翌日は昨晩の話でもちきりだった。作戦に参加させられた兵士は、何があったのか聞かれる度に、懇切丁寧に持論も交えつつ話を聞かせていた。世の常ではあるが、話しの数が増えるたびに物語は脚色、誇張され、いくつもの噂話が飛び交っていた。その中には、幽霊や悪魔の類が登場する話もあれば、捕虜が暗闇に身もだえる様子を見ながら一杯やりに行ったのだという話すらあった。


 しかし、数日が経っても真相は中々明らかにならなかった。というのも、上官たちはこの件に関しては閉口してしまう──というよりも、上官たちですら知らされていなかったように思えた。ギルは彼らが得意げではなく、苦い顔をするのを何度も見た──し、植物が目に見える形で登場し、戦況が動き出すことも、有利になることもなかったからだった。結局のところ、何が変わったのかは誰にも分からず、このままでは捕虜が苦しむ様を愉しみに行った変態に成り下がりそうだった。


 そのさらに一週間後、期せずして状況は一変した。敵基地の一つである城が未知の植物により崩壊寸前であるという情報が入ってきたからだった。ギルたち、教会堂を占拠していた前線部隊は、数百人規模でただちに敵基地へ向けて進軍した。この戦争始まって以来の大規模出撃だった。

 行軍中、部隊はさらにいくつかに分散し、別々のルートに分かれながら、城へ向けて南下した。


 一時間ほど進むと、突然、平坦な黒い大地の上に真っ黒な険しい山々が現れた。山は中央が高く、民家の数倍の高さがあった。周囲はギザギザとし、まるで子供の描いた落書きのようだった。

 山が目前に迫ると、その正体が尖塔でできた城であることが分かった。中央に巨大な一本の尖塔を持ち、短めの塔がそれを取り囲んでいる。それらは橋で繋がれ、円形の壁となって中央の塔を守っている。通りに面した壁には二メートル程度の小さな城門があり、門は開け放たれ、鎧を身に着けた味方の兵士が脇を固めていた。


 ギルたちは到着するやいなや一息つく間もなく城内へ突入した。狭い門に百人近くの兵士が詰め寄せたせいで混雑し、なかなか中に入れなかった。この様子だと、内部も狭い通路になっているのだろうと、ギルは予想した。しかし、後ろから押し出されるようにして入ると、予想に反して内部は広かった。

 そこは巨大な樹木の森を作れそうなほどに広大な正面ホールだった。ホールを見上げてもそこには、一面が黒一色で何もなく、それがより一層の広大さを際立たせていた。まるで暗い宇宙でも見上げているかのような漠然とした不安がそこにはあった。

 ホールの正面のこれまた小さな扉の先には中庭の緑が見え、左右の扉の先にある細長い廊下は、発光する綿毛がぎゅうぎゅう詰めにされたランプで、これでもかと明るく照らし出されていた。兵士たちは事前の指示通り、三手に分かれてそれぞれの扉へ列を作った。


 ギルとユーグは互いに目くばせし、右の廊下へ走り出した。ギルはその際、足元からするピチャピチャという音に耳を傾けないようにしなければならなかった。ホールが廊下のように煌々と照らされていなかったことがせめてもの救いだった。


 眩しすぎる廊下を抜けると、小さめのホールに出た。ホールには階段と、中庭へ続く道、次の城壁へ続く道と分かれていた。ギルたちは再び、三手に分かれて進んだ。ギルとユーグは、次の城壁へ向けて、再び廊下を突き進んだ。

 二回同じことを繰り返すと、兵士の数はかなり少なくなっていた。ギルとユーグは残った兵士たちと、城門とは正反対にある、尖塔の壁の階段を駆け上がった。階段は螺旋を描くように上り、小窓から程よい陽光が差し込んでいた。


 二階へ着いたとき、先頭にいたギルは野性的な勘ですぐさま異常を察知した。目の前には炭で塗られたような黒い扉があった。ギルは左手で背後の兵士たちに止まるように合図を送る。兵士たちは一斉に止まり、鎧の金属音がなくなると、扉の先から甲高い声が聞こえた。

 ギルは慎重に近づき、扉に耳を当てる。


「アッハッハハハッ‼」

 ギルは咄嗟に身を引いてしまった。

 その女の笑い声がただの笑い声ではなく、本能から嫌悪するほどに異常だったからだ。


「どうした?」

 すぐ後ろにいたユーグが不安そうに聞いた。

 他の兵士たちも同様だった。


「誰かいる。突入するぞ」

 ギルは簡潔に要点を伝えた。

 そして、兵士たちがうなずいたのを確認すると、ノブに手をかけ、反対の手でカウントダウンをした。

 掲げられた三本の指が、二本になり、一本に減る。


 そして、ゼロ。


 瞬間、ギルは扉を肩で勢いよく押し開けた。

 兵士たちは声を荒げ、一気呵成に部屋の中へなだれ込む。しかし、その勢いはバケツの水を真上からかぶせられた焚火のように、一瞬にして打ち消された。


 絶句した兵士たちの両耳に、男女の笑い声の不快極まる不協和音が注がれる。


「おい、あれって」

 ユーグの言葉にギルはうなずいた。ギルはその姿を見た瞬間に理解した。あの夜、自分たちが何をさせられたのかを。

 

 目の前のこの植物のヌラヌラと照る赤黒い鱗。まさに、あの種そのものだった。そして、同時に、どうしてあの時に気が付かなかったのか、不思議でならなかった。一日とて忘れたことがない、あの光景。


 鱗のような樹皮に覆われた一本の太い幹。その先から伸びた無数の黒い触手。その中の一段と太く長い六本の先には敵兵が繋がれていた。首に絡みついた触手は、さながら木に成った果実のように彼らを締め上げている。そして、当の本人たちは笑ってた。

 首が絞められ、顔が紫に変色しているにも関わらず、目は最大の快楽を享受しているかの如くトロンと垂れ下がり、口は唾液とそれ以外の黄色い何かを飛ばしながら笑い続けていた。


 ギルには彼らの顔と、滅びた故郷に残してきた、家族の面影が重なった。


「悪魔が──」

 ギルは剣を抜いた。

 

 ユーグや他の兵士が止める間もなく、ギルはその植物に近づくと、その幹に対し剣を振り下ろした。幹はギンッと金属的な音を立てて、ギルの剣を弾き返した。ギルはそれでも、何度も何度も振り下ろした。笑い声の中に、機械的な音が響き続ける。しかし、何度叩きつけようとその固い鱗はへこみさえしなかった。


「ギル……。もう、やめろ。無意味だ」

 ユーグはギルの盛り上がった肩に手を乗せた。

 ギルはその呼びかけで手を止めるも、最後に一度だけ渾身の一撃を振り下ろした。幹は銅鐘のような鈍い音を響かせ、うっすらとひっかき傷ができた。


 ギルは肩を上下にさせながら、その傷を睨んだ。


「あの時のは、こんなんじゃなかった」

 ギルはまたあの光景を思い出していた。


「あの時のやつは、こんな首吊りみたいなことはしてなかった。操って、言葉を話させてた」

 ギルは静かに拳を震わせた。


「──あの日、連れて行った王立研究所のやつらだ。戦争に使えるように改造したんだ」

 ユーグはゆっくりと剣を抜いた。


「せめて、下ろしてあげよう」

 ユーグは敵兵を吊るしている触手を切った。幹とは違い、触手は簡単に切れた。敵兵はどさりと床に落ちると、笑うのを止め、それきりもう二度と笑うことはなかった。

 ギルも取りかかろうとしたとき、兵士の一人が声を上げた。


「放っておけよ。敵兵だぞ」

 ギルは振り返ったが、ユーグは黙々と作業を続けていた。


「──関係ねえよ」

 ギルは一瞬沸き起こった怒りを飲み込んだ。そして、作業に戻ろうとしたとき、目の端で影が動くのを捉えた。その影は、開け放たれた扉を左から右に走り抜けた。そして、ギルの類い希なる動体視力がオズノルド兵の黒いコートを認識した。

 ギルはすぐさま駆け出した。不平を言った兵士は思わず身構え、他の兵士も慌てて、ギルから離れた。しかし、ギルはその兵士たちを無視して間を通り抜けていった。


「おい、ギル! どこに行く?」

 ギルはすでに廊下へ飛び出していた。


「ここは頼んだ!」

 ギルはそう言い残そうと、黒い廊下を滑るように動く影を追いかけた。


 敵兵は廊下を過ぎると、階段を上った。螺旋階段は上に行くに従って、幅が狭くなり、また急になった。最上階まで上り切る頃には、お互い手すりにつかまりながらやっとの思いで上り、ギルの執念によって敵兵との差はかなり縮まっていた。


 最上階の尖塔の頂上は円形の形をしており、外へ繋がる、扉のない四つのアーチ状の出入り口があった。壁沿いには古ぼけた棚が並び、石や木、レンガ、ガラスなどでできた様々なプランターが置いてあった。かつては、ここで多種多様な植物が繁茂していたのだろう。


 ほんの数秒差でギルが階段を上り切ったとき、敵兵は正面の出入り口へ向けて駆けていた。その先には、胸壁から下をのぞき込んでいる味方の兵士がいた。


「逃げろ!」

 ギルは咄嗟に大声で呼びかけたが、一足遅かった。

 味方が異変に気づいて振り返るよりも早く、敵兵が背中を勢いよく押し、宙に浮いた足を掬い上げ、味方は叫ぶまもなく落ちていった。


「くそっ!」

 ギルはふらふらの足を踏ん張り、姿勢を低く、床を這うように近づいた。敵兵は味方を落とした後すぐに、その身を壁の蔭に隠した。


 ギルは何も考えず、外へ飛び出した。

 その瞬間、ギルの目と鼻の先に刃があった。


「うっ」

 ギルは間一髪で膝を落とし、体をのけぞらせた。

 体は勢いのまま滑り、胸壁の手前で止まる。膝がじんと痛む。


 敵兵の剣は宙を切り裂いて壁を砕き、粉塵とともに石くずがパラパラと落ちる。


 ギルは後ろ手についた左手を軸に体を半回転させ、しゃがみの姿勢になる。


 途端に、黒い足が飛んでくる。


 ギルは咄嗟に剣を握っている右手を上げ、手首で蹴りを受け止めた。蹴りの重さに骨がきしみ、上体が後ろへ倒れそうになる。


 倒れんなよ、俺! 倒れたら死ぬぞ! 


 ギルは心の中で叫び、疲労を叫ぶ足で辛うじて踏みとどまった。


 しかし、敵の攻撃は止まらない。敵兵は即座に、剣を振り下ろした。


 その一撃はギルの剣の切っ先に当たる。ギルはすぐに受けきれないと分かるやいなや、体と腕の位置を左にそらす。


 真下に落とされた敵の剣はギルの剣の向きに沿って流れた。そして、ギルの右足の真横に落ちる。


 今だ!


 ギルは立ち上がると同時に、剣を左下から右上へ斬り上げる。


 敵兵は後退した。

 しかし、ギルは一息つく間を自らにも相手にも与えなかった。


 勢いよく踏み込み、飛び上がる。痛む右手の上に左手を重ね、真っ直ぐに振り下ろす。


 ぶつかり合う金属音が漆黒の都に響いた。


 こいつ、やるな。


 ギルは感心すると同時に、そのとき初めて敵の顔を見た──と、次の瞬間、全身から力が抜け落ちた。


 そんな、ありえない……。


 敵はそれを感じ取ったのか、力強く押し返す。


 ギルはよろめきながら、数歩下がった。しかし、敵は仕掛けなかった。ギルも動く気は無かった。というよりも、動けなかった。あの黄金の日々の記憶を持つ脳が、行動を拒絶した。


 大きな体に、白い肌。

 薄茶色の瞳と、端正に整えられた軍服姿。

 戦場においても乱れのない、後ろに撫でつけられたブロンド髪。


「どうしておまえがここにいるだ! リック!」

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