で、暴れてる奴らだ。俺もじきにそうなる。だから──」

「なんでだよ。なんでそんなことに」

 ギルは子供のように喚いた。


「望んだことだ」

「嘘つけ。そんなわけあるか」

 リックは残った半分の顔を歪めながら起き上がった。


「こいつに、完全に、乗っ取られたら。おまえでも勝てない化け物になる。だから、今のうちに、とどめを、さすんだ」

 放心状態で首を振り続けるギルに、リックは剣を握らせた。


「今、やらなきゃ、大勢の仲間が死ぬ。おまえも。

 よく言ってたよな、悪魔を殲滅するって。そんな、ていたらくじゃ、いつまでたっても不可能だ。そんなやつは、ここで死ぬのが、お似合い、かもな。ユーグにも一生、勝てずに、な」


 ギルの手がピクリと動いた。


「なんだと、おまえ……」

「ハハハ──、っく。おまえらしい。それでこそおまえだ。おまえはそのままでいろ」

 リックは腹を抱えて笑った。


「何だよ。きもちわりい」

 リックはひとしきり笑うと、哀願するように残された左眼でギルを見上げた。


「これは俺の最後の頼みだ。たのむ」

 リックは頭を下げた。ギルは目を見張った。そんな姿を見たことは一度も無い。まだ、心も頭も何も整理できていない。それでも、体は剣を強く握りしめていた。そして、立ち上がっていた。


「すまない」

 リックは顔を上げた。

 その目は死を前にした恐怖ではなく、安堵の目だった。まるで、これから暖かいふとんで安心して眠りにつこうとしているようだった。


 ギルは剣を構える。


 植物がリックの最後の目を覆い隠す。


「──あいつらに、すまなかったと伝えてくれ」

「分かった」

 植物はリックの頭頂部に渦を描くように上り詰めると、そこに一際大きな赤紫色の蕾をつけた。そして、開き始める。


「殺してくれるのがおまえで良かった。短い、人生の幕間としてはこれ以上の最後はない」

 蕾が完全に開き、花がギルに向かって花弁を向け、吠えた。


「じゃあな。リック。楽しかったよ……」


 ギルは勢いよく剣を振った。

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